対談・鼎談

2020年2月号掲載

対談

「落語の本質」って何でしょう!?

北村薫 × 柳家喬太郎

北村さんの作家生活30周年の会のゲストは、時期を同じくしてデビューした喬太郎さん。
話題は〔芸〕のアレコレから、やがて深奥へ――。

(まず北村さんが登壇、次いで「老松」の出囃子で喬太郎師匠が現れる)

北村 みなさんは今日、矢来町の新潮講座にいらしていますが、〈矢来町の師匠〉というと古今亭志ん朝師匠を指します。私がこともあろうに喬太郎師匠を前にして、新潮社の人に「ああ、矢来町だけに志ん朝高座ですね」と言ったら、その方が「喬太郎師匠の出囃子、老松にしませんか」って。普段、喬太郎師匠の出囃子は「まかしょ」ですね。ご無理を申し上げました。

喬太郎 いえ、とんでもない。こちらこそ有難うございます。

北村 老松の出囃子を聴いたみなさんの胸の中で、いろんなことが去来したと思います。私は、志ん朝師匠の端正な高座姿と同時に、初めて喬太郎さんとお会いして対談をした時のことを思い出しました。あの時、「落語とは何か」なんて話をしました。

喬太郎 そうでしたかね。

北村 今日はその続き、ということになるでしょうか。あの時、喬太郎さんは「やっぱり立ってやるか、座ってやるか。そして洋服でやるか、着物でやるか。そのへんにポイントがあるんじゃないか」みたいなことを仰った。

喬太郎 厳密に言うと、着物でなくてもいいんです。ある師匠と学校寄席へ行ったときの事なんですが、その時に生徒さんへ向けての解説で、その師匠は「落語というのは、『あの着物を着てやる、あれか』と思っているかもしれないけれど、別に着物は着ていなくてもいいんです」と仰っていました。つまり、一人でしゃべりながら、会話で物語を紡いでいけば落語になるわけです。そうじゃない落語もありますが、それはともかくとして、落語は何も着物を着なくてもいいんだという考え方はできます。
 今までもいろいろ試みた方はいらっしゃったんですが、やっぱり着物が一番いいと思います。お客様が安心するのと、それから、僕は新作落語もやりますけれども、着物って古典も新作も全部包み込んでくれます。
 着物を着ていると、もちろん古典落語に登場する男もできるし、女もできる。年寄りも子どももできる。花魁もできる、侍もできる。で、実は着物を着て女子大生をやっても課長をやっても違和感がないんです。洋服を着ちゃうと、現代にしかならない。やっぱり日本人のDNAがそうさせるのか、着物を着て新作落語をやって、「(現代の若者口調で)ああもう、遅えんだよ、バーカ。おまえよう、早くこっち来いよォ」なんかやっても不思議なくらい違和感がない。だから、落語には結局、着物が一番似合っているんじゃないかと思いますね。

北村 お医者へ行って待合室でしばらく待たされて、「はい、どうぞ」って呼ばれて診察室へ入ったら、お医者さんが羽織着て扇子を持っている――これはやっぱり信頼できない(会場笑)。

「くだらなさ」も落語の本質

北村 今日は対談の前に、私のリクエストで喬太郎さんに「綿医者」を演じていただきました。お腹に傷があるので、笑いながらちょっと痛がってる、という場面がありましたね。あそこでアメリカの小噺を思い出しました――マフィアが活躍した時代のシカゴかどこか、非常に荒れ果てた町で、男が腹に弾を撃ち込まれて血みどろになりながら、グアーッと苦しがってるんです。偶然通りかかった人が怖がりながらも近づいて「大丈夫ですか、痛みますか?」と聞くと、男は苦悶の表情で「ええ、笑うと余計痛むんです」。

喬太郎 ああ、いい小噺ですね。洒落てますね。

北村 うれしいなあ。これ、通じない人には全く通じないんですよね。で、「綿医者」という噺、コアな喬太郎ファンの人は先刻ご承知だと思うんですけど、この噺はなかなか独演会とかホール落語などではあまり……。

喬太郎 マクラを除くと正味八分くらいの噺なので、独演会だと短過ぎるんですね。三席しゃべるような場合の独演会で、しかも定期的にやってる場所だと、何回目かに「じゃ、こういう噺も交ぜようか」ってなるんですけど。やっぱり寄席の十五分の寸法でやるのが一番いい噺ですね。

北村 「綿医者」は喬太郎さんが演られたDVDとテレビとでしか見てなくて、生で見るのは今日が初めてなんです。なかなかこの噺、生で聴こうとしても難しいでしょう?

