書評・エッセイ

2020年4月号掲載

『Shall we ダンス?』で描けなかった異世界

二宮敦人『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』

周防正行

対象書籍名:『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』
対象著者:二宮敦人
対象書籍ISBN:978-4-10-350292-0

 僕の作品を全部観ているという編集者が「書評してほしい本がある」と連絡をくれたとき、こっちは書庫で断捨離に追われていた。壁をぶち抜いた広い空間につくりつけの巨大な書棚が三本。一か月後には立ち退かなければならないのに、なにせ助監督時代から集めてきた映画のための資料を詰め込んでいるので、らちがあかない。
 気は急(せ)くものの、送ってもらったゲラも気になる。書評を引き受けた理由の一つは、そこで描かれている大学生たちの社交ダンス(技を競い、審査され、順位をつけられるので「競技ダンス」と呼ばれる)の世界にかつて興味を持ったことがあるからだ。学生服姿で激しく優雅に踊る大学生たちの姿は強烈だった。残念ながら『Shall we ダンス?』には入れられなかったが、二宮敦人さんはそこに対象を絞り、奇妙でとんでもなく熱い「体育会競技ダンス部」という異世界を音声やにおいとともに描き切っている。
 僕は映画で異世界を描くとき、序盤に異世界の掟へのツッコミを盛り込む。本作も同じだ。入部すると即座に問答無用で「亀仙人」、「種馬」、「鯖味噌」といった通り名をつけられるとか、試合中にどんなに激しく踊っても髪を揺らしてはいけないという決まりがあるとか、ダンスでもコンビを組み私生活でも恋人になるふたりのことを「カップルカップル」と呼ぶとか。
 絶対嫌だと思っていた世界に不純な動機でうっかり足を踏み入れ、そのまま深みにはまっていくのも僕が異世界譚を描くときの手だ。お坊さんの世界が舞台の『ファンシイダンス』も、大学相撲がモチーフの『シコふんじゃった。』もそう。本作を読み進めていくと、どうやら二宮敦人さんの場合、実体験がそうだったらしい(釈明希望)。
 自称・運動音痴で中学、高校と美術部だった二宮さんは大学で先輩(女性ふたり)の勧誘を受ける。「美術部出身者が有利」「初心者でも活躍できる」とのことばにふらふらと仮入部。すると、そこに待っていたのは、〈手を繋ぐのは当たり前。両手を絡ませたり、場合によっては腰をがっつり掴んだり、半身がぴったり重なったり、太ももと太ももが擦(こす)れあったりする。その上、男女比がはっきり偏っていて、男の三倍は女性がいる。男というだけでちやほやされるのだ!〉という世界だった。だが、二宮さんは〈なんという不純な部活! と思いきや、煩悩は意外にあっさり消えてしまう〉と書く。その理由こそが本作の醍醐味。どうかご自身で読んで味わってください。
 異世界を描いた奇妙なタイトルと不思議なカバーの本作だが、変わっているのはそこだけではない。二宮青年が学生競技ダンスに身も心も捧げ尽くした大学時代(過去パート)と、その十年後(現在パート)が短い間隔で交互に描かれていくのだ。作家になった二宮さんは、社会人になった同期や先輩後輩と次々に会い、彼らが当時どんなきもちで踊り、今どう思っているのかを確かめていく。過去パートは仮入部から時系列に沿って描かれ、そこで登場した人物の現在がテーマに応じて描かれる。二宮青年は上達の階段を昇り、二宮さんは気づきの階段を昇る。そうやってこれだけの人物を混線することなく描き分けるのは技量と根気の賜物だが、これが独特の味わいを生んでいる。今の地点からあの頃の自分を辿り直すことで、単なる青春ものではなく人生を、しかも他人のそれではなく読み手自身の来し方を振り返らせるような効果があるのだ。
 書庫の断捨離をしていると、興行的には期待したほどではなかった『シコふんじゃった。』が封切後にものすごい数のレビューに恵まれていたことを改めて思い知らされたりしてこれまでの道程に思いを馳せたものだが、本作も学生競技ダンスという極めて狭い世界のフィールドワークであると同時に、かつての自分へのフィールドワークにもなっているといえる。
 人生はえてして理不尽なものだが、体育会系競技ダンスの世界でも同様。たとえばシャドーという残酷な制度があるのだが、この憂き目にあった部員たちが十年後、二宮さんに吐露した言葉が感慨深い。特殊な世界で一生懸命やっている人を見つめ続けていくと、やがて普遍へとつながっていくのだ。
 映像化への道筋も思い浮かんだ。人物をぐっと整理して思い切りフィクションに、と話したとき、目の前にいた編集者の目が光った。「監督、キャスティングは?」。僕は我に返って、口を閉じた。キャスティングより先にやらなければいけないのは......書庫の断捨離だ。

 (すお・まさゆき 映画監督)

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