書評
2020年6月号掲載
書評
台風に突っ込んだ研究者が書いた、日本の気象のすべて
坪木和久『激甚気象はなぜ起こる』
対象書籍名:『激甚気象はなぜ起こる』
対象著者:坪木和久
対象書籍ISBN:978-4-10-603856-3
台風の眼の中って、どうなっているのだろうか。子どものころから、ずっとそんなことを思っていた。嵐が急にやみ、綺麗な青空が広がる。ひとときの静寂。台風がやってきた折に、いっとき晴れ間が出ると「眼に入ったのではないか」とドキドキしながら空を見上げたものだ。当時は気象衛星画像などほとんど一般向けには提供されていなかったし、レーダー・アメダス合成画像もなく、想像を膨らませるしかなかった。だから、坪木先生の「台風の眼の中に飛行機で突っ込む」という計画を聞いた時にはワクワクした。
「まえがき」に描かれている、小型ジェット機ガルフストリームⅡによる台風観測は、まさにこの計画が実現した瞬間である。飛行がいよいよ実行されることになったのは2017年の台風シーズン。「第6章」で紹介されているように、予算や機材の関係で1度きりしかない飛行のチャンスを最大限に生かすため、どの台風を狙って飛び立つかの判断は極めて難しかった。台風18号(タリム)が発生して少したったころ、「飛びますか」と電話で問い合わせたのを覚えている。まだ検討中という答えだったと記憶している。その後、台風は日本に接近、上陸し北上を続けた。これはすごいデータがとれたのではないかと思い、あらためて電話してみると、「準備が間に合わなかった」と気落ちした声が聞こえてきた。「次回こそ」というような会話をして、電話を切ったように思う。
そして、「次回」はほどなくやってきた。17年10月、台風21号(ラン)が発生し、日本に向かってきたのだ。強度は「スーパー台風」の水準に達し、まさに観測対象としてはうってつけの台風となった。この時、台湾のグループの協力も得て実現したのが、世界的にも極めて貴重な台風の上空からの撮影だ。眼を取り巻く壁雲の内側を、克明にとらえた記録がとれたのだ。
映像が初めてお披露目されたのは、名古屋大学と琉球大学などが都内で開いた記者会見の場だった。急な発表にもかかわらず会場には多数の記者が集まり、台風の眼の映像が公開された。ただ、その「すごさ」が十分に伝わっていたか、よくわからない。1回飛んだだけでは、わかることも限られるのではないか、これで台風の強度の予測精度は高まるのか、といった点に関心が集まっていた。
この成果について、もっと強く印象に残っているのは2018年5月に茨城県のつくば国際会議場で開かれた日本気象学会の公開気象講演会だ。台風や極端気象などに関心のある専門家など、主に気象関係者で会場は満席に近く、開始前から熱気が感じられた。台風の強度や予報に関する一通りの説明のあと、いよいよ正面の大きなスクリーンに台風の眼の内側から見た、傾斜のある壁雲を撮影した動画がアップで映しだされた。地上では激しい被害をもたらす凶暴な台風だが、上空からの姿はローマの円形劇場の座席のようにも見え、神秘的な雰囲気さえ漂わせていた。
しかし、もちろん気象学者は「雲がきれいだった」だけでは済まされない。この観測研究で得られた知見を、今後の台風予報や防災に役立てなければならない。実は台風予報のうち、進路はかなり正確に当たるようになってきたが、強度は思うように精度が改善していない。予想外に強い勢力で日本に接近し、防災関係者の間で緊張感が高まることもある。
現在の台風強度の判定法は、かなり原始的だ。衛星写真で見られる雲のパターンから、経験則に従ってドボラック法という手法で推定する。中程度の強さの台風なら、この方法によってよい精度で強度を推定できるが、スーパー台風クラスになると怪しくなってくるという。そもそも、スーパー台風は発生頻度が少なく、観測データも乏しいのだから精度が悪くなるのも言われてみれば当然である。過去の台風の強度に関する統計もあまり信頼できない。日本の分類で「猛烈な台風」にあたるものが過去にどれだけあったか、1951〜2011年について調べると、日本の気象庁と米国の合同台風警報センター(JTWC)のまとめで、1980年ごろまでは数が一致している。ところが、それ以降は気象庁の数が減少する一方、JTWCは大きく増加している。つまり、両者は正反対の傾向を示しているというのだ。本当はどちらが正しいのか。米国は1987年まで台風の航空機観測をしていたが、それ以降はやめてしまい、確認するすべはない。