喬太郎 確かに「綿医者」をネタ出しして演るってことはないでしょうね。

北村 実はこの噺、私は知らなかったんです。「喬太郎さんが埋もれた古典を掘り起こして、こんな噺をやっている」と聞いて、うちの落語事典で「綿医者」を引いてみたんです。そこで思わずオッと膝を叩いたのが、これは落語というものの本質のひとつ――本格ミステリーなんかでも、あえてリアリティを無視した作品というのはありまして、その世界の中でしか通用しない。逆に言えば、その世界ではちゃんと通用する小説があります。
 一つぐらいネタバレしてもいいのかな。ずいぶん昔の本格ミステリーの短篇で私が非常に好きなのは、公園にサイコロ型の前衛彫刻があって、外からは決して中へ入れない。ずっとそこに置いてあるんだけど、ある朝、そのサイコロ型彫刻の中で人が殺されている。そんな不可能なことをどうしてやれたんだろう、という本格ミステリーがあるんです。

喬太郎 ほう。

北村 それはね、その前衛彫刻を作った彫刻家が、人びとを驚かしたくて、同じものを作っておいて、中に入って、自分の家に一つ置いていた。わざと雨ざらしにもして、ちゃんと古びをつけてね。で、公園の彫刻と入れ替えて、中にいる俺を見せて、みんなを驚かせようと思って、一年そこで生活してたんです。雨にうたれ風に吹かれて。ところが、運ぶ途中に殺されて、入れないはずの彫刻の中に死体がある、ということになっちゃった。この大いなる徒労。本格ミステリーという世界でなければ成立しない、そんなバカバカしい小説を私は喜んで読みました。でも、好きっていうのは、何でもそうですよね。相撲が嫌いだったら、「なんで、あんなことをやってんだ」(会場笑)。マラソンでもゴルフでも、嫌いだったら「なんであんな」になるでしょうが、好きな人にはもう得も言われぬものがある。
 落語でも、そうじゃないですか。噺に引き込まれて、じっくり聴いていって、最後になって「え?」って、すべてを崩壊させてしまうような噺がありますね。まだ聴いていない方のために内容は伏せますけど、題名だけ言えば「藁人形」だとか「後家殺し」だとか。「後家殺し」なんて、円生さんのあの名人芸の口調に引き込まれていると、一番最後で「ん?」って……。

喬太郎 ふふふふ、そうですね。

北村 徒労というか、それまで積み上げたものを全部壊しちゃう噺なんだけれど、徒労の先に咲く〈空虚の花〉を目指す気持ちも、人間の創作衝動の中にあるんじゃないかと思うんです。私が喬太郎さんの新作を聴き始めた頃に、これも生で聴いたことはないんですけど、CDで「諜報員メアリー」を聴きました。あれも大いなる徒労の噺ですよね。

喬太郎 徒労というと何だか立派に聞こえますが、「諜報員メアリー」は僕が作った噺の中で一二を争うぐらい、くだらない、中身のない噺です。

北村 詳細は言いませんが、噺をあのオチに持っていくために、主人公が次々と奇妙な目に遭っていくわけですね。

喬太郎 ええ、ラストへ向かっていく噺ですから。

北村 あえて、ほめ言葉として「くだらない」と言うのですが、あのくだらないオチから逆算して噺を拵える。

喬太郎 そうですね。

北村 でも、あそこに落語の本質があるのかもしれません。落語の本質って一つじゃないんですね。いろんな人情噺もあるんだけど、「メアリー」は喬太郎さんが落語の本質をグッと掴んでいる噺だと思います。

喬太郎 「諜報員メアリー」でこれだけ熱く語って頂けるとは(会場笑)。

共有財産を増やしたい

北村 で、「綿医者」ですが、これもその〈落語の本質〉に関わる噺ですね。題名通り、医者が体が悪い男から内臓、はらわたを抜いて、代りに綿を詰めたって噺です。
 小説でも、こういうダジャレを発展させたような短篇をいろんな作家が書いています。ニーチェの、あるいは映画「2001年宇宙の旅」のシュトラウスの曲でも有名な『ツァラトゥストラはかく語りき』ってありますね? 筒井康隆先生が、植木等の『スーダラ節』のメロディで「ツァラトゥスータララッタ、ツラツラツイツイツイ」、これをまず思いついて(会場笑)、「火星のツァラトゥストラ」という小説を書かれた。また、吉行淳之介さんに「あいびき」という短篇小説があります。作家と題名が並ぶと、内容のイメージが浮かぶじゃないですか? それを裏切るような、「え、こんなバカなことをやるの?」というオチになる。たぶん、最初は酒場のジョークとして頭に浮かんだんでしょう。しかし、それをジョークで終らせずに、掬い取って一つの作品を作るというのは、人間の営みとして――まあ無駄なんだけど(会場笑)、作家なり落語家なりがそうした作品世界を作りあげるエネルギーに触れることは無駄ではない、と言いますかね。
 で、喬太郎さんも落語事典をご覧になって、「綿医者」というバカバカしくも奇妙な噺に出会って、「俺がこれを復活させよう」と思ったのは、先人のそんなエネルギーに感じるところがあったからじゃないかと。

