書評
2019年12月号掲載
私の理想の女性です。
自著『別れの季節 お鳥見女房』に寄せて
対象書籍名:『別れの季節 お鳥見女房』
対象著者:諸田玲子
対象書籍ISBN:978-4-10-119437-0
私の実家の裏手には小さな山があって、麓はちょっとした公園。子供たちが滑り台やブランコで遊ぶかたわらで、老人たちが日がな一日、のんびり碁や将棋に興じていました。夏の盆踊りは浴衣に兵児帯(へこおび)姿で踊り、大晦日は中腹にあるお寺で鐘をつき、年が明ければ初詣に出かけました。子供のころは大木の洞(ほこら)をくぐりぬけて遊んだり、真っ赤な雲のような蜻蛉(とんぼ)の群れを追いかけたり、団栗(どんぐり)を拾ったり、亡き父と犬をつれて山頂へ登るのも週末の楽しみでした。
今からちょうど二十年前、初めて小説誌で連作シリーズを書かせていただくことになったとき、すでに東京暮らしのほうが長くなっていた私ですが、厳めしい冠木門(かぶきもん)の武家やごみごみした長屋ではなく、小川が流れ、急勾配の坂道や社(やしろ)の森があり、豊かな自然の中で武家屋敷と町家と農家が隣り合っている――そんな江戸の郊外を舞台にしたいと思いました。池波正太郎さんの「剣客商売」では市中と郊外とを小舟で自在に行き来する場面が印象的です。実際、江戸にはいたるところに川が流れていました。田畑があり森があり坂があり寺社があって、四季折々の情緒に彩られていました。私自身が郷愁にかられ、そんな暮らしを懐かしんでいたのでしょう。
江戸の雑司ヶ谷(ぞうしがや)は自然豊かな郊外です。田畑の中を弦巻川(つるまきがわ)が流れて、小さな木の橋を渡れば鬼子母神の社の森。その先には、御鷹部屋御用屋敷がありました。武家屋敷が立ち並ぶ中にはささやかな町もあって、大通りへ出る手前には左右から木々の枝が突き出して昼も仄暗い幽霊坂があります。
この御用屋敷に勤める御鳥見役(おとりみやく)――組屋敷の一軒でつつましく暮らす下級武士――の妻を主人公に選んだのは、会社員の家庭で育った私には親近感の抱ける存在だったからです。あまり知られてはいませんが、御鳥見役は、将軍家の御鷹狩の準備に奔走する役目ながら、裏では各地の情勢や諸家の内情を探る密偵役を課せられることもあったそうです。一見、ありふれた平穏な一家が、お役目ゆえに大小の事件に翻弄されてゆく――それは時空を超えて、私たちにとっても身近な物語であるように思えました。
もうひとつ書きたかったのは家族です。昭和から平成を経て令和へ、私たちの暮らしは大きく変わりました。つい目に見える変化にばかり気をとられがちですが、家族の姿も今や一変してしまいました。老人から子供まで大家族が肩を寄せ合って生きてゆく――そんな家族をぜひとも書きたい、と。
一家を支える要(かなめ)は、なんといってもお鳥見女房の珠世(たまよ)さんです。家を守り、家族を愛しみ、来る者は拒まず去る者は追わず、いつもえくぼを浮かべて両手を差し伸べてくれる珠世さんは私の理想の女性です。珠世さんは「禍福はあざなえる縄」だということを肝に銘じています。ですから他人の幸福を羨まないし、自分の不運を嘆かない。珠世さんのように生きたいと思いながら、欠点だらけの私はとてもそんなふうにはできません。そのせいでしょう、行き詰ったり悲しいことがあると珠世さんに会いたくなります。
小説を書きながら自分自身が癒される、というのは本当にふしぎな経験でした。私にとって本書は「いつも帰りたいと夢みている故郷」のような存在でした。この二十年、折あるたびに「お鳥見女房」の世界へ戻り、珠世さんや登場人物たちに再会して元気をもらい、また次の作品にとりかかるという贅沢なマイペースをつづけさせていただきました。
その珠世さんもさすがに齢(よわい)を重ねました。前作で区切りをつけて次の世代にバトンタッチを、と思っていたのですが、どうしてもその前に書いておきたいことがありました。もちろん珠世さんと源太夫一家のその後、そして時代の大きな流れです。長閑(のどか)な時代から激動の維新へ......親から子、そして孫へ......時代と共に人も変わります。同じところに留まることのできない寂しさは切実で胸が痛みますが、別れの季節は一方で、出会いの季節でもあります。自らの手で「珠世さんのお鳥見女房」を締めくくることができて、今はほっとしています。「お鳥見女房」を愛して下さった皆さまに感謝をこめて、今ひとたび雑司ヶ谷の矢島家にしばし身を置き、名残りを惜しんでいただければと願っています。