書評・エッセイ

2020年3月号掲載

私の好きな新潮文庫

大学生と読む三冊

石田千

対象書籍名: 『和解』/『海からの贈物』/『三四郎』
対象著者:志賀直哉/アン・モロウ・リンドバーグ 吉田健一訳/夏目漱石
対象書籍ISBN:978-4-10-103001-2/978-4-10-204601-2/978-4-10-101004-5

①和解 志賀直哉
②海からの贈物 アン・モロウ・リンドバーグ 吉田健一訳
③三四郎 夏目漱石

 週にいちど、大学生と本を読む。
 神奈川にある東海大学の授業は、五年めになった。いつまでもへっぽこで、専任の先生がたのような講義はできないので、若いころに読んだ小説やエッセイを再読している。
 五十をすぎて読みかえしてみると、気づくことがたくさんある。すっとばして読んでいたころも、なつかしく思い出せる。だから、みなさんが五十になったとき、再読が楽しめるように、いま読んでおくといいよ。
 教室の若いひとたちは、春でも秋でも、わかったようなわからないような、ふーんという顔で読んでいる。勝ち気だったり、やんちゃだったり、留年したりしていても、みんな素直で、おもろい。思っているけど、声にならない。そういうことを、なんとか文章で伝えたい。
 おおきな大学なので、文系の学部だけでなく、建築やスポーツを専攻しているひとも来る。恋愛や、親子関係や進路、情報が増えて世のなかは便利になるいっぽうだけれど、悩みはむかしとあんまり変わらない。
 テキストは、かならず版を重ねている文庫本にする。本を手に持ち、ページをめくることじたい、忘れかけているひとも多い。出費をさせるけれど、図書館やスマホの閲覧ではなく、じぶんの本を持つようにいう。文庫本は、ジーンズとおなじだからという。
 はいて洗ってをくりかえすと、穴があいたり、色が落ちたり、じぶんだけの味のあるジーンズになる。それとおなじで、くり返し、めくって線をひいて折って読んでいけば、じぶんだけの一冊ができる。読み返せば、学生のころの心境も浮かぶ。
 昨年は、新潮文庫から三冊を読んだ。
 志賀直哉の『和解』は、高校いらいの再読だった。母校の裏手に、志賀直哉の親友の、武者小路実篤の邸宅があったこともあって、白樺派は国語の課題図書としていろいろ読んだ。

img_202003_17_1.jpg  高校のころは、主人公の順吉のまっすぐな気質とおこないに、振りまわされるように読んだ。いまは、意固地な息子に手をやく父上のほうに肩いれしたり、手賀沼時代の志賀と武者小路そのままのやさしい交流もいい。
 授業では、対立と和解をテーマにみじかい小説を書いてもらった。親子の和解を書いたひとも多く、大団円で全員が涙するという場面が多かったのは、あきらかにテキストの影響だった。わかったようなわからないような顔をしているけれど、みんな涙する熱を持っている。
 エッセイは、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』だった。
 原文の知性と、吉田健一の見事でそっけない訳に、教室にしぜんに、敬意をもち耳を傾ける深い呼吸が生まれた。

img_202003_17_2.jpg  平成の大学生のころには、よくわからなかった。勤めはじめて、恋愛や結婚に迷うと、通勤電車で読みかえしたのがこの本だった。令和の大学生も、恋愛中のひと、進路が決まったばかりの四年生が、行く末をみさだめるような目をして読んでいた。
 ひとりになる時間の大切さが一冊を通して書かれているので、スマホを手ばなし、ひろいキャンパスに散策に出て、エッセイを書くことにした。わずか一時間だけれど、スマホがなくてこわかった、不安だった。はんたいに、子どものころの自由な探検の時間を思い出したというひともいた。
 夏目漱石は、毎年一冊かならず読んでいて、昨年は『三四郎』だった。
 日本より頭の中のほうが広いでしょう。心に残る一文をたずねると、この広田先生のことばをあげるひとが多かった。いまもむかしも、若いひとは、目を合わせて話のできる大人をさがしている。
 西洋化のすすむ明治の東京のせわしないようすが描かれ、オリンピックが近づいて町のようすが変わるいまは、再読の好機だった。
 三四郎がインフルエンザにかかっていたのはすっかり忘れていた。このことばが明治のころからあったんだねえと、みんなでおどろいた。

img_202003_17_3.jpg  百年まえの大学生も、おんなじようなことを考えていたのがうれしかったという感想をきいて、安堵した。情報も乗りものもどんどんはやく、複雑になる。けれど、心臓の鼓動はいまもむかしも変われない。
 大学の時間は、多くの学生にとって、大勢で一冊を読むさいごの機会になる。
 読みこんでよれよれになった文庫本が、よい思い出になったらうれしい。

 (いしだ・せん 作家、エッセイスト)

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