書評
2020年3月号掲載
父ドナルド・キーンの遺したもの
ドナルド・キーン『日本文学を読む・日本の面影』(新潮選書)
対象書籍名:『日本文学を読む・日本の面影』(新潮選書)
対象著者:ドナルド・キーン
対象書籍ISBN:978-4-10-603851-8
父ドナルド・キーンの最晩年、七年七カ月の歳月、寝食を共にし、私が言うのも妙だが、人並み以上に父と子の関係だったと思う。九十歳を過ぎても体力知力に際立って優れた父と一緒の時間を過ごし、いつか来るべき日は来るだろうと思いつつ、特に最期の半年、覚悟はしつつも、思えば父の死はやはり突然だった。父が、「僕は本を読めなくなったら、書けなくなったら、死んだ方がましです」と言ったことを思い出す。夏に体調を崩し、九月初めに入院したが、死は入院半年後に一度も家に帰ることなくやってきた。読むこと、書くことが命だった父にとって、それができなくなって半年後、九十六歳八カ月で鬼籍にはいった。2019年2月24日朝6時21分だった。
その七カ月後、私はニューヨークで、父が生まれ育った、私が頼んでもなぜか連れて行ってもらえなかったブルックリンの家と、卒業したジェイムズ・マディソン高校を訪ねた。その時私は胸が熱くなり、思わず嗚咽を漏らし、同行の女性を驚かせてしまった。高校の玄関ロビーには、優れた卒業生を顕彰するパネルがあり、そこに父の写真もあった。卒業生には七人のノーベル賞受賞者がいた。
父は、「僕は、日本文学研究者です。学者です。教師です。そして日本文学の伝道師です」とよく言っていたが、父の遺した仕事の量や広さ、深さは計り知れない。日本についてだけでなく、基本には欧米の文化芸術や歴史に対する深い知識や理解があったが故に、父の理論や説明は、揺るぎない自信(その自信を決して外に表すことはなかった)から発せられた言葉であり、確かな説得力があった。
『日本文学を読む』は、1971年から1977年にかけて新潮社の雑誌「波」に六十七回連載された。父は四十九歳、それは『日本文学史:近世篇』に着手しはじめた頃で、五十四歳まで続いた。「あとがきにかえて」において、「文学者としての眼」という言葉を使っているが、近現代の作家四十九人の作品を読み込み、ひとりひとりを、高い見識と感受性豊かなその「文学者としての眼」によって記している。そこにはドナルド・キーンによる、従来の日本文学研究者とは一線を画する多くの新鮮な発見や発掘がみられる。たとえば、評価の低い詩人の西脇順三郎について、「欧米の詩人に劣らないほど大きな存在だと私は信ずる」と指摘し、「T・S・エリオットよりも国際的であって普遍性もある」と根拠を示して断じている。
父の本棚にある中央公論社版『日本の文学40:林房雄・武田麟太郎・島木健作』の巻を取り出し、武田麟太郎の小説のページをめくってみた。それは明らかにこの原稿を書くために読んだと思われる。ほとんどすべてのページに傍線と英語のメモが付されていて、克明に読んだことの証しだ。三島由紀夫が解説を書いているが、これも丹念に読んだことがはっきりと見て取れる。そしてこの原稿の最後を、「(武田麟太郎に)もう一度ゆるぎない地位を与えてもいいのではないか」と締めくくっている。
また父の遺した『日本文学を読む』(1977年11月刊)がやはり本棚にあり、手に取ると一枚の葉書が挟み込まれていた。萩原延壽(のぶとし)氏からで、
"『日本文学を読む』、ありがたうございました。さつそく讀みはじめ、おもしろくて中途でやめることができず、とうとう終りまで讀み通しました。なによりも、じつに丹念に日本の文學作品を讀んでおられるのに驚倒しました。(中略)「中原(中也)の詩に一番欠けているものは恐らく『悲劇』そのものであろう」――たとえば、この御指摘は、中原ファンである(いや、あつた?)私には、じつに enlightening でした。"
とある。このように父の論考を読むことで、読者によってさまざまな啓発や発見があるに違いない。
『日本文学史』というライフワークと並行して、膨大な量の作家の作品を読破し、一回あたり見開き二頁の原稿に、しかも日本語でまとめあげた手腕と能力には"驚倒"してしまう。作家それぞれのエッセンスが見事なまでに凝縮され、実に分かりやすくまとめられた名文であり、入門書としても最適だと思う。この名著が、没後一年を経て復刊されたことを喜びたい。
なお、『日本文学を読む』の枡目原稿用紙に正確な日本語で書かれた肉筆原稿は、幸い、当時の編集者によって大切に保存され、現在は東京都北区立中央図書館に収蔵されている。
『日本の面影』は、1992年春、教育テレビの「NHK人間大学」における十三回の講義録である。コロンビア大学を定年退官し、約二十五年の歳月を費やした『日本文学史』を書き終えたばかりの頃だった。「源氏物語」、「徒然草」をはじめ、能、浄瑠璃、芭蕉、谷崎と川端、太宰と三島など、独自の慧眼で丁寧に語られている。日本文学、日本文化について特色や歴史を広く俯瞰し、実に読みごたえがあることに驚かされた。
この放送に先立ち、十三回分の講座テキストが、日本放送出版協会(現在のNHK出版)から発行されている。これは日本放送出版協会の道川文夫氏が、北区の父のマンションに通い、音声録音したものをまとめられたと聞く。父は下書き原稿を用意することもなく、淀みなく語ったという。父の教え子たちから、「先生の授業はなにもご覧にならずになさいました」と聞いているが、まさにその通りだ。父の端倪すべからざる記憶力をここにも見ることができる。
『日本の面影』は、父の遺した多くの仕事の精髄を、自らが語る「ドナルド・キーン入門講座」と言ってよいのではないか。これまでどの単行本にも著作集にも収録されなかったもので、新潮選書に収録されることを、父は心から喜んでいると思う。
この講義によって、「視聴者に感動を与えた」として、NHK放送文化賞を受けている。日本文学・文化の海外への伝道者としての父の最大の業績とは、実は、日本人自身が、日本文学・文化を再認識し、また誇りに思い、勇気づけられたことではなかっただろうか。
*本稿は『日本文学を読む・日本の面影』「解説」より転載したものです。
(きーん・せいき ドナルド・キーン記念財団代表理事)