喬太郎 埋もれた噺の復活というのは、多くの先輩――亡くなった(桂)歌丸師匠や(三遊亭)円窓師匠、(桂)小満ん師匠などがよくやられていますが、やっぱり噺家なら「自分でもやってみたいな」と思うものなんですね。僕の場合は、芸人のいやらしいところで、お客さんが「え、こんな噺知らない。何て噺?」となるのを見てみたいんです。まあ実際は、「珍しい噺が聴けたのはまあ良かったけど、また演られたらヤだな」で終っちゃうことの方が多いんです。けれど、うまく今のお客さん方に面白がって頂けるならば、きちんとした前向きなことをあえて言いますと、われわれの新たな共有財産になるな、と。
 つまり、例えば古典落語が「お、どうしたい」「ちょいと吉原へ乗り込もうってなってよ」なら、新作は「何やってんだよ」「ちょっと飲みに行こうぜつってんのに、こいつがよお」みたいに口調が違いますよね。で、古典の修業をしてきた落語家が新作落語を始めると、高校生がしゃべってるのに、つい「するってえと」とか言っちゃうわけです(会場笑)。これ、本当にみんなが陥るところなんですよ。ならば、新作に行かずとも、埋もれた古典を復活させたら、「やっぱり古典の口調の方がしっくりするよな」って言う仲間の共有財産を増やせるんじゃないか。もちろん、「よくこんなの復活させたね」って、ちょっと褒めてもらいたいという下世話な気持ちもあります(会場笑)。
 じゃあ、どのネタなら復活させられるかなと思った時、「綿医者」は、北村先生が仰ったように、非常にバカバカしいサゲもあって、ものすごく落語らしくていいんですね。「擬宝珠(ぎぼし)」(注・やはり喬太郎師匠が復活させた古典落語)なんかもそうです。ただ、「綿医者」は手術の場面もあって、リアルに演っちゃうとグロテスクになる噺なので、思いっきりマンガにしないとお客さんが気持ち悪くなったり、引いたりする。既にみんなの共有財産になっている古典落語に「犬の目」という噺があります。これも目の手術の場面があるんですが、きちんと落語として成立しています。「綿医者」は、噺がそこまで成長していないので、まだ人に教えられるようなところまで昇華できていないなと思っているんです。

北村 そういう喬太郎さんの試行錯誤があって――今でも十分に楽しい噺に仕上がっていると思いますが――、やがて「綿医者」が新たな古典の一つになるのでしょうね。

喬太郎 「綿医者」を演る時は、自分でも「これ、思いっきりバカバカしいよ。今日の俺はバカバカしいおじさんです」という気持ちで演らないと、噺そのものというより、〈噺家が話して、お客さんが聴いて〉という空間が成立しないと思うんです。大げさかもしれませんが、そういうバカバカしい空間を成立させてくれるネタになると思って、「綿医者」を演っています。

北村 噺にはニン(その落語家の芸風や雰囲気)に合う・合わないがあるので、誰もがこういうバカバカしい噺をできるわけではないでしょうが、ほかの落語家が「綿医者」を演ってくれるようになればまた楽しいでしょうね。

喬太郎 そうですね……でも、面白いぐらい誰も「教えてくれ」と言わない(会場笑)。

噺を教わるということ

北村 喬太郎師匠は今年(2019年)が落語家生活三十周年で……。

喬太郎 私のことはともかく、先生も作家デビュー三十年になると伺いましたよ。

北村 最初の本(『空飛ぶ馬』)は書下ろしでした。三十年前、本を出した頃――と言われると、私はわりと具体的なイメージが頭に浮かぶんですが、喬太郎さんはいかがですか? あの年あの頃にさん喬師匠の門を叩いて、というふうなことを思い出します?