大きな災害につながる猛烈な台風の実態が正確にわからないのは、防災上極めて問題が大きい。航空機観測を日常的にできるようになれば、解決できる。台風のはるか上空を飛べば気流の乱れが小さく穏やかであることもわかったようなので、民間航空会社の協力をあおぐ手も検討に値しよう。
ところで、台風はそれ自体が「激甚気象」の代表的な原因だが、台風本体の雲が大雨をもたらすのに加え、前線を刺激したり、離れた場所で突風や竜巻を起こしたりもする。つまり、極めて多様な「激甚気象」とかかわりをもつ。台風研究者である坪木先生は、こうした様々な現象による災害の軽減に少しでも役立つ研究をしたいという思いが人一倍強い。だからこそ本書では、自身が観測や解析にかかわり、かつ多くの人の記憶に残っているような激しい現象を中心に、最近のエピソードをふんだんに盛り込んでメカニズムや予測、備えの方法などについて解説している。
多くのページを割いているのは2018年の出来事だ。まず、1月下旬には南岸低気圧が発達しながら通ったことによる大雪が関東甲信地方であった。22日には気象庁がある東京都千代田区で23cmの積雪が観測された。2月に入ると北陸地方など日本海側で、1981年の「五六豪雪」以来といわれる記録的な大雪が降った。そして夏になると、各地が豪雨に見舞われ、「平成30年7月豪雨」と呼ばれることになる大雨が西日本などを襲った。被害は九州北部から中国・四国地方、近畿地方、岐阜県にまで及び、「局地的豪雨」ならぬ「広域豪雨」という、これまであまり考えられていなかったタイプの豪雨に対する備えの重要さが浮かび上がった。暑さも厳しかった。7月23日に埼玉県熊谷市で記録された日最高気温41・1度は、13年に高知県四万十市の江川崎で観測された41・0度の日本記録を塗り替えた。7月には、台風12号が日本列島を東から西へ横断する不思議なコースをとり、強風や高波被害を起こす珍しい現象もあった。
異常と思える出来事がこれだけ続くと、「地球温暖化で何か恐ろしいことが起きているのではないか」と考えたくなる。坪木先生も異常気象が起きるたびに「これは地球温暖化のせいですか」と聞かれ、困っているという。本当のところ、どうなのだろうか。本書でも「直接の因果関係はなんともいえない」「確かに地球温暖化はバックグラウンドとしてはあるのだが......」と歯切れが悪い答えしかこれまではできなかった、と打ち明ける。科学的には、ある日の豪雨や高温と、より長期の気候のトレンドである温暖化を直接結びつけるべきではないからだ。
だが、因果関係がどのくらいあるのかを定量的に示す「イベント・アトリビューション」という手法が世界的に脚光を浴びていることも紹介している。日本の気象研究所のグループは、2018年の記録的猛暑は温暖化がなければ起きえなかったことを示した。このような最先端分野で日本の若手研究者が活躍しているのは頼もしい。
気象や気候変動の本は世の中にあまたあるが、大きく2通りに分類できると思う。1つはわかりやすく現象を説明しようとしつつも、まず気象学の基礎知識を押さえてもらおうという考えから、途中まで数式がいくつも出てくる大学のテキストのような本だ。もう1つは季節のエッセーや経験談などを読み物風にまとめたものだ。本書はそのちょうど中間に位置する。最新のコンピューター・シミュレーション結果などを示しつつ、著者の個人的な体験や感動、物理学者・随筆家の寺田寅彦の鋭い洞察なども紹介し、親しみやすい。そして、何より防災意識を高め命を守る行動をとるきっかけをつくってくれる。