書評・エッセイ

2020年3月号掲載

ミレニアム以降の世界

ポール・オースター『サンセット・パーク』

上田岳弘

対象書籍名:『サンセット・パーク』
対象著者:ポール・オースター著/柴田元幸訳
対象書籍ISBN:978-4-10-521721-1

 これまでインタビューを受けてきて、読んできた先行作家について聞かれることは多かった。けれどそういえば、オースターについてあまり語っていなかった。多分その名前を出したのは、一度だけ。とても長いインタビューで、僕の本棚があるテレビ番組で映り、インタビュアーの方がそれを見ていて話題にしたからだった。本格的に小説を書き始める前のある時期、とても熱中して読んだというのに、なぜかすぐにその名前が出てこない。なぜかと改めて考えてみれば、僕はある時オースターから離れようとほとんど無意識に内心でそう決めたからだ。
 僕が本格的に小説を書き始めたのは、二十代前半の頃だ。書こうとしてもなかなか筆が進まなかった僕は、西武線の安アパートに籠って、学校にもいかず小説を読み続けた。ほとんどは図書館で借りたものか、中古屋で投げ売りされていたもの。古い印刷、ところどころ白濁した文庫本のカバー、チョコレートみたいなかすかな匂い。訳も古かった。それが時の洗礼を感じさせて、読書の興奮をあおる。意味が取りづらいことも味があってよかった。
 その内古典だけだと飽き足らなくなって、現代アメリカ文学を読んでみようと思った。挑む気持ちがあったことはよく覚えている。その時に手に取ったのがオースターだった。文庫になったばかりの『偶然の音楽』。ポーカーゲームで大敗して、シーシュポスの神話を思わせる徒消的な壁づくりに従事する男の話。極めて現代的であり、同時に神話的だった。これまで古典ばかり読んできた僕にとって、端麗な訳が衝撃でもあった。それから『リヴァイアサン』を読み、『ムーン・パレス』を読んだ。オースターの登場人物の多くは社会のクレバスみたいなところにはまり込んで、普遍的な神話的な世界の深層に触れる。夢中になって読んだが、やがてオースターから離れたのは彼が僕の書かなければならない小説の近くに立っていたように思ったからだ。
 本書、『サンセット・パーク』でも、登場人物の多くはクレバスにはまり込んでいるか、あるいはその縁でなんとかこらえている。多くの才能を持つ優秀な若者だったマイルズ・ヘラーは家族から遁走し仮の生活をしているし、その友人であり、マイルズの消息を家族に伝える報告係であるビング・ネイサンは、たまたま電気もガスも止められていない「忘れられた空き家」に仲間とともに不法に住み着く。その住人の一人である、エレン・ブライスは大学生の頃にふけった少年との性行為の果てに妊娠をし、その後に自殺未遂をして以来、まっとうな人生に戻れていない。名声を極めたのちに、「ただ消えたい」と嘯く小説家レンゾーや、家庭と自身が経営する出版社の存亡の縁に立たされている、マイルズの父親であるモリス・ヘラー。別に食うに困っているわけではない。けれど、登場人物の誰もが不足感を抱え、自らが自らに課した役割を演じきれずに惑っている。その様は、現代と現代人の肖像そのものだろう。都市を徘徊するゴーストたち、出口のない、温い監獄。
 けれど、ゴーストであり続けるには、作品の核であるマイルズ・ヘラーは若すぎた。いや、二十歳そこそこで出奔した彼は、自分自身に役割を課すこともまだしていなかった。その通過儀礼を果たしてからでなければ、正しくゴーストにはなれない。いかにもオースター的な仕掛けである「忘れられた空き家」を経由して、その地点へとたどり着くことができるのか。それがページをめくらせる駆動力の一つになる。
 作中で何度も第二次世界大戦後の復員兵を描いた『我等の生涯の最良の年』について言及される。世界的な大惨事が終結したばかりの今・ここが底であって、そこから日常への回帰にいくばくかの痛みはあれど、しかし基本的にはここから世界はよくなっていく一方のはずだという希望。その先に読者である我々にとっての今がある。
 実際、今はどうなのだろう? 発展はしている。そのことは間違いない。取り扱える情報は爆発的に増加し、あらゆる分野での生産性が向上した。けれど半面、世界は艶を失って、全体の効率のために我々の生が供されているのだというあけすけな真実がいつも目の前にあるように思えてしまうのはなぜか。
「これが我等の生涯の最良の年のなれの果てというわけさ」と作中の作家、レンゾーは言う。
 ミレニアム以降、今も続く息苦しさが本作には重く鎮座している。

 (うえだ・たかひろ 作家)

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