喬太郎 もちろん修業については山ほどいろんなことを覚えてるのですが、実は、「あの頃の日本はあんな時代で」ってことと自分の前座時代がリンクしていないんです。前座の頃は実家から通っていました。二十代半ばになってもまだ親にメシを食わせてもらっていて、微々たる金しか家に入れてなかったんですけど、世間のことを見る暇がなかったんですよね。どういうテレビが流行っているとか……。噂では、トレンディドラマの次に、ジェットコースタードラマみたいなものが流行っていたんですかね。ドラマとかファッション、音楽、漫画、そういうものに関する記憶は面白いぐらい抜け落ちていて、世間とリンクしていないんです。やはり前座の時ってそれどころじゃなかったんでしょうね、こんな僕でも。

北村 私の喬太郎さんに関する最初の記憶は、二十年くらい前になるでしょうか。新聞の落語会評で、ネタバレになるので詳しくは言いませんが、「ハリー・ポッター」のあれ(会場笑。現在は「結石移動症」に改題された喬太郎師匠の新作)が紹介されていたんです。「へえー、そんな才能と度胸のある若手がいるんだ」と思って、喬太郎さんを聴くようになりました。

喬太郎 誰も得しないところへ向かっていった新作でございました(会場笑)。

北村 作家のような商売をして良いところは、今日みたいに普通だったらお話できないような方、遠くから見てるしかないような方と話ができることです。

喬太郎 僕だってそうですよ、先生。

北村 これまでお話をさせて頂いた方の中に、先代の桂文枝師匠がいらっしゃいます。今日現物を持ってきたのですが、ずいぶん前の雑誌、「マンスリーよしもと」1997年10月号に載った対談です。この中でいろいろお話を伺いました。文枝さんから「やっぱり芸は誰かから教わるものです。そして、『これは誰々から教わった芸だな』なんてことも、われわれは聴くとわかります」みたいことを教わったりしました。
 文枝師匠の持ちネタに「猿後家」という噺がありますね。これも細かくは説明しませんが、オチのところで少しずつ違いがあって、ある後家さんが「いったい誰に似てると言うのや?」と訊くのへ「ようヒヒ(楊貴妃)に似てはります。またしくじった」まで言うのと、「ようヒヒに似てはります」と切るのと、ただ「ようヒヒに」で落とすのと、三つあるんです。つまり、「突き当りまで言わないとわからないお客がいるから」という判断もあるでしょうが、私は「ようヒヒに」だけでサゲるのが、余韻もある終り方で一番好きなんです。そういう細かな点も含めて、客層やお客の反応などを見て、演じ方を変えたりなさいますか?

喬太郎 すると思います。自分のことなのに「思います」というのは、わりと無意識に変えたりもしているので。寄席なんかですと、こういうお客さんが多いなとか、今日はこういうのがお好きなのねっていうのでネタを決めるんです。それで、もちろん外れちゃう時はあります。「あ、こっちじゃなかったな」と気づいても、まだマクラならともかく、噺に入っちゃっていたら、もうどうしようもない。あとは噺の中で、間を延ばすとか詰めるとか、台詞を刈り込むといったことを瞬時瞬時にやらないといけないわけですね。
 ちょっとお話を取っちゃうみたいになりますが、今のお話を伺って思い出したことがあります。ある上方の先輩に伺ったのですが、三代目師匠、つまり先代の桂春団治師匠は常に一言一句変わらない噺をされる方でした。東京でいえば先代の桂文楽師匠みたいに、本当に一文字もゆるがせにしない、時間もピッタリ決まっていて、内容も研ぎ澄まされて、そのかわり持ちネタは少ない師匠。そういう芸の師匠が、大阪の賑やかなホールで漫才の中に挟まって落語を演った。「早う何かオモロイことやれ」みたいな雰囲気の客が大勢いる前へ出て行って、春団治師匠は必ずウケるんですって。しかも、十日間毎日「野崎詣り」を演ったというんです。客は毎日違っても、結局は同じような客層なのに、「野崎詣り」でウケる。で、その先輩が前座仕事をしていて、生意気ながら、「師匠、なんでこんなに毎日ウケはりますのん?」って訊いたら、一言ポソッと「戦ってますからな」。

北村 カッコいいですねえ。

喬太郎 ねえ。それで先輩は驚いて、「えっ、いつもとおんなし『野崎詣り』やん」と思ったそうですが、翌日から注意して高座を聴いてみたら、あの時計のように精確な春団治師匠の噺が毎日コンマ何秒くらいに、微妙に間を違えていたと。今日のお客にはこの間だって、その場その場で変えながら喋ってたんですって。
 米朝師匠も必ずウケるんだそうですが、米朝師匠の場合は、「今日はどんな客やろ?」ってマクラで小噺とかネタをいくつかポーンポーンと、池に餌を放るみたいに放っていく。そうしておいて、「お、こっちに食いついてきたか。じゃ、今日はこの噺か」と入るから米朝師匠はウケる。で、私が「文枝師匠は?」って訊いたら、文枝師匠はいつも同じように演って、ウケない時は普通にウケなくて、で、高座から下りてくると「今日はワヤやな!」(会場笑)。それでおしまいなんですって。この三人の在りようは、みなさん素敵ですよね。僕、「ワヤやな」って仰る文枝師匠も好きなんです。それを思い出しました。

