書評
2019年11月号掲載
私の好きな新潮文庫
大人になっても大事な親友
対象書籍名:『流しのしたの骨』/『ぼくは勉強ができない』/『りかさん』
対象著者:江國香織/山田詠美/梨木香歩
対象書籍ISBN:978-4-10-133915-3/978-4-10-103616-8/978-4-10-125334-3
①流しのしたの骨 江國香織
②ぼくは勉強ができない 山田詠美
③りかさん 梨木香歩
私は本に取り憑かれているのではないだろうか。いつでもどこでもどんな時でも、本が無いと落ち着かない。それも3冊は持ち歩きたい。だって読みたい本の系統ってその時々で違うもの。随分とわがままなモノに取り憑かれてしまっている、と考え始めたところで、昔から私は本が無いと落ち着かない子どもだったということを思い出した。字を覚える前は両親に読み聞かせをねだり、幼稚園に入る前にはひとりで本を読めるようになった。気がつくと私は小学校に入学する頃には速読のようなものすらできるようになっていた。
ななめ読みに慣れて、国語の問題文で要点だけを読むことができるようになった頃くらいからだろうか。それとももっと前からだろうか。私は同じ本を繰り返し読むことが好きだった。一度読み終えたら、すぐに2回目を読む。そして3回目。よっぽど私の趣味には合わないなと感じたもの以外は基本的に3回は読む。3回読んだ後も、繰り返し読みたくなり、私の本棚に並ぶ本たちは何度も手に取られ背表紙の端がボロボロになり、私だけのための本になっている。きっと、目隠しをされたとしても触るだけで自分の本を見つけることができるだろう。その中でも、特に繰り返し読んだ本がある。いつでも持ち歩いているため、新潮文庫の特徴の不揃いな天がだんだん滑らかになってきてしまっているし、スピンが潰れて先がけぱけぱになっている。それくらい、大好きな一冊。それが江國香織さんの『流しのしたの骨』だ。
この本は、いつどんな気分の時でも読めば落ち着いて、いつも通りの私を取り戻せる大切な一冊だ。中学受験の時も、部活が辛い時も、大学に入ってからも、いつでもこの本は手元にあった。まさに親友と呼べる本。
この物語には寂しさがある。それでも淡々とした印象を持つのは主人公のこと子が「平らかな心」を持っているからだろう。姉たちや弟に日常の中で"ドラマ"があったとしても、こと子の生活は変わらない。好きだったお店がなくなっても「万物はみな流転する」と受け入れて、フェアでいる。私はまだ、変わることを恐れてしまいフェアでいられない。けれど、だから、こと子の強さを羨ましく思う。いつか、こんな平らかな心を持った強い女性になれるだろうか。遠い道だとしても、私は憧れを諦めない。
時々考える。私はどんな大人になるのだろうか。大学3年生21歳、もう大人だという人もいるだろう。だけどまだ大人ではないという人もいる。思春期と大人の狭間で、ゆらゆらとしている中途半端な私は、まだ自分がどんな大人になりたいかわからない。けれどひとつだけ、私には大人であるためのポリシーがある。
そのポリシーを作ってくれたのは山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』だ。主人公の秀美は「勉強ができない」がモテる。17歳の彼にとって大切なものは、学校の外にある。そんな彼に対して思うことが、初めて読んだ時と今では違うことに、この間読み返していて気がついた。小学生の私は17歳なんてすごく大人でキラキラしていてかっこよく思っていた。しかし、彼の年齢を越してしまった私は、彼のことをなんだか可愛らしく思ってしまうのだ。彼の目に私はどう映るのだろうか。そんなことを考えながら、私は毎日強い香水を手首に振りかけて外へ出る。
普段私はアイドルをしている。ライブをしたり握手会をしたり、ありがたいことに応援してくださる方と関わる機会が多い。たくさんの方からいただく言葉たちは私の励みになる反面、投げつけられた心ない言葉に触れ傷つくこともある。そんな時に私が思い出すのは梨木香歩さんの『りかさん』のこんなセリフだ。
「どんな『差』や違いでも、なんて、かわいい、ってまず思うのさ」
かわいいと思うことは相手を認めることだと思う。認めることによって、見えてくるものは変わってくる。それでも、どうしてもかわいいと思えない時のために、心の中にいつでも取り出せるような幸せな「かわいい」を温めておこうと思う。
5年後の私、10年後の私はどんな人だろう。未来のことはちっともわからないから、今日も私は変わらない旧友たちのページをめくる。