書評

2020年1月号掲載

日本に階級は存在する……

ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本

久米宏

対象書籍名:『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(新潮文庫)
対象著者:ブレイディみかこ
対象書籍ISBN:978-4-10-101751-8

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 文庫化によって、ブレイディみかこさんの発信する言葉が、より多くの日本の人々に届くのは目出度いことだ。
 この原稿は2019年の初冬に書いている。ついこの間、ラグビーワールド杯が終わったばかりだ。決勝戦は南アフリカ共和国とイングランドの顔合わせとなった。
 南アフリカという国は、成立までにかなり複雑な経緯を辿っているが、現在彼の地を走っているクルマが右ハンドルであることを見れば、最終的にはイギリスの植民地であったと考えていい。
 つまり決勝戦は旧宗主国と旧植民地の闘いという巡り合わせになった。南アフリカは負けるわけにはいかなかった。
 私は、数回にわたってネルソン・マンデラ氏にインタビューしていて、以来彼の信奉者となった。当然のことながら南アフリカを応援して、その勝利を密かに祝した。
 敗北したイングランドの話に移る。ややこしいが、ここから先は、イギリスの話だ。
 イギリスはEU離脱問題で、揺れに揺れている。現在、2020年の3月末までに決着がつく、そう言われているが、総選挙もあるし、全ては未だ流動的と思われる。
 更に、イギリスが99年間借り受けていた香港が、いま中国の獅子身中の虫となっている。香港での区議会議員の選挙で、民主派が圧勝したニュースを聞いたところで、この原稿が締め切りを迎えた。
 ブレイディみかこさんは福岡出身、現在イギリス海峡に面したブライトンに住んでいる。お目にかかった時、あたしは海がないとダメなのよ、そうおっしゃっていた。
 そもそも、イギリスと日本はとても似ている。巨大なユーラシア大陸の、西と東の端に僅かな海を隔てて浮かんでいる。
 随分昔に読んだ本を思い出す。ケンブリッジ大学の社会人類学者、アラン・マクファーレン氏が書いた大著『イギリスと日本』だ。苦労して読んだことを覚えているが、その分析は深く記憶に残っている。
 イギリスは世界に先駆けて産業革命を成し遂げ、日本はアジアで最初にそれに追随した。この大著は、膨大な資料を示しながら両国を比較したものだ。
 まず人口問題。共に急激な増大期をむかえ、それを何とか抑制することに成功する。人口を抑えることによって、疫病の過度な蔓延を防ぎ、厳しい飢饉を避けようとした。「清潔」への配慮、茶を飲む慣習等々も両国に共通する。膨大な資料を比較検討した結果、やはり、島国である事が、その共通点をもたらした最大の原因だろうと結論づける。
 この本から大いなる影響を受け、日本とイギリスは似ているのだという考えを持つに至ったが、大きな違いもある。イギリスには、今も強固な階級社会が存在するという事実だ。
 随分若い頃、イタリア製のフェラーリというクルマに食指が動いたことがあった。その時、ある人物からこう言われた。
「フェラーリはね、日本で乗ってもサマにならないよ。あのクルマはね、普段はロールスのバックシートに乗っている人間が、オフの日に高原や海に出かける為に、自分でハンドルを握る、そういうクルマなんだよ」
 それを聞いて思い出した。モナコの高級ヨットが停泊している波止場で、数十台の、ロールスロイスとフェラーリだけの車列を見たことがあった。その夜、一艘の大型ヨットの中で盛大なパーティーが開かれていたのだった。
 ヨーロッパには、階級社会が断固として存在する事を、フェラーリを断念すると同時に、思い知ったのだった。
 日本には、それほどまでの階級社会は存在しない、そう思っていた。だが、ブレイディみかこさんは「日本には、労働者階級という階級意識があまりにもない」と指摘する。そう言えば、一億総サラリーマンという言葉もあった。
 文科大臣が「身の丈に合わせて」と発言した。50代半ばのこの人物の頭の中には、既に日本には確固たる階級が生まれているという認識があるのかも知れない。
 日本に階級は存在するのか。あるのに見ないふりをしているだけなのか。
 若い人たちの「絶望」をあまりにも耳にしているので、大いなる不安が押し寄せてくる。日本経済の行く末も気になってならない。オリンピックの後、酷い景気後退が起きるのではないか、多くの人が懸念している。
 ブレイディみかこさんのエネルギッシュな語り口は、日本人にとって、正に啓蒙なのだ。

 (くめ・ひろし)

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