北村 お仕事を真似してアレなんですが、一時、春団治師匠の真似をしていたことがあるんです。「え、ようこそのお運びさまで篤う御礼申し上げます。相も変わりません、バカバカしいお噂をば申しあげまして、すぐさま失礼させていただきます。ここに大家(たいけ)の若旦(わかだん)はん……」(会場拍手)。

喬太郎 先生、すっごい上手い。春団治師匠、重い口調だけど意外と早口なんですよね。

学校寄席ではウケなきゃいけない

北村 推理作家は、どこか気質が似通うところがあるんでしょうかね、阪神タイガースファンと落語ファンがけっこう多いんです。落語ファンだと、東野圭吾さん、逢坂剛さんなどがいらっしゃいます。逢坂さんなんか、「僕は小学生の頃、講堂で全校生徒の前で落語をやって、満場をうならせたんだ」「何やったんですか」「うん、柳亭痴楽の『幽霊タクシー』で講堂中をひっくり返した」。

喬太郎 うわー、また。

北村 「幽霊タクシー」というのは作者が鶯春亭梅橋さん。

喬太郎 小痴楽だった梅橋師匠の前の梅橋ですね。

北村 この鶯春亭梅橋さんは非常にインテリで、都筑道夫先生の実のお兄さんです。「幽霊タクシー」というのはその方が作った面白い新作落語で、一部を紹介しますと、すごい雨の夜に池袋でタクシーに乗って「新宿まで」と言う。篠突く雨の中を車はダーッと走っていく。すると、見通しの聞かない大雨の夜、ちょうど池袋と新宿の真ん中あたりまで来た時に、おばあさんがいきなりライトの中へ飛び出してきて、アッ! 停める間もなく、おばあさんはバーンとぶつかって、体が軽いものだからクーッと宙に飛ぶ。見るとおばあちゃんは逆さになって、ケタケタケタと笑った――それもそのはず、池袋から新宿に行く途中で、そこはちょうど「逆さのババ(高田馬場・たかだのばば)」だった(会場笑)。
 あとは意外なところで、関西の推理作家の法月綸太郎さん。法月さんは子どもの頃、落語家になりたいと思ってたんですって。「どうしてならなかったんですか?」と訊いたら、ある時、米朝・枝雀二人会に行ったんですって。枝雀さんの落語を聴いて、子ども心にも「この人は超えられない」と思って落語家になるのを断念した、と。

喬太郎 では、推理作家だったらみんな超えられると思ったんですね(会場笑)。

北村 多分そうです。「ああ、こっち行きゃ大丈夫だ」(会場笑)。だから、枝雀さんがいなかったら法月綸太郎は落語家になっていた。――でも、米朝は超えられると思ったんですかね。

喬太郎 恐ろしい子どもですねえ(会場笑)。

北村 さきほどの文枝師匠の話されたことに戻りますが、やっぱり落語家さんは、噺を誰かから教わったという形を取らないといけないわけですね。

喬太郎 ええ、特に若いうちはそうです。真打になってからも本来はそうなんです。昨日、今人気の若手真打が、「兄さん、お稽古をお願いします」「え、俺があんちゃんに教えるの?」ってやり取りがありました。これから実際に稽古することになっています。あえて名前を出しませんけど、もう売れっ子の方なんですよ。それでもやっぱりきちんとお稽古へ行くんだ、偉いなって思いますね。
 ある程度のキャリアを積んでくると、本当はいけないんですけど、「きちんと誰かに稽古つけてもらって、その人の前でさらって、あげて(演じる許可を)もらわないといけないのは重々承知しているけど、みんな忙しいよね。一門の噺だったらいいよね?」みたいな部分も、なくはないです。

北村 名人円生の有名な話で、あの人もネタ数が多いのが誇りでもあったから、何か珍しい噺を知っている若手を呼んで、教えてもらった。その若手を上座に座らせて、自分が下座に座って「よろしくお願いします」と。もう若手も大変ですよね。へどもどしながら語り終えると、円生が「じゃ、これで習いましたヨ。あなたより上手くやりますが、ようがすか?」。

喬太郎 ふふふ、そこが三遊亭の……。いえ、なんでもありません(会場笑)。

北村 あるいは談志さんなんかは自分のやる噺について「ここは誰々、ここは誰々」なんて解説めいたことを言う。確かに、この噺はあの人のこの部分、この人のあの部分をちょっと使いたいな、なんてことはあると思うんです。

