書評・エッセイ

2020年2月号掲載

両親の本棚

新潮ミステリー大賞優秀賞受賞作
『箱とキツネと、パイナップル』を書くまで

村木美涼

対象書籍名:『箱とキツネと、パイナップル』
対象著者:村木美涼
対象書籍ISBN:978-4-10-353091-6

 中学生までずっと、すぐ目の前が海という家に住んでいました。
 と言っても、造船所があって大きな漁船が何隻もあってという、きれいな風景とは程遠い、ごちゃごちゃとした海です。思いついたらすぐ釣りが出来るという利点はあるのですが、ちょっとの高潮で玄関先まで海水が上がってしまい、学校から帰ると家に入れないということも何度かありました。
 生まれたときから住んでいた家なので思い出も多いのですが、両親の本棚のことを、とりわけ鮮明に憶えています。二人ともミステリー好きで、主に国内のミステリーが、本棚にはびっしりと並んでいました。
 漁業が盛んで、クラスの子どもの大半が、父親の職業は漁船員という土地柄です。私の父もまた、遠洋船の乗組員でした。今と違って、何ヶ月も続く航海の暇つぶしに持って行けるものは、本くらいという時代です。加えて、母も大の本好きとなると、家の中に本が増えてしまうのはもう、自然現象のようなものだったのでしょう。
 その大きな本棚のある部屋で、私は幼稚園の頃までよくお昼寝をしていました。
 布団に入ってから寝付くまで、背表紙にあるタイトルを順に読み進むのですが、幼稚園児ですので、まだ平仮名しか読めない。わかる文字と言えば、「の」とか「と」だけです。それでも、何が楽しかったのか、いつも上から順に読んでいました。そして、真ん中より少し下の段まで来ると、『わるいやつら』というタイトルに行き着く。それだけは全部読めます。ここまで来ると、いつもちょっと得意でした。半世紀近くも前の話ですが、当時の私は、『わるいやつら』というのが小説のタイトルで、しかも上下巻に分かれていることまで知っている、数少ない幼稚園児の一人だったのです。
 そんな環境で育ちましたので、家の中に本があるのは、茶わんやお箸があるのと同じ感覚です。漢字が読めるようになると自然に、そのへんにあるものを手に取って読み始めていました。本棚にあるミステリーがまだ難しいうちは、学校の図書室にあるミステリーをどんどん読みました。
 お小遣いとは全く別枠で、読みたいと言えば買ってもらえたこともまた、読書の幅を広げることに大きく役立ちました。ただ、幅が広がったのはいいのですが、中学に上がる頃になると、両親の本棚にはもう興味を失っていました。「親と同じものなんか読めるか」と、すっかりSFにはまり込んでしまったからです。反抗期ということもあったのでしょうが、それすら本絡みなのですから、今から思えば我ながら健全というか、微笑ましくすらあります。
 吸収することに特化しているのが、この年頃の頭や心だと思います。それだけに、当時読んだ本が、その後の私の考え方に、大きな影響を与えた可能性が高い気がします。今現在に至るまでラストシーンが頭から離れない、眉村卓さんの『思いあがりの夏』を読んだのもこの頃のことです。社会派と言われるようなきっちりしたミステリーの魅力も十分承知しつつ、眉村さんが短編で書くような、日常からちょっとだけ逸脱した不思議な世界にも強く引かれてしまう。何か書くたびに「ミステリー?」と言われるのは、どうもこの辺りに端を発しているのではないかと、最近では考えています。
 高校入学と同時に高台の家に引っ越し、もちろん両親の本棚も一緒に引っ越しているのですが、不思議なことに、思い出すのはいつも海辺の家にあった本棚の様子です。カーテンを閉めて、柔らかい明るさになった部屋で、布団の中から見た本棚ばかり思い出します。
 そんな思い出深い海辺の家ですが、もうずいぶん前に、家自体はなくなってしまいました。慣れ親しんだ海岸線も、東北地方を襲ったあの大津波のせいで、今ではすっかり違う風景になってしまっています。それでも、私が今こうして小説を書いているのは間違いなく、あの家にあった本棚から始まっている。だからこそ、背表紙の文字やロゴの詳細まで、よく憶えているのだと思います。
 東日本大震災の直後、避難している人たちの疲れ切った顔をテレビ画面越しに見ながら、今はまだそれどころじゃないかもしれないけれど、時間が経って少し落ち着いたら、この人たちはどんな本が読みたいと思うのだろうと、ずっと考えていました。
 今でも時々考えます。
 あの日の翌朝、ニュース映像には決して映らなかった光景を目の当たりにしてしまった人たちの心に、どんな小説が寄り添えるのだろうなと。
 もしかすると、それもまた、「ミステリー?」と言われる、理由の一つなのかもしれません。

 (むらき・みすず 作家)

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