インタビュー

2020年4月号掲載

『野村克也の「人を動かす言葉」』刊行記念インタビュー

野村さんの想いを胸に

甲斐拓也

2月11日に急逝した野村克也氏が遺した「人を動かす言葉」とは何か――。今や球界を代表する捕手にして野村氏以来、43年ぶりに「ホークスの背番号19・捕手」を継ぐ甲斐拓也選手が、最新刊の感想を語ります。

対象書籍名:『野村克也の「人を動かす言葉」』
対象著者:野村克也
対象書籍ISBN:978-4-10-353271-2

「お互い、似ているね」

――今季から、甲斐さんがホークスでは43年ぶりとなる捕手の「19番」を背負う矢先に飛び込んできた、野村克也さんの訃報でした。

甲斐 本当に驚きました。昨年、背番号変更が決まってから、野村さんに直接報告できていなかったんです。2月になってキャンプに入れば、そこでお会いできるのかな、と思っていましたから。
 今回の本で、今季から僕が19番を背負うことに触れてくれていますね。最後の「大いに期待しているよ」というメッセージは、有難いと同時に、身の引き締まる思いでした。

――同じ箇所で野村さんも書かれていますが、甲斐さんは高校時代から、野村さんの著書を読まれてきたそうですね。

甲斐 僕がキャッチャーを始めたのは、(楊志館)高校2年からです。上達するには練習はもちろん、色々勉強しないといけないと、本を読むことにしたんです。すると、自然に手に取っていたのが野村さんの本でした。キャッチャーの神様のような方ですからね。実際に読んでみるとためになることばかりで。それ以来、手放せなくなりました。
 いつかお会いしたいなと思っていたのですが、2017年7月、東北楽天ゴールデンイーグルスとの試合で仙台に行った際、テレビの仕事で来ていた野村さんとお話できたんです。偉大な存在だけに緊張しましたが「野村さんの本をずっと読んでいます」と言うと、喜んでくださって。同じホークスでキャッチャー。野村さんはテスト生で僕は育成という一番下からのスタートで、母子家庭。「お互い、似ているね」と仰っていました。
 その後もキャンプ取材や対談などでお会いして、「いつか君にホークスのキャッチャーとして19番をつけて欲しい」と言って頂いて。それだけに、19番のユニフォーム姿を、野村さんに見て欲しかった。どんな表情をされるのか、そしてどんな感想を言われるのか、すごく気になっていただけに、訃報に接したときは、残念でならなかったです。

――今作では、言葉の力、とくに人を動かすために効果的な言葉とその使い方について、ご自身の経験をもとに野村さんが書いています。

甲斐 言葉をテーマにした野村さんの本はこれまでにもありましたが、「私が言う『言葉の力』とは、『人を動かす力』である」という今回のテーマとそれぞれのエピソードは、自分の経験と絡めて読んでも、改めて「なるほど、そうだな」と思うことが多かったですね。
 もう一つ、これまでの野村さんの本とは違うな、という印象を受けたのは、エピソードが細かくて、何年のどの試合で、バッターが誰で何球目がどうなってと、非常に細かく描写されている点です。さすがに僕は、野村さんの現役時代は知りません。でも、当時の時代背景なども詳しく書いてあり、読んでいて、本当に楽しかった。

「評価は他人が決める」

――では、本書の中からいくつか、印象に残った言葉を教えて頂けますか。

甲斐 やっぱり僕もキャッチャーですから、野村さんが古田敦也さんに言った「お前の出す指の向き一つに、選手の生活と球団の未来がかかってる!」です。
 初めてお会いした時、野村さんから、
「困ったら外角低め」
「キャッチャーは観察・洞察・判断」
「右目でボールを見て、左目でバッターの仕草を盗め」
 という、キャッチャーの極意を教わりました。このポジションは、ここまで要求されるというのは、その後、経験を重ねていく過程でよく分かりました。それでも野村さんは「功は人に譲れ」です(笑)。
 でも、厳しいことや辛いことばかりではなく、野村さんがこの本で書いているように「野球に監督はいても、実際ダイヤモンドを舞台にドラマを導く脚本家は捕手なんだ」という面白さもあるのが、このポジションの魅力ですね。