喬太郎 はい。

北村 誰かに教わるということと、「別の落語家のあれを入れたい」ということは、どうやって両立させるんですか。

喬太郎 うーん、上手く言えないんですけど――。噺はちゃんと習わないといけないんですが、うちの大師匠(五代目柳家小さん)とか昔の師匠方の芸談を読むと、「この噺は誰それさんのを聴いて覚えた」とか「長く楽屋にいりゃ覚えちまうよ」とか言って演り始めた噺がけっこうあるんですね。
 じゃあ、なんで習わなきゃいけないかっていうと、われわれの世界では「習わずにやるのは泥棒だ」となっているんです。ただ、「芸は盗めよ」とも言うんですよね。それと、僕らは前に回って、つまり客席で聴いちゃいけないんです。お芝居の人とかは、チケット買って別の劇団の芝居を観に行って、「観に来たよ」なんて挨拶したりするのに、僕ら落語家は、基本的には前へ回って聴くのはまことに失礼になる。だって昔、あの三遊亭円朝が真打になって、弟子をとったんだけれど、その弟子は円朝のところを辞めて、ほかの師匠のところへ行った。「あいつ、どうしてるだろう」と気になって、円朝は寄席へ行って、客席の端の方でこっそり聴いてたんですって。そしたら、それが見つかって楽屋へ引きずり込まれ、元弟子の前で謝らされたって話があるんです。それぐらい、前へ回っちゃいけない、というのはわれわれの不文律なんです。

北村 そこはかなり厳しいんですね。

喬太郎 ええ。その代わり、例えば独演会の時、「勉強に来ました」「おお、入りな、入りな」つって、もちろんお金なんか取らないで楽屋へ入れてくれて、「袖から聴いてな」って、高座袖から見せてもらえる。稀に、「あんちゃん、今日は前に回っていいや」って言ってくれて、やっと前に回れるんですよ。こっそり前に回るのは泥棒になる。
 それとは別に、「芸を盗む」のはいいんですよ。談志師匠の仰った、「うー、ここのところは志ん生だな。これは円生。うー、文楽師匠はこう演ってましたな」(会場笑)なんていうのは、芸を盗んだからできる。
 本で読んだんですが、談志師匠が「らくだ」のオチを変えたことがあります。ストーリーの最後、酔っ払った願人坊主の頭をボカボカ殴りつけて、「痛ぇ、痛ぇ、コブができたじゃねえか」「らくだにコブがあるのは当たり前だ」ってサゲ。このサゲを考えたのは、先年亡くなられた円歌師匠(先代)だそうです。楽屋話か何かしている時に、円歌師匠が「こんなのどうだい?」って、自分ではそんなにいいと思わなかったんでしょうね、照れくさそうに言ったら、談志師匠が「兄(アニ)さん、それ、やらせてもらっていいかな」。改めてお酒だか何だか持って行って、正式に許可を頂いて、そのサゲを演るようになった。そういうのを黙ってやっちゃうと、やはり泥棒になるんです。そこは礼を尽くさないといけない。これ、どこで線引きするかというのは非常に難しいんですけど。
 志ん生師匠は、お稽古を頼まれると、くすぐりを全部抜いて教えたって逸話があるんですよ。志ん生師匠って、噺にくすぐりをいっぱい入れてるんですけど――ほとんどは初代三語楼の作ったくすぐりらしいんですが――、それは意地悪をしているようにも取られかねないんですが、「ア、アー、こういうものはァ、ええ、自分で工夫をするもんでェ、噺は教えてやるけれども、そういうものは工夫といって、これは、アー、自分でこしらえるんだよ」(会場笑)ってことだと思うんですよね。

北村 では、他の方の落語を聴いていて、自分は持ってる噺なんだけど、あの一言は欲しいななんて思ったら、やっぱり何か持って挨拶に行かれる?

喬太郎 ええ。でも、ズルなんですが、なんとなくやっちゃう時はあります(会場笑)。ネタによりますが、例えばうちの師匠からきちんと習った噺があるとして、習った時には入っていなかったものがある。他の師匠方がその噺を演る時――一人でなく、複数の師匠方が演る時に入っているものだったら、「あ、ちょっと演らせてもらおうかな」って入れることはあります。

