対談・鼎談
2019年11月号掲載
『図書室』(岸政彦著)刊行&『劇場』(又吉直樹著)文庫化記念対談 後篇
会話から生まれる想像力
又吉直樹 岸政彦
前号に引き続き、社会学者の岸政彦さんと芸人・小説家の又吉直樹さんの対談をお届けします。
前篇では表現することの恥ずかしさがテーマになりました。
後篇は、小説に取り組む際に形式を壊すことは考えなかったのか、という岸さんの問いを受けた又吉さんのお話から始まります。
対象書籍名:『図書室』/『劇場』(新潮文庫)
対象著者:岸政彦/又吉直樹
対象書籍ISBN:978-4-10-350722-2/978-4-10-100651-2
神楽坂 la kagū での対談の様子
(前篇はこちら)
又吉 言い訳できないような王道のど真ん中のものが好きなんです。一部の人に認められるものも好きですが、一番は、自分の作品で批評している人も食わしてるやつ。
岸 ああ、業界全体をね。
又吉 誰かに文句を言われるとかわいそうに思われたり、守られなければいけない存在には、究極のあこがれはなくて、弱いな、途中やんて思います。
岸 僕も、好きな映画監督はスピルバーグ、好きな画家はピカソやし。
又吉 僕もピカソ大好きですし、取材でも好きな映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『スタンド・バイ・ミー』って答えてます。
岸 そういう矛盾したものが又吉さんの中にあるんだろうなって、『劇場』を読んで思いました。永田君のような再帰的で分析的な感覚はたしかに又吉さんの中にあるんだけど、それを真っ当に文学ど真ん中の形式で書いてあるのが面白い。ラストもすごくよくて、王道の恋愛小説ですよね。だから、これを書いているときは、又吉さんはポジションのことを忘れているんだろうなって思わされました。それも含めてのテクニックかもしれませんが。
又吉 変わった表現のものも、作っている人がこれしかないと思って信じているなら、グッとくるんですよね。そういうものを、なに斜に構えとんねんって考えるのも好きじゃないし、信じたものをちゃんとやっていることが好きっていう。
岸 それは何が違うんですかね。
又吉 狙ってやってる人は、ちゃんと言い訳しますよね。みっともなさをちゃんと出す。
岸 だから表現って恥ずかしいんですかね。最初の小説の「ビニール傘」を書くときに、技巧に走ったところがあって、それはそう書きたかったからなんですが、時間軸や人称をごちゃごちゃにしたのは、やっぱり照れがあったんです。登場人物に名前をつけることと、セリフをカギカッコでくくること、この二つができなかったから、小説らしい小説になりませんでした。社会学で二十年以上、いろんな仕事をやってきて、今さら小説書くのって胡散臭いでしょ。調査で聞いたことを使いまわしてるんじゃないかとか言われたり。
又吉 十八で吉本の養成所に入ったんですが、まず大きな声を出すことが恥ずかしかったんです。聞こえるくらいの声でいいのになって。
岸 吉本の芸人さんって声張りますよね。
又吉 もう一つ、例えば女性役の時に、女性っぽい言葉で話すのが恥ずかしかった。セリフをカギカッコに入れられない、というのに似ているんですが、だから、本を朗読するように話をしていました。
岸 めちゃめちゃ現代アートですよ、前衛っぽい。
又吉 でも、いざ舞台で僕が話しても、全然お客さんにウケない(笑)。
岸 そもそも伝わらないでしょう。
又吉 それで、もう少し声出したほうがええかなって思ってやると、ウケるんですよ。登場人物に似せてやったほうが伝わる。そもそも、なんで人前で話しているのかって、笑かすためなんですよね。だからなに自分の主義主張が勝ってんねんって思って、少しずつ探っていきました。
岸 やりながら形式を取り戻していく感じですね。
又吉 結局これで合うてたんや、って。
岸 セリフにカギカッコつけないままだと、三人以上での会話になると誰が話してるかわからなくなる。だから「図書室」で初めてカギカッコでくくりました。その時、近代小説の形式って意味があるんだって思った。形式的なものの強さってありますね。
又吉 芸人が小説を書く場合、おしゃれさを求めるなら、最初は芸人の話にはしませんよね。でも、だからそれをやらないと考える、自分のあざとさが嫌いなんです(笑)。だからやる、これしかないやんというのをやっていく。
岸 面倒くさいなあ(笑)。でも、やっぱり矛盾したものが同居しているんですね。王道を目指すところと、批評的で分析的なところが又吉さんの中にある。だからこれだけの表現ができているんだなって思います。
又吉 ただ、それが自分の日常をいい風にしてくれているかというと、わかんないですけど。
岸 しんどいやろうなと思います。
又吉 人の話を聞きすぎるから。
岸 ずっと覚えているタイプですか。
又吉 いつまで覚えとんねんってよく言われます。「俺が十九の時、あいつは......」とか(笑)。
岸 そこは違うなあ。僕はぜんぶ忘れる。
男のダメさがよく書かれている
岸 『劇場』って、ダメな男の子の話でもありますね。経済的にも女性に頼ってて。僕がいま考えてる次の小説って、ジャズミュージシャンの話なんです。そこそこのミュージシャンの男が女の子と出会って......って『劇場』そのまんまなんですが(笑)。
又吉 昔からある、普遍的なものですから。
岸 永田君が劣等感から相手を傷つけてしまうという場面がよく出てきますが、決定的にダメだなと思ったのが、青山にキレる場面で、それがまたうまい。永田と沙希の関係が、僕らの基準で言えばDVに近いような状況になってくるなかで、青山が介入してくる。もう別れたらって沙希に言う。そこに永田がキレて、長文のメールを何通も送るのがすごくキモくて(笑)。でもこれが男の本質なんだと思う。同じく相談に乗ってる、沙希のバイト先の店長の男には怒りをぶつけないですから。だから結局、永田は女に甘えてるんですよ。自分の彼女に劣等感をぶつけて機嫌悪くなったり。男って機嫌悪くなって黙るでしょ(笑)。
又吉 かと思うと、自分に不都合があるとめっちゃしゃべったり。
岸 男のダメさが本当によく書かれていると思いました。ちなみに青山への逆ギレのメールを書いているときは、どんな気持ちだったんですか。
又吉 書いてるときは、永田になりきっていますね。でも一方、青山の返事を書いているときは、青山になりきって、こいつ最低やなって思いながら書いていました。平等に。それで、シーンを書き終えて読み直してみて、自分で笑いました(笑)。
同じ幻想を共有できる気持ちよさ
又吉 「図書室」では、少年と少女の会話を、自分の人生とも照らし合わせて、補足しながら読めました。女の子の発言に対して男の子がすぐに突っ込んだら、女の子が「なんで一回乗らへんねん」って言うんですが、それが後の展開の入り口になってますよね。二人で乗って、同じ世界を共有する。日常からその世界に入るところに不自然さがないですね。
岸 「図書室」では会話のシーンを評価してもらうことが多いんですが、プロットも何も考えずに、一気に書きました。モデルは何人かいて、そのうちの一人は同い年のいとこの女の子で、十歳くらいまでずっと一緒にいて、もう一人の自分みたいな存在で。その子との会話を思い出しながら書きました。脳と脳が直接つながっているような状態を書きたかったんです。
又吉 子どものころにサッカーをやってると、自分の好きな選手になりたがる。たとえばマラドーナになるとか。それは役を演じているんじゃなくて、当時の世界的なスター同士で本当に対戦している。そんな同じ幻想を共有できる気持ちよさを、読んでいて感じました。
岸 子ども同士の会話の、どこに進んでいるかわからない感覚と、淀川の河川敷にある小屋に入ったときの、この先どこにたどり着くのかわからない感覚をシンクロさせようと思いました。
又吉 架空の話をしているのに、本当に悲しくなって、もとに戻れるはずなのに二人のルールでは戻れなくて、泣いちゃうじゃないですか。あれ、むちゃくちゃかわいいですね。
岸 小学校のころに親友と一緒に、お話を作っていたことを最近思い出したんです。お互い交代で、内容がやはり世界が滅亡した後の話で。今日は俺の番なとか言って、続きを考える。
又吉 僕も作ってました。
岸 どんな話ですか。
又吉 神社がつぶれるのを止めるという(笑)。難波君という友達と一緒に考えるんです、その神社の土地が悪い奴に買い占められようとしていて......。
岸 めちゃくちゃ現実的やな(笑)。でもそういう会話の相手って、どこかで別れますね。そのいとこの子とも、次第に会わなくなって、もう三十年くらい会ってない。あと犬や猫が好きで、本当に分かり合えるのは犬や猫だけやなって思うんですが、彼らは途中で死ぬでしょう。だから、はかなさ、切なさが残ります。僕の小説って寂しいってばっかり言ってるんですけど。
又吉 そのはかなさが描かれるからこそ、世界の終わりに対する二人の準備や想像が際立ちますよね。
岸 世界が滅びることが怖いんじゃなくて、二人がいずれ別れなきゃいけないことが寂しい。それは書いてみて思いました。
又吉 その会話の中で、二人が互いを拒絶しませんよね。普通ならもう少し立ち止まって議論するじゃないですか。当たり前のように話を進めているのがいいです。
