書評

2020年2月号掲載

思わず指を伸ばしたくなる

伴田良輔 今村規子 山岸吉郎 河西見佳
『懐かしいお菓子 武井武雄の『日本郷土菓子図譜』を味わう』(とんぼの本)

平松洋子

対象書籍名:『懐かしいお菓子 武井武雄の『日本郷土菓子図譜』を味わう』(とんぼの本)
対象著者:伴田良輔/今村規子/山岸吉郎/河西見佳
対象書籍ISBN:978-4-10-602291-3

 こんな画帳が遺されていたのか! 本書をめくりながら、夢まぼろしを見る思いがして興奮が抑えられなかった。
 幼いころ「コドモノクニ」「キンダーブック」でその絵を見かけていた画家、武井武雄による『日本郷土菓子図譜』。和綴じの和紙に、じかに水彩で描いた羊羹、饅頭、煎餅、あられ、飴、豆菓子、餅菓子......全国から集めた百六十九種をスケッチして記録するユニークな画帳である。旅先でこれぞという郷土菓子に出会うたび欣喜雀躍、いくつか買い求めては友人知人に送ったり配ったりするのを愉しみにしている私のような者にとって、武井武雄の水彩による郷土菓子は、土地の物語の入りぐちに立たせてもらうかのよう。それが未知の菓子であっても、扉をそっと押すと、東西の風土やら空気やらお国言葉やら、水彩画のなかからすーっと流れ出てくる心地を味わう。
 このたびあらたに編まれた本書には、贅沢な試みがいくつもある。全三巻におよぶ『日本郷土菓子図譜』の画面をそのまま掲載することによって、画帳と郷土菓子の存在に光を当てる。と同時に、美術家・伴田良輔、虎屋文庫・今村規子、武井武雄の作品を収蔵するイルフ童画館の山岸吉郎や河西見佳、諸氏の目をつうじて、画家の内面や魅力をあますところなく引き出す。ページをめくりながら、とかく地味な場所に押しやられがちな郷土菓子に肩入れしたくなり、食べたい、見たい、知りたい気持ちに火をつける絶妙の塩梅。
 まず、図譜に描かれた菓子をためつすがめつ。東京の「芝神明太々餅」。曲げ物に詰められたあんころ餅の色彩の妙、思わず指を伸ばしたくなる。大阪の「大阪やぐらおこし」。粟おこしと包み紙と意匠箱のポップなコントラストに、浪花の空気がむんむんする。「弘前駄菓」一~五。各見開きいっぱいに配された駄菓子の愛嬌、にぎにぎしさ......冒頭わずか三作で、さっそくもっていかれる。全編にわたって、運筆はあくまでも写実的、デフォルメを嫌いながら菓子の質感や色合いを忠実に捉えて記録しているのに、なぜだろう、ふっと現実を超えて絵空事に見えるときがある。
 このあたりに、武井武雄という画家の創造性の秘密を嗅ぎとる思いがする。童画家として児童雑誌を手がけ、抽象表現による版画、グラフィックデザイン、みずから刊本作品と呼んだ美術作品ほか、とにかく自由奔放な活動ぶり。郷土玩具の研究と蒐集に打ち込み、そののち郷土菓子に着目した。『日本郷土菓子図譜』第一巻の描き始めは昭和十一年、四十二歳のとき。第三巻は昭和十五年から昭和三十三年にかけて。戦時下にありながら、それでも執着した失われかけの甘い菓子は切なさや悔しさの断片でもあっただろう。むろん、各地に散らばる菓子職人の技術、包装や意匠にまつわる文化への思い入れも託されていた。
 でも、手放しで褒めちぎったりはしない。
 余白に、詞書よろしく率直な寸評が記される。
「もう一つもう一つとあとをひく つまる處 胃を惡るくするの菓子也」(名古屋黄金)
「あまきことおどろくばかり 口中むせぶが如し」(新潟無花果甘露煮)
「五色といへど四色なり」(京三條五しき豆)
「いでたち あまりにものものしく こわいであります」(別府柚煉)
「月餅の類と何等異るところなく 個性の全くない菓子」(小倉ぎおん太鼓)
 かと思えば、歯ぎしりしつつギブアップ。
「容色千態千様にて到底その眞を写し得ず この種石菓子のうちにて最も写実的 最も複雑なり」(大磯さゞれ石)
 対象を捉え、即興で描き、空間をデザインし、言葉をあやつる手腕とエネルギー。こんな画家がいたのだ。
 巻末、十八ページにおよぶ懇切丁寧な「今、食べられるお菓子のガイド」付き。武井武雄の貴重な仕事とともに、こうして日本の菓子文化の水脈が保たれることがむしょうにうれしい。

 (ひらまつ・ようこ エッセイスト)

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