北村 やっぱり、いい台詞とかありますからね。

喬太郎 はい。あと、ウケる台詞。絶対にウケなきゃならない現場ってあるんですよ。例えば、今日最初にチラッと話題に出た学校寄席。学校寄席って、落語に興味のない生徒さんに聴いてもらうわけです。
 そりゃ、十代の子が落語なんてまったく聴きたくないですよ。目の前に、そんな子が五百人いる(会場笑)。そこへ聴かされた落語が本当につまんなかったら、その子たちはもう一生聴かないでしょう。だからこそウケなきゃいけないんですよ、学校寄席って。「何か知んねえけど、ジジイがやるもんだと思ったら、めっちゃめちゃ面白かったよ」という印象を残せたら、五百人の中の一人でも二人でも、そのあと落語を聴いてくれるようになるかもしれない。とある人気者の兄さんも言っていました。「学校寄席、行きたくなきゃ行かなきゃいい。文句言うんだったら行くな。ただ、行くんだったらウケてこい。若い子に初めて落語を聴かせるんだから、面白いと思わせなかったら意味がない」。
 そういうところで、マクラとかくすぐりで習っていない台詞やギャグを――われわれの言葉で〈つかみ込み〉っていうんですけど――、つかみ込みをやってしまったりすることはまあ、なくはないです。

北村 最近、新潮社の雑誌ではないんですが、「オール讀物」に「古今亭志ん生の天衣無縫」という短篇小説を書きまして。

喬太郎 おお!

北村 それで、去年おととし入ったような若い編集者の方に、「落語って聞いたことありますか?」なんて取材したんです。そしたら、本物の寄席へは行ったことがないけれど、学校寄席の経験はある、と。で、学校寄席のことをどう表現したかというと、「学校に落語の先生が来て話してくれました」(会場笑)。これ、「落語の先生が来た」って、落語家が来たことですが、こういう言葉の使い方はなかなか思いつかないですよ。あ、これいただきだなと思って、小説の中に「落語の先生が来た」を使ったんですが、そういうふうに自分の中から出てこないようなこの言葉、この言い方をもらうってことは作家もよくしていることです。
 しかし、きちんと噺を教わった、稽古をつけてもらった場合でも、それを自分の言葉として話せるかどうかは別のことですよね。ずいぶん昔、私がまだ二十代の頃だったか、NHKで落語の特集番組があって、非常に残酷な試みをしていました。円生さんの弟子が小噺を一つ演る。そのあとに円生さんが同じ小噺を演ってみせるんです。「横丁の佐兵衛さんが」って、お弟子さんが演っても全然面白くないんですよ。円生さんが演ると、いま同じ小噺を聴いたばかりなのに異様におかしくなる。この歴然たる差。

喬太郎 そういうことはどうしてもあります。落語家の宿命ですね。

落語のミュージカル化も!

北村 喬太郎さんはウルトラ世代で、ウルトラ怪獣の出てくる新作落語などを作っておられます。実際の高座へは行けなかったんですが、DVDで拝見しました。私はずっと年上で、ウルトラ世代ではないんですよ。さん喬師匠のひとつ年下です。さん喬さんはウルトラマンは?

喬太郎 うちの師匠は今、七十一なんですが、ウルトラマンとか特撮の話をしたことはありませんね。かといって、こちらが忖度して、怪傑ハリマオとか月光仮面の話もしたことはないです(会場笑)。うちの師匠、ああ見えて、意外とクレージーキャッツ好きだったらしいですよね。

北村 私はウルトラ怪獣をよく知らないんですね。昔、高校の教師をやっていた頃、演劇部のアライ君という生徒と喋っていたんです。某先生の話題になって、私が「某先生はナントカで」と言ったら、アライ君が「あのジャミラはさ」と言った(会場笑)。

喬太郎 風貌が浮かびますねえ。

北村 私はわかんないわけですね。「何、ジャミラって」「ウルトラ怪獣ですよ、先生」「ウルトラ怪獣? 某先生はそのジャミラっていうのに似てるの?」。そしたら、アライ君が「先生、僕の口から……そんなことは言えません」といって両肩をぐっと上げた。

喬太郎 はいはいはい(会場笑)。

北村 ジャミラってそんなに有名なんですか。

喬太郎 ジャミラはですね……(羽織を着たまま頭からかぶってジャミラの真似をする)。

会場 おおー(拍手・笑)。

喬太郎 先生、これがジャミラです。あの頃、僕たち世代の男の子は、みんなセーターを伸ばしてジャミラになって、親から怒られたものです。でも、これはかわいそうな怪獣なんですよ。また死に方もね、スペシウム光線でもって一発でバンッてやられるんじゃなくて、水に弱いから、ウルトラ水流って水で徐々に死んでいくんです。泥まみれになりながら……ああ、ジャミラ切ない! ジャミラ、ヒドラ、シーボーズは切ないですね。

北村 ウルトラマンもそうですが、喬太郎さんはご自分の好きなものを新作の中に取り入れていく。一方で、例えば思い入れの深い古典落語として折々に語られる噺に「井戸の茶碗」がありますね。

