書評・エッセイ

2019年12月号掲載

軽やかな混沌

ドメニコ・スタルノーネ『靴ひも』(新潮クレスト・ブックス)

角田光代

対象書籍名:『靴ひも』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:ドメニコ・スタルノーネ著/関口英子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590161-5

「第一の書」は、家を出ていった夫に宛てた、妻の手紙からはじまる。「もしも忘れているのなら、思い出させてあげましょう。私はあなたの妻です」というその手紙から、この夫婦の事情がだんだんと見えてくる。
 二十代のはじめに結婚した夫と妻は、結婚十二年目である。二人の子どもがいる。四歳違いの兄サンドロと妹アンナ。どうやら夫は、家の外に愛する人ができて家を出ていったようだ。この愛人は十九歳。そのまま離婚というシンプルな選択にはならず、一か月も留守にしたと思うと夫はふらりと帰ってくる。そのたび妻は、生活が元に戻るのではないかと期待する。しかしそうはならず、夫はまた愛人の元に出ていく。そんな生活が四年も続く。
 この最悪な結婚生活がどうなったか知らされないまま、第一の書はすとんと終わる。次の第二の書に登場するのは、ヴァカンスに出かけようとしている老夫婦である。
 この夫婦はだれ? と読み手である私はじりじりした気持ちで読み進める。さまざまな可能性がある。出ていった夫と若かった愛人? あるいはほかのだれか? 出ていかれた妻と、その後の再婚相手? あるいは――、とめまぐるしく考え、この夫婦がだれであるのかわかってびっくりする。「そんな、嘘だあ!」と私は心のなかで叫んだほどである。そんなふうに、現実の知人にたいするのと同じような反応をしてしまうくらい、第一の書で、この小説世界に浸りこんでしまったのである。
 ヴァカンスに向かう老いた夫婦は、かつてすったもんだしていた、あの二人である。妻が夫を見捨てなかったことにも、夫が妻のもとに帰ったことにも、驚いてしまう。そんなことってあるんだ、と、これもまた、現実の知人に思うように深く感心する。夫の語りによるこの第二の書で、あの奇妙な生活――夫が愛人と妻のあいだを不定期にいききしていた四年間――ののち、何があったのかがわかる。夫に、妻に、子どもたちに、この家族全体に、愛人に、何が起きて、それぞれがどうその日々を過ごしてきたのか。わかってくると、ぞわぞわとこわくなってくる。愛人ではなく家族を選んだ夫の選択は、いったい彼らのうちのだれに平安をもたらしたというのだろう。
 私は最初、この夫はなんと自由で身勝手な男だろうと思っていたが、そうではないと気づいて、そのことにぞっとした。この夫は自身の内に、相反する矛盾を矛盾のまま抱えているだけなのだ。しかもまったく自覚せずに。家族を続けたいが、恋愛に生きてもいたい。自由を欲しながら、束縛を求めている。何も失いたくはなく、何も持っていたくはない。彼はその矛盾にただ、翻弄され続ける。何も決定しないまま。
 いや、矛盾を抱えているのは夫だけではない。夫を糾弾しながら待ち続け、夫に憤怒しながら受け入れた妻もまた、大いなる矛盾を抱えている。さらには、家族、二人の子どもが成長していった彼らの家もまた矛盾に満ちていたことが、第三の書では暴かれる。登場人物のひとりは言う。「この家には、表面的な秩序と、実質的な無秩序があるんだ」。ひとりの人間の抱える矛盾は目に見えないが、この家に満ちた矛盾は、この第三の書でグロテスクなまでに暴かれていく。
 ミステリー小説ではないが、謎を追うように夢中で読み進めてしまう。先へ進むごとに、静かな残酷さが際立ってきて、矛盾をこれほどまでに飼い慣らせる人というものも、矛盾をはらみつつ強度を増す関係というものも、おそろしくなってくる。
 でもこの小説は、矛盾をはらんだ人間、矛盾をはらんだ人生というものを、断じてはおらず否定してもいない。だから、読みながらどれほどおそろしい思いをしようと、人や人生に嫌悪感を持てない。読後感は軽やかですらある。
 タイトルの「靴ひも」は、作中で、あるエピソードで語られるちょっとしたものだが、こんなふうな、日々の暮らしのなかのどうということのないちっぽけなものが、ひとりの人間の内にある矛盾をやわらかく結びつけ、ときに、人と人を強く結びつけることもあるのだと思う。この「靴ひも」のなんでもなさ、重みのなさ、存在感のなさが、軽やかで、どこか明るくすらある読後感と関係しているのかもしれない。

 (かくた・みつよ 作家)

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