書評

2019年12月号掲載

鉄道がなければ存在しなかった感情

越谷オサム『四角い光の連なりが』

吉田大助

対象書籍名:『四角い光の連なりが』(新潮文庫改題『次の電車が来るまえに(新潮文庫nex)』)
対象著者:越谷オサム
対象書籍ISBN:978-4-10-180242-8

 熱心な鉄道ファンである市川紗椰さんのコラムで知ったのだが、日本でいうところの「鉄ヲタ」を、アメリカでは「foamer」と揶揄的に表現するそうだ。その意味は、「鉄道に興奮して口から泡を吹いている人」。
 鉄道(列車)をモチーフにした作品集であることが、装幀やオビ文からも明らかな越谷オサムの最新作『四角い光の連なりが』は、書き手も鉄道ファンであるというシグナルが作中のそこかしこに埋め込まれているものの、泡は出ていない。鉄道にさして興味がない読者の顔や心情を、作者がきちんと思い浮かべているからだろう。そして、鉄ヲタ的な「鉄道と共にある人生」の話ではなく、「人生のある瞬間に訪れた、鉄道にまつわる思い出」の話揃いだから。
 例えば、東北新幹線で運行されている列車名をタイトルに据えた第一編「やまびこ」。三八歳の佐々木真人(「僕」)が初春のある日、東京駅からやまびこ号に乗り込み、故郷である岩手県の一ノ関駅のホームに降り立つまでのわずか数時間の物語だ。窓際の指定席に座った彼は、流れゆく車窓の風景や、同じ車両に乗り合わせた人々の様子をぼんやりと観察。その過程で出合ったモノが、彼の記憶のスイッチを次々に押していく。三三年前に新幹線で初めて東京へ向かった家族旅行、最初の就職に失敗した後のモラトリアムの日々、父が二代目だった実家の写真店の思い出......。最後に現れる慎ましやかなサプライズは、彼の人生行路を一緒に経巡ってきたからこそ、読者に大きな感動をプレゼントしてくれる。電車が記憶のスイッチになるという視点は、第三編「二十歳のおばあちゃん」でも採用されている。東京で唯一の路面電車・都電荒川線の旧車両が、愛知県豊橋市で今も走っていることを知った、七二歳のおばあちゃん。「引っ越していった電車にもう一度乗りたいから付き合ってほしい」。願いを聞いた高校生の孫娘が触れた、おばあちゃんの秘密の記憶とは――。過去と現在が重なり合う幻想的なシーンは、本書随一の美しさだ。
 電車は、人と人との意外な繋がりももたらしてくれる。第二編「タイガースはとっても強いんだ」は、熱烈なタイガースファンの新米会社員・浜野努(「おれ」)が、気になる同期の中井さんを甲子園球場に誘い、二度目の観戦デートを試みようとしているところからスタート。ところが、北大阪急行が地下鉄御堂筋線に乗り入れる江坂駅から乗り込んできた人々の中に、自分が助けなければ誰が助けるのだ、という乗客の声を耳にしてしまう。手を差し伸べたらデートに遅刻は必至。さあ、どうする? かわいい恋物語を書かせたら、越谷オサムは天下一だと再認識させられた佳編だ。第四編「名島橋貨物列車クラブ」は、鉄橋を走る貨物列車を見ることが大好きな小学六年生が主人公。鉄ヲタ仲間の松尾君の他に、優等生の女の子・伊藤萌香さんも「クラブ」活動に参加し始めて――。クライマックスで主人公が目撃する、列車絡みの「初めて見る光景」は、読み手の脳裏にも焼き付けられるはず。
 四編はいずれもあったかくて滋味深い、極上の人間ドラマだ。単に人間を目的地へ運ぶ乗り物というだけではない、電車というメディアの魅力をたっぷり堪能できる。などと感じていたところで現れた、最終第五編「海を渡れば」が途轍もなく素晴らしかった(今から泡を吹きます!)。落語家の匂梅亭一六が独演会で、本題に入る前のまくらを喋り出す。その語りが、「えー」「ヘヘッ」といったノイズも込みで、文字に起こされていくという体裁だ。〈うん、私、一度ね、落語家辞めてんですよ。/ええ、夜逃げみたいなもんです。前座の頃の話です〉。そこから時計の針は巻き戻り、香川の少年が匂梅亭一昇へ会いに東京へ行き、弟子入り志願した顛末と、不遇の前座時代とが語られていく。エピソードの一つ一つがリアリティたっぷりで人間臭く、合間のくすぐりも絶妙だ。本物の落語家のまくらを聞いているような語りに魅了され、この一編が鉄道をテーマにした作品集に収録されていることを忘れかけたところで、ふっと空気が変わりとある列車がクローズアップされる。ドラマのギアが一段上がり、泣いていいんだか笑っていいんだか、なんとも言えない感情が次々に連鎖していく。
 鉄道がなければ、これらの感情、これらのドラマは、この世界に存在しなかった。小説を読んで、人類の発明の歴史に感謝したくなったのは初めてだった。

 (よしだ・だいすけ ライター)

最新の書評

ページの先頭へ