喬太郎 うちの師匠に入門しようと思った当時、さん喬の噺で何が大好きかっていうと、「井戸の茶碗」と「棒鱈(ぼうだら)」の二席だったんです。「井戸の茶碗」は早い段階で習ったんですけど、「棒鱈」は僕の中で〈さん喬の不可侵領域〉みたいになっていまして、まだ習うのに勇気がないというか、畏れ多く思い過ぎてるところがあるんです。小さんの「猫の災難」と、さん喬の「棒鱈」、それに「井戸の茶碗」にはそんな思い入れがありますね。

北村 にもかかわらず、ミュージカルにした。

喬太郎 あ、「歌う井戸の茶碗」ですか?(会場笑)

北村 噺は古典のまんまなのに、いろんな歌を入れてミュージカルになっている。傑作でした。

喬太郎 あれには深い理由がありまして、もともと自分から作ってやろうとしたわけではなくて、「歌う落語会」というものに出たんですよ。僕は「歌の入る落語を」って言われたんで、「妾馬(めかうま)」とか「野ざらし」とか「愛宕山」とか、都々逸を歌ったり、小唄を歌ったりする噺をするのかなと思っていたんです。「俺、『野ざらし』ぐらいしか持ってねえなあ」なんて呑気に構えていたら、どうもそうじゃなくて、桃太郎師匠は「子ほめ」の中で裕次郎を歌おうとか、権太楼師匠は「一人酒盛」の中で「東京ホテトル音頭」(作詞作曲柳家喬太郎)を歌うぞとか、さっぱり意味のわからないことを言い始めてるわけです。ちょっと追い込まれまして、ならば落語に歌をいっぱい入れてみようって、「歌う井戸の茶碗」を作ったんですよ。あれは、昔の美空ひばりなんかの時代劇ミュージカルみたいなのをやりたかったんですね。「歌ふ狸御殿」とか「鴛鴦(おしどり)歌合戦」のような、なぜここで歌うんだ、なぜ踊るんだ、みたいな軽いノリの時代劇のストーリーに「井戸の茶碗」は合ってしまったんですねえ。

北村 あれ、ホントに面白いですよ。美空ひばりの「車屋さん」を「くず屋さん」に変えたものとか、たくさん喬太郎さんの歌が聴けて、儲けたなあと思う(会場笑)。

喬太郎 有難うございます。実はこないだ、その延長で「居残り佐平次」に十曲入れたんです。

北村 えーっ? それはCDなんかで聴けますか?

喬太郎 著作権の問題があるのでCD化は非常に難しいんですけど、「居残り佐平次」の場合は歌に縛りをかけて、全篇クレージーキャッツの曲でいったんです。クレージーの元歌をほぼ変えずに「居残り佐平次」は表現できるんです。あの噺は日活で、フランキー堺主演で「幕末太陽伝」として映画化されたわけですが、僕は本当に今でも、なんで東宝は映画化しなかったかなあと思っているんです。植木等主演で「ニッポン居残り野郎」(会場笑)なんか作ってくれてたらなあと。あの噺、佐平次は植木等で、女郎屋の主人がハナ肇、妓夫(ぎゅう)太郎が谷啓、一緒に遊びに行く四人(よったり)が犬塚弘、石橋エータロー、桜井センリ、安田伸、花魁が淡路恵子で全部成立するんです。で、これはクレージーの歌だよなって演ったら、極端に言うと、全篇台詞無しでもいけるぐらいパチッと嵌ったんです。

北村 それは聴きたいですねえ。

喬太郎 そのうちまた演りますけど、ただこの噺の最大の弱点は、演ってる本人しか楽しくないってことで(会場笑)。

北村 そんなことはないでしょう。

喬太郎 今年の正月二之席の鈴本の夜のトリで演ったら、満場のお客さんがポカンとしていました(会場笑)。また演るにはちょっと勇気が要るんですけど、そんなことを考えたり思いついたりした以上、実践しないと意味がないんですね。批判は甘んじて受けて、真正面から傷つくという作業をしていかないと、面白いことは昇華していかないと思っているんです。だから、相当傷ついてきましたし、「傷つくことが仕事だ」みたいな感じでやっていた時期もあります……あー、いい話だ(会場笑)。

北村 今日は落語について、プロ中のプロである喬太郎さんをお招きしまして、いろんなお話を伺いました。本当にお忙しいところを申し訳ございません。

喬太郎 いえ、とんでもない。

北村 何よりも三十周年おめでとうございます。

喬太郎 それはお互い様でございます。おめでとうございます。

北村 これから喬太郎さんは次の高座へ向かいますので、拍手でお送りしたいと思います。

喬太郎 有難うございました(会場拍手)。


 (きたむら・かおる 作家)
 (やなぎや・きょうたろう 落語家)

最新の対談・鼎談

ページの先頭へ