書評・エッセイ

2020年6月号掲載

書評

令和が引き継ぐ未完の「第三の憲法体制」

待鳥聡史『政治改革再考 変貌を遂げた国家の軌跡

清水真人

対象書籍名:『政治改革再考 変貌を遂げた国家の軌跡
対象著者:待鳥聡史
対象書籍ISBN:978-4-10-603854-9

img_202006_12_1.jpg

 衆院選を小選挙区主体にした選挙制度改革(狭義の政治改革)。内閣機能を強化し、中央省庁を再編した橋本行革。法曹人口増や裁判員制度で国民的基盤を模索した司法制度改革。権限・財源の国からの自律性を高めた地方分権改革――。  一九九〇年代にこれら「国のかたち」の大変革がなぜ、連続して起きたのか。同時になぜ、「こんなはずではなかった」想定外の帰結をも、もたらしたのか。これが本書の問いだ。
 筆者は足で稼いだ情報を積み重ねるジャーナリズム。待鳥氏は政治制度論から大変革の全体像を読み解くアカデミズムで、手法は異なる。だが、『平成デモクラシー史』(ちくま新書)で統治構造改革から同じ時代の検証を試みた者としては、より包括的な分析に「してやられた」思いが第一だ。
 同時に「これを書くならこの人しかいない」との予感が的中した妙な爽快感もある。平成から令和へ移りゆく現代日本政治を俯瞰する必読のテキストが誕生したのは間違いない。
 筆者の予感は二〇〇五年春、当時の小泉純一郎首相による劇的な郵政解散の直前に遡る。待鳥氏は「中央公論」四月号に「小泉長期政権を支える政治改革の成果」を寄稿した。
 小選挙区制に伴う候補者公認権など政党党首への集権化。橋本行革の経済財政諮問会議の創設などによる首相権限の強化。これらが自民党の派閥割拠の秩序を破壊し、首相主導体制への「政治権力の大変革」が進行中だ、と看破したのだ。
 首相主導を個人の資質より「明らかに理詰めの変化」だと言い切ったアカデミズムの最初の論考だった。独断専行の小泉流を「異端」「変人」と決め込むベテラン政治記者たちはあらぬ罵詈雑言すら浴びせたが、小泉番の筆者はわが意を得たりだった。制度変革のロジックの切れ味は忘れられない。
 小選挙区制下で政権交代も起きた。その前後の混乱期を経て、首相主導を安倍晋三首相が加速する。派閥抗争が消えた自民党は中公論文の結論通り「完全に変容してしまった」。
 半面、現野党勢力は次の政権交代を訴える迫力を欠く。安倍一強への挑戦者は現れず、官僚も首相に人事権を握られ、忖度に汲々とする。権力集中は行き過ぎてはいないか――。
 改めて本書は、選挙制度改革と橋本行革の「有権者からの明確な負託を受けた政治指導者が、より広く大局的な視野からマクロな方向性を打ち出し、それを強力なリーダーシップによって個別の政策へと具体化していく」狙いを見据える。
 衆院選での政権選択と、選ばれた首相への権力集中を両輪とする「多数決型デモクラシー」への傾斜、とも言えよう。
 橋本行革は「縦割り行政の打破」を目指し省庁再編も推進。大蔵省の財政・金融部門は分割したが、これも「官僚制の影響力の低減」と見るなら、首相主導体制に通じていた。
 続く司法制度改革は裁判の迅速化や法曹人口の拡大、裁判員制度で「司法を有権者や企業にとって身近な存在にする」ことを目指した。国民的な基盤を広げる先に「政権与党からの自律性の強化」も視野に入れた。これは権力集中とは真逆だが、「司法の独立性」は立憲主義国家に不可欠の要素だ。
 残る地方分権改革も併せ、九〇年代半ばに一連の改革後に「想定されていた新しい政府のあり方」を本書はこう描く。
 (1)長期単独政権に代わって与野党の入れ替わりを伴う政権交代が常に想定されるようになる
 (2)行政官僚制が特定の政党とのみ一体化しないようになるとともに、近しい関係にある利益集団も入れ替わる
 (3)地方自治体は自らの判断に基づいて政策を選択する余地が拡大する
 (4)自律性を確保して他の政府部門を抑制する司法部門の役割は大きくなる
 この新統治システムは衆院選での政権選択で責任を明確にして、首相に権力を集中させる。官主導は否定され、代わりに違憲立法審査権などで少数派を守る「積極司法」を政治に対峙させる。そんな権力再編のダイナミズムが見て取れた。
