書評
2019年12月号掲載
漱石の「新作」が読める
川島幸希『直筆の漱石―発掘された文豪のお宝―』(新潮選書)
対象書籍名:『直筆の漱石―発掘された文豪のお宝―』(新潮選書)
対象著者:川島幸希
対象書籍ISBN:978-4-10-603848-8
初版本コレクター、ことに近代文学のそれに対しては、私たちは一抹の不信の念を持っている。ひとたび入手したら決して他人に見せることをしない狭量の人。奥付の日付がどうの、帯の有無がどうのと些事にばかりこだわって本文をないがしろにする本末転倒の風流人。
なるほどそういう人もいるだろうが、しかし川島幸希氏はちがう。むしろ正反対の世界にいる。たとえば「他人に見せない」うんぬんに関しては、見せるどころか無料で寄贈したこともあるほどで、二年前、新宿区が漱石山房記念館を開館したさいには、開館準備に奔走した早稲田大学名誉教授・中島国彦へ『硝子戸の中』一冊を提供した。
もちろんやみくもに手ばなすのではなく、見識と、熱意と、何より「資料への敬意」に共感してのことだったとは川島氏自身が「日本古書通信」2017年11月号で述べている。ここにいるのは公共意識あふれる私蔵家なのだ。
もうひとつ「些事にこだわる」うんぬんに対しては、さしあたり、氏のこのたび上梓した『直筆の漱石』が格好の反証になるだろう。全体が六章にわかれ、漱石という主題はおなじながら内容がそれぞれ独立しているのは小説で言うなら連作短編集のおもむきがある。ことに好きなのは第三章「シベリアを横断した寄贈本」だ。
「漱石の署名本が纏まって手に入ったから見に来ませんか」と神保町の三茶書房幡野武夫さんから電話があったのは平成十八年春のことであった。一冊でも古本市場に出てくるのが珍しい漱石の署名本が、「纏まって」とは凄い話である。
という身辺雑記ふうの平明な文章で一篇ははじまる。その店へ行ったところ署名はまず漱石のものだったが、つまり贋物(にせもの)ではないようだが、なかには本を入れる箱の裏側(背側)にこれまた漱石自筆の送り状が貼りつけられているものがあり、宛先の名は大谷繞石。おそらく貼りつけたのも大谷自身だが、それにしてもなんでこんなことをしたのだろう。
こんにちで言うなら宅配便の伝票に注目するようなもので、些事も些事、文学の本質とは何の関係もないように見える。だが川島氏はここから岩波版『漱石全集』をひろげ、既成の本文を――誰もが読める文章を――精読するのだ。
さらには漱石の遺体を解剖した東京帝国大学病理学教授・長与又郎の報告書まで援用して、漱石と大谷の友情のありさまを明らかにするその手つきは着実で説得力がある。読者はこの一篇から漱石の交友関係を知り、あたたかく律儀な性格を知り、その文章の美質までも知るだろう。本末転倒どころではない。これこそが文学研究の正道なのだ。
こういう川島氏だからこそ、右の『漱石全集』にも未収録の文章を発見するという離れわざもしてのけられる。くわしくは第六章「奇跡の発見」につづられているが、何しろ漱石は近代随一の人気作家。全集も何度も出ている上、出るたび新資料が追加されて水ももらさぬ偉容を呈している。その全集に未収録ということは、氏の発見は、この地球上にはもう存在しないと思われていた新しい島を発見したというような稀有な快挙にほかならないのだ。
しかもその文章は、原稿用紙で十五枚ほど。島はけっこう大きいのだ。タイトルは「文學志望者の為めに」、初出は雑誌「青年評論」というから、おそらくメディアの性格を考慮したのだろう。漱石はここで若い読者へむけて文学とは何か、作家に必要な資質とは何かなどという本質論をながれるように語っている。ということはこれは厳密には机で書いたいわゆる作品ではなく、口述筆記に属するのだが、しかし漱石はまずまちがいなく発表前の整理原稿に手を入れている。
手入れは力がこもっている。そのことは措辞の正確さ、展開の緊密さからも明らかだ。読者はそこに現代に通じる平明かつ高度な創作入門を見てもいいし、漱石文学の特質の原石をさぐり出してもいい。何しろ本書には全文収録されているから、この「新作」を何度も読むことができる。
あの東京帝国大学での講義をもとに成立した『文学論』をうんと小さくしたようなもの、と見立てることも可能だろう。それにしても若者相手にここまで本気を出すとはと、私など、むしろ筆致そのものに漱石の律儀さを――またしても律儀さを――感じないわけにはいかないのだが、ひるがえして考えれば、読者のために材料を惜しまず、推敲をかさね、丁寧でしかも鮮やかに近代文学の稽古をつけてくれる川島氏もまた相当の律儀者。
あるいは漱石から学んだものか。そういう意味では本書は、私たちが過去の文豪に学ぶ、その学びかたのお手本にもなっている。