書評

2020年7月号掲載

哀しみの獣・茂十郎

永井紗耶子『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎

縄田一男

対象書籍名:『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎
対象著者:永井紗耶子
対象書籍ISBN:978-4-10-102882-8

 永井紗耶子といえば、これまで『大奥づとめ』など、地味で堅実な作風で"知る人ぞ知る"といった存在だったが、それも、昨日までのことだ。
 今回、刊行の運びとなった『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』は、作者にとって正にモニュメンタルな逸品で、これで読者の見る目も変わることだろう。
 作品は、老中、水野忠邦が、かつて松平定信の寛政の改革の下、札差や大商人を相手に大鉈を揮った豪商、堤弥三郎から、ある商人の話を聞こうとするところで幕があく。
 その商人とは、大坂屋茂兵衛改め杉本茂十郎――口さがない輩は、彼をある妖怪にたとえて「毛充狼(もうじゅうろう)」と呼んだ。体は強くしなやかな狼。手足には、狐狸の如く人を蹴落とす鋭い爪を持つ。尾は蝮の姿で二枚の舌をちらつかせて毒牙を剥く。そして額には「老、寺、町、勘」の四字の護符を頂いている。その歪な化け物は、メウガメウガと鳴き声を上げながら、文化文政の江戸の町を駆け抜けていった。
 その毛充狼こと茂十郎は、彼の生涯のパートナーとなる前述の弥三郎に一言でいわせると"厄介な男"。山深い甲斐から江戸へ来て、奉公人として勤めていた飛脚問屋に婿入りした一商人で、それがいつしか、御店の主の枠を越えた。飛脚の運賃を上げるようお上と直談判して新たな法を整備。次は江戸二千人の商人を束ねる十組問屋の争い事の仲裁に成功した。次いで、その十組問屋の頭取となり、流通の要となる菱垣廻船の再建を行い、更に町の橋を立て直す三橋会所頭取として手腕を揮うと共に、町年寄次席として政にも携わるようになっていった。
 大した出世物語ではないか――本文をお読みになっていない方はそう思われるかもしれない。が、そこには出世物語のにぎやかな気配はなく、あるのは己の中の"孤"を飼い馴らすことのできない男の淋しさのみである。
 その淋しさはどこから湧いて出てきたのか。
 かの有名な永代橋の崩落である。
 女房のお八尾。息子の栄太郎。そして、奉公人の小僧と女中――。皆、逝ってしまった。
 何故、橋は落ちたのか。
 橋止めをした一橋民部卿への怒りを露わにした者もいるが、すべての町の政を司る樽屋への怒りも大きい。そもそもあれだけ老朽化するまで何故放っておいたのか。そして双方の責任のなすり合い。が、その中から、勇躍、己の中の"孤"を胸中に秘めて立ち上ったのが杉本茂十郎である。
 弥三郎は思う――「永代橋崩落から妻子を失った悲しみの中に沈んでいるのだと思っていた。追悼を行う寺々を回っているのも、その悲しみを癒すためであろうと思っていたが、江戸市中を巡り歩きながら、この男は人の流れ、金の流れを見ていたのか」と。
 そんな中、作者は「多くの商人、町人が暮らす江戸において、十組問屋の二千人が江戸の富を独占している。懐に蓄えられた金はいずれも大藩の江戸屋敷にも負けない。しかもその金が市中に出回らないことこそが、江戸の最も大きな問題でもあった」と書く。
 それを何とか掴み出して、老朽化した橋や町の整備に当てる――ここに弥三郎のいう茂十郎の"厄介さ"がある。すなわち、茂十郎は、理非曲直を正すのに手段を選ばないのである。
 金は刀よりも強い、だがその金はどこまで権力に通用するのか? 従って、物語の後半、行くところまで行ってしまった茂十郎の落日は哀しい。
 が、その茂十郎の知己は思わぬところから現われる。それが、前述の弥三郎から話を聞く水野忠邦である。
 彼はいう「改めて政を為すに当たり、江戸市中を見回せば、そこここにあの獣(茂十郎)の爪痕が残る。されど、何を為した者であったのかを尋ねるも、誰も答えることができぬ。あれは賄賂商人、山師、不届き者、金の亡者......次から次へと湧いて出るのは悪口雑言。果たしてそれは真であるのか。であるならば、何故にこの江戸の市中にはあの者の爪痕がかように残っているのか」と。
 ああ、誰が茂十郎の真のよろこびを知るだろうか。
 いわんや、哀しみをや――。
 心に立ち直れぬほどの深手を負いつつも、江戸の町を精一杯駆け抜けた、毛充狼こと、茂十郎。彼は生きた金を使うつもりで、その金に呑み込まれてしまったのか。いいや彼はそんなに弱くはない。私はそう信じたい。

 (なわた・かずお 文芸評論家)

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