書評・エッセイ

2020年7月号掲載

『遊廓』に見る数奇屋とアール・デコ

渡辺豪『遊廓』(とんぼの本)

井上章一

対象書籍名:『遊廓』(とんぼの本)
対象著者:渡辺豪
対象書籍ISBN:978-4-10-602294-4

 一般の家屋、屋敷とは趣のことなる建築がかつての遊里にはたっていた。いわゆる娼館が粋な、悪く言えばあくどい構えを、見せつける。分類をすれば数奇屋風と言うしかない姿で、異彩をはなっていたのである。
 こうきりだすと、少なからぬ建築学の研究者はいやな顔をする。数奇屋の意匠は、江戸時代のはじめごろに、茶室のしつらえをつうじて、ととのえられた。桂離宮のデザインにその典型例はある。色街の建築などで、数奇屋を論じるのはやめてほしい、と。
 一七世紀前半の茶室づくりが、この形式をはぐくんだことはたしかである。桂離宮や修学院離宮をはじめとする別荘で、それが集大成されたのもまちがいない。
 しかし、数奇屋の細工は、ほぼ同時代の京都にいとなまれた角屋(すみや)でも、うかがえる。桂や修学院より、いっそう数奇の度合いをこらしたありかたで、今もたっている。ねんのためしるすが、角屋は島原という遊廓にもうけられた、いわゆる揚屋(あげや)である。遊里や花街では、京都以外の場所でも、ながらくここが建築の手本だとされてきた。
 数奇屋は、好き心(数奇心)をいかした造作である。樹皮がはがされていない材を、床柱につかう。床壁の一部をくずし、わざわざ穴をあけ、下地の小舞が見えるようにしてしまう。今、想いつくままに例示したが、とにかく遊戯的なしつらえをさしている。
 おりめただしい施設では、つかわない。茶室や別荘といった、遊びの場で好まれる、建築的なおしゃれに、それはなっていた。ジーパンにあざとく穴をあけたような装いが、服飾面での類例にあげられようか。
 もともとは、逸脱をもとめた意匠であった。しかし、時代が下るにしたがい、その形は形骸化を余儀なくされる。くずした形が、そのまま継承すべき手本になりだした。とりわけ、茶室でその傾向はいちじるしい。家元制度の下で、茶の湯じたいが形式主義にとらわれはじめたせいだろうか。
 遊里や花街の数奇屋造りが江戸中期以後、どう推移していったのかは、よくわからない。ただ、明治以後になっても変化の歩みをとめなかったことは、うけあえる。
 じっさい、