書評・エッセイ

2020年4月号掲載

祈りに近い何かを

小林裕美子『2人目、どうする?』

小島慶子

対象書籍名:『2人目、どうする?』
対象著者:小林裕美子
対象書籍ISBN:978-4-10-339053-4

 不妊治療の末に40歳で第一子を出産した著者は、ふと「2人目が欲しい」と思い立つ。相談すると夫は無理をしなくても、という。子供が1人増えれば、かかるお金は当然増える。それにまた、体外受精の費用がかかるのだからと。夫婦共に40代。子供が成人するときは60代。それだけでも将来大変なのだしというのも頷ける。しかし著者は欲しいと思う。そこで、凍結してあった胚盤胞を体に戻すことにするのだが......。
 2人目を持つと決めた人、持たないと決めた人、著者はいろいろな人の話を聞いて考える。どの話にも説得力がある。いろんな事情がある。思いがある。お金、キャリア、子育てのオペレーション、夫婦関係......読みながら思い当たることがたくさんあった。
 子どもを持つということは、お金や時間の配分などの生活の変化を受け入れることだ。また、妊娠する人にとっては、自分の体に起きる変化を受け入れるかどうかの選択でもある。その点では、夫とは違う。彼らは情報によって親になるが、妊娠・出産をする人は体験によって親になる。自身の命が他者の命を内包するという特異な体験である。わずか10ヶ月のうちに、共生を受け入れ、関係を育み、分離に至る。その間、体は意思とは関係なく自然の摂理で変わり続ける。
 私は9歳年上の姉が出産したときに義兄に尋ねてみた。
「父親になるってどんな感じ?」
「うーん、どんな感じって言われても、いきなり目の前に赤ん坊を差し出されて、はいこれあなたの息子ですよと言われても......本当に俺の子なのかなって」
 義兄の答えはあまりにも率直で、当時まだ大学生だった私はショックを受けた。でも自分が親になってみて、なるほどなと思った。父親にとって、子どもを持つということは自分を取り巻く環境と自身の役割に関する情報が書き換わるということである。つまり腕に抱いた温かな命を我が子だと納得するだけの情報がもたらされたときに、自分にはこの命を預かる責任があるのだなと学習するのだ。これはこれで難しい作業だ。
 中には「赤ちゃんが僕から妻を奪った」と被害感情を持つ夫もいる。他者(妻)の体験(出産)によって自分の生活に大きな変化がもたらされたのだから、自分は権利を侵された側であり、そのことへの相応の配慮や報酬があって然るべきだと考えるのだろう。
 子供の誕生を自身の体験ではなく、あくまでも他者の体験の結果もたらされた情報の書き換えとして捉える男たちに、著者のような切実な命との対話を望むのは難しい。もちろん、だからと言って親になれないと言っているのではない。ただ、この本に綴られているような迷いや不安や焦りを経験しているのは圧倒的に女性が多いことは事実だろう。それは女性が直面する社会的な障壁の多さによるものでもある。産んだらマミートラックに乗せられてしまうのではないか、保育園に入れなかったらどうしよう、いいママをやらなくちゃ、ワンオペ育児がきつすぎる......。
 考えた末にどうしても2人目が欲しいと思った著者は、凍結してあった2個の胚盤胞のうち、より妊娠率が高そうな方から体に戻すことにする。しかし思うような結果が出ず、あまり期待のできない2個目を体内へ。妊娠が判明し、小さな命の宿りに喜びを噛み締める著者。この辺りの身体感覚や心の動きの描写は、平易な言葉で染み入るように綴られており、読み進めるうちに眠っていた妊娠の記憶が呼び起こされた。自分の中に、自分ではない誰かがいるようになったことの奇跡。体の変化と、それに伴う感情の高まり。そして著者は、そのあと明らかになった受け入れがたい事実を前に、命について思考を深めていく。
 ほのぼのとしたタッチの漫画だが、人には語れない不妊治療の辛さ、終わりのなさについても切々と綴られている。こんなにお金をかけたのだから何としても妊娠したいという思いと、授からないかもしれない子供にお金をかけるよりも、今いる我が子のために貯蓄するべきなのではないかという思い。期待と失望に心が引き裂かれる。
 夫婦とは不思議な関係で、互いを誰よりも思い合う関係からスタートして、ともに人生のプランを描き、子供ができたら、同じ人を愛する同士となる。喧嘩もするし、すれ違いもたくさんあるけれど、命をめぐる会話を通じて、他の誰ともシェアできないものを、祈りに近い何かを分かち合える間柄なのかもしれない。その豊かさに触れたくだりは、読む人の胸に温かい光を灯してくれる。男性にも是非、読んで欲しい一冊である。

 (こじま・けいこ タレント、エッセイスト)

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