 政権交代の可能性こそが最大の駆動力となる。そこから官僚制を中立性・専門性の領域に退かせ、司法が国民参加も得て違憲審査を積極化させる連動性が期待されていたはずだ。
 広範で連動した諸改革に、待鳥氏は「統治機構改革という用語では狭すぎるのであって、やはり最広義の『政治改革』だった」と横串を通して見せる。憲法の条文自体は改正していないが、明治憲法体制の形成期、戦後改革期に続く「第三の憲法体制を作り出した」とその巨大なインパクトを説く。
「第三の憲法体制」へと突き動かしたものは「熱病」でも「新自由主義」でもない。日米経済摩擦の激化や冷戦終結などの一九八〇年代後半以降の国際環境の変化、バブル崩壊後の社会経済環境の変化を受け、明治以来とも言える「中央集権型行政システム」の制度疲労に強い危機感が働いたのだ。
 この旧システムは、地方も従えた縦割りの官僚機構を中核に、政治家(族議員)と支持基盤の業界が結びついて「利益配分志向や現状維持志向」を特質とした。右肩上がりの経済と中選挙区制下での自民党長期政権に慣れ切った官主導のパターナリズム。それを変えようとした小選挙区主体の選挙制度改革には「有権者(国民)が政治権力を自らの責任で作り出し、行使し、その結果を引き受ける」理念が潜んでいた。
 その理念は、司馬遼太郎を踏まえて「この国のかたち」の改革を訴えた九七年の行政改革会議の最終報告にも現れる。「国民が、明治憲法体制下にあって統治の客体という立場に慣れ、戦後も行政に依存しがちであった『この国の在り方』自体の改革」を迫り、国民に統治の主体として覚醒を促した一文だ。待鳥氏は「政治改革全体のマニフェスト」と呼ぶ。
 権力を再編し、責任の所在を明確にして政策応答能力を高める。自由民主主義、資本主義経済と日米同盟を土台とした主体的・合理的な体制内変革。こんな「自由主義を基調とした近代主義」=「近代主義右派」の理念が「政治改革の基底に存在した」。欧米の背中を追い続けた明治維新や戦後改革以上に「能動的な自己変革の試みだった」のかも知れない。
 さらに「こんなはずではなかった」現状にも本書は切り込む。駆動力となる衆院選にまともな政権選択のガバナンスが働かない。政権交代を繰り返せば中立化に向かうはずの官僚制は、時の首相への従属を強める一方。政権交代がなければ、司法も政治に対して謙抑的な姿勢から踏み出せない。権力再編のダイナミズムに中途半端なブレーキがかかったままだ。
 改革が多数の支持を得て実現する中で、理念を貫けず妥協を強いられる現象を「土着化」と呼ぶ。政権選択選挙の機能不全は安倍首相のなりふり構わぬ解散権行使も要因だが、そもそも選挙制度改革の土着化も野党陣営を混迷させてきた。
 政権交代可能な政治が目的なら、完全小選挙区制でもよかったが、少数意見を国政に反映する配慮から、比例代表を併存させた。この土着化が想定外の「汚染効果」をもたらす。
 中小政党は比例票を掘り起こすため、当選可能性の低い小選挙区にも候補者を擁立しがちだ。これが大政党による政権争いの構図まで左右する。近年まで共産党が多くの小選挙区に候補者を立て、野党共倒れを招いてきたのがその好例だ。
 権力集中型の改革の「重大な例外」として、一章を割くのが日銀法改正だ。「開かれた独立性」の理念は当時の世界の潮流に沿い、大蔵省に従属してきた金融政策を「国際主義と合理主義」の観点から改革する「近代主義」の象徴だった。
 新日銀法で金融政策の「自主性」と政府との「十分な意思疎通」を明記したが、「独立性」の語はない。大蔵省からは独立できても、内閣や国会からの独立は否定されたからだ。
 だが、日銀は「独立性」にこだわり、時の内閣との摩擦を招いてきた。安倍首相は内閣の人事権で異次元緩和の路線を共有できる総裁を任命した。実はアベノミクスは改革の「不整合」に対する一つの応答だった――本書はそう喝破する。
 政治の現場で地を這ってきた一記者からすれば、ここは違うと言いたいディテールも本書にはある。だが、裏返せば、諸改革を俯瞰する大局観にはほぼ異論がない。制度変革のロジックは十五年前と少しも変わらぬ切れ味で迫ってくる。

 (しみず・まさと 日本経済新聞編集委員)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