書評
2020年5月号掲載
亡くなる直前まで手を入れていた本
山本博文『「関ヶ原」の決算書』
対象書籍名:『「関ヶ原」の決算書』
対象著者:山本博文
対象書籍ISBN:978-4-10-610859-4
この一文で書き出すことが、まだどうしても腑に落ちない。釈然としない。悔しくてなりません。
本書の著者、東京大学史料編纂所教授、山本博文さんが三月二十九日にがんで亡くなりました。享年六十三。あまりにも――早すぎる死でした。
昨年末、『決算!忠臣蔵』という映画がヒットしました。堤真一さんとナインティナインの岡村隆史さんが出演するオールスターキャスト映画です。興行収入は十億円を突破、岡村さんは日本アカデミー賞授賞式でも話題を呼びました。
その原作が山本さんの『「忠臣蔵」の決算書』でした。「忠臣蔵」を資金面から考察するという類のない同書をもとに、監督の中村義洋さんが山本さんと綿密に打ち合わせを重ねて脚本を執筆、軽妙でありながら、義士たちの真情を描いた作品の完成となりました。
撮影現場を訪ね、各地で講演を行い、初日舞台挨拶を客席から眺めていた頃、山本さんの高揚した面持ちには病気の影などまるでありませんでした。『「忠臣蔵」の決算書』に続く本書『「関ヶ原」の決算書』の執筆が軌道に乗り始めた昨年春頃は意気軒昂といってよいくらいでした。
「お金で歴史を考えてみるというのはなかなか面白いものだねえ。発見があるよ」
いつもダンディで端然としていらっしゃるのですが、シャイな一面もある山本さんが、本書の構想を話す声には弾むような響きがありました。
本書の冒頭、山本さんはこう書かれています。
「戦争をするのに莫大なお金が必要なのは古今東西を問わない。近現代であれば、ハイテクの艦船や戦闘機、戦車などの装備費が戦費の中でも巨額を占めるだろうが、実際の軍事行動では兵員の移動費や糧食費などにも多くの費用がかかってくる。
戦国時代から近世始めにかけての合戦でも同様である。装備費=武具の調達のほかに、軍勢の移動費や糧食費にお金がかかった。特に、大規模な合戦では、お金の使い方は総力戦的であったろう。経済力の差が戦力の差に表れることになる」
学者としての本分を守りながら、書けるギリギリまで書こうという山本さんの端正な文章は、お人柄そのものであった気がします。
さらなる構想もありました。江戸時代の始まりを告げる「関ヶ原」の後は、「明治維新」を決算するかなと仰っていたのです。
しかし、それは叶いませんでした。本書の校正を終えた三日後、山本さんは天に召されました。最後のメールは三月二十六日十六時三十分、「ありがとうよろしく」とのみありました。
最後の最後まで仕事に注力されたお姿には感謝と畏敬の念しかありません――でも担当編集者としてはどうしても申し上げたいことがあります。
先生、もっと、お仕事をご一緒したかったです。
(きたもと・たけし 新潮社編集者)