――甲斐さんは帽子の裏や道具などに「人はヒト」と書かれていますが、これはどういう意味があるんでしょうか。

甲斐 育成の頃、コーチに言われた言葉です。その頃の僕は、「こいつがいるから」とか「あいつが何している」とか、すぐに他人を意識したり羨ましがったりすることが多かった。育成でも指名は低かったですし、体も大きくない、そんな思いもあったのでしょう。そんな時、コーチから「いいか、人は人やぞ。他人のことなど気にせずに、お前は自分のやるべき練習をしっかりやれ。そうすれば誰かが必ず見ていてくれる」と。それからですね。自分なりにできるようになっていったのは。
 この本でも野村さんが書いていますね。「その人間の価値や存在感は、他人が決める」。他人が下した評価こそ、自分の評価だというのは本当にその通りで、頑張っていい仕事をしていれば、必ず誰かが見ていてくれるんだと思います。

「母ちゃんを大事にしなさいよ」

――似ている、というところでもありましたが、野村さんが野球選手になったのは、お母さんに楽をさせてあげたかったからでした。甲斐さんもそうですか。

甲斐 僕は二人兄弟で、兄も僕も野球をやらせてもらえたんですが、女手一つで育ててくれた母親は、本当に苦労したと思います。
 でも、野村監督のお母様のご苦労はそれ以上だったんですね。今までもお母様について書かれたことはありましたが、今回はずいぶんと詳細で、何度も病気になるなど、初めて知るエピソードが沢山ありました。
 お母様に家を買ってあげるという時に、とにかく豪華な家を、と思う野村さんに、「親の好きにさせてくれるのも、親孝行だよ」という言葉は胸に響きました。こちらが一方的にするのだけが親孝行ではないんだなと。親がしたいことを叶えてあげる、というのも親孝行なんですね。
 ただ、母親のためにやってきたというのは僕も同じです。この本の中で、監督時代の野村さんはスカウトに対して、選手と両親との関係にも注目するように言っていたと書いてあります。「親孝行な選手は出世する」という野村さんの言葉が出てきますが、僕もその例にもれないように、頑張ります。

――最後に野村さんにお会いしたのはいつですか。

甲斐 2019年2月のキャンプでした。その時に言われたのは「母ちゃんを大事にしなさいよ」と。今思えば、「母ちゃん」とは母親と妻、両方を指して仰ったのではないかと思うんです。
 この本では、野村さんの妻、沙知代さんとのエピソードも収録されています。読んでみて、改めて思ったのですが、野村さんにとって沙知代さんは、お母様と同じくらい、大切な存在だったのだなということが分かりました。選手、監督として、最高のパートナーでもあったんですね。沙知代さんへの最後の別れの言葉は、ぐっとくるものがありました。

――野村さんは、甲斐さんについて「勝った試合でも、悪かったところをしっかり反省をする。とても大事なことだ」とよく褒めていましたね。

甲斐 いやもう、反省しかないですよ。なんであんな配球にしたんだろう。どうしてあそこで打てなかったんだろう。そればかりです。仮に勝っても、気分良く帰る日なんて、年間数試合です。
 2019年シーズンでいえば、勝って気持ちよく帰宅したのは、同じ育成出身の千賀(滉大)と、ノーヒットノーランを達成した試合(9月6日)だけです。「言い訳は進歩の敵」と、よく野村さんが仰っていましたが、言い訳でなく反省してきちんと次に生かす、これです。
 今季も目指すはリーグ優勝・日本一ですが、天国にいる野村さんに、ホークスの19番・捕手として恥じない選手になれるよう、努力を怠らず、精進していきたいと思っています。(聞き手・編集部)

 (かい・たくや 福岡ソフトバンクホークス選手)

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