岸 「図書室」では、切実なものを描きたいと思って、あの会話は、会議なんです。ただ冗談を言い合っているんじゃなく、問題を解決しようと真剣に討議して、そういうときに会話って噛み合うでしょ。共通の課題があるほうが盛り上がる。そして同時に、批評的かつ再帰的な眼差しを持たない。「滅びるわけないやん」とは誰も言わない。だからロマンチックで、ありえない設定ですけど、楽しく書きました。
又吉 大人になっても、なにかきっかけがあれば、あのモードに入れるんじゃないかって思います。二十代のころ、仕事がなくて後輩とずっと喫茶店に座ってて、外を通る人を窓から見ながら、ふと「今から通る奴の魂吸うわ」って言ったんです。ストローで吸うような音出して。後輩は「なにやってんすか」って言ってたのが、「お前もやってみ」ってやり続けてたら、そいつもやりはじめた(笑)。最初は嘘だったのが次第にはまって、二人の間では本当になってきて、しまいには気抜いてるときに後輩に向かってシュゥッてやったら、「やめろよ!」って本気でキレられた(笑)。
岸 僕も、二十歳くらいのころ「あなたは私とやりたくなる銃」というのをやってました。大阪の大学に入って、ミナミで毎晩飲んでいたんですが、夜中に酔っぱらって、街を歩いてる女の子をビニール傘で撃つマネをするんです。撃たれた子は自分とやりたくなるという設定で。
又吉 むちゃくちゃアホですね(笑)。
岸 でも効果はなくて、毎回「効果なし!」と言う(笑)。それを連発した奴がいて、めっちゃ撃ちまくってる。「それずるいやん。一人一発やろ」となる。
又吉 もともとなかったルールなのに。
岸 機関銃というカテゴリーが新しく生まれて、緊急会議が開かれたりしました。「週末はいいことにしよう」。ちなみに、吸われた相手はどうなるんですか。
又吉 ちょっとだけ魂が減ってしまう(笑)。
岸 もらうとちょっとだけ寿命が延びる(笑)。似たようなことやってますね。
又吉 『図書室』に併録されている「給水塔」というエッセイも面白かったです。あそこで書かれていた友達と飲んでいたんですか。
岸 そうですね。今でも飲んでます。
又吉 あれも面白かったです。エッセイとなっていますが、小説みたいに読めました。
岸 実は、「給水塔」は五年くらい前に書いたんです。まだぜんぜん無名だったんですが、あるところから大阪についてのエッセイを頼まれて、それで書いていたら、「あ、これ小説も書けるんちゃう」と思った。だから、実際に小説を書くきっかけになりました。
又吉 「図書室」でも「給水塔」でも、完全な時間のようなものが急に出てくるのがすごくよかったです。一つずつ積んでいくんじゃなくて、突然出てくる。
岸 無意味にフィジカルに肯定される瞬間が好きで、僕が沖縄にはまったのは、それを沖縄の海で得たんですね。自分の身体を取り戻していくような。『図書室』の書評で何人かの方が触れてくださったのが、言語以前のことが書かれているということで、それは僕が犬や猫を好きだということからも来るのでしょうが、言語以前の実在のレベルで肯定されることが、僕の人生では大事なんです。だから、生活史という、人の人生を言葉で残していくことを仕事にしていますが、言葉以前の世界に対するあこがれがある。ですから、そこを読んでくださったのはすごくうれしいです。
又吉 僕も、言葉はめっちゃ好きですけど、どれだけ言葉を尽くすより、恥ずかしくなるくらいシンプルな「大好き!」のほうが圧倒的に強いことってありますよね(笑)。
岸 永田が沙希のコメントにいちいちこだわりますね。「アホのサンプルみたいな発言やで」とか。ああいうとここだわっちゃうの、僕もやりがちなんですが、でもそうじゃなくて、存在を肯定されるのって大切ですよ。自分のどこが好きって答えが「優しい」だと、相手に優しくしなきゃいけないじゃないですか。でも「顔が好き」ってそれだけ肯定度が深い。それもまたベタな話ですが。ちなみに、又吉さんって僕めっちゃタイプなんですよ。
又吉 えっ。
岸 又吉さんとは六月末に沖縄のテレビ番組で初めてご一緒させていただいたのですが、あの後、連れあいに「ええ男やったわあ」とずっと言ってました。こんなにセクシーな人はいない。
又吉 ありがとうございます(笑)。
岸 小さな声でぼそぼそっと面白いことを言う人に弱いんですよ。僕が量でねじふせるタイプだから。今は又吉さんと iPS 細胞の山中先生が二大タイプです(笑)。
(9月5日、於・神楽坂la kagū)
(きし・まさひこ 社会学者)(またよし・なおき 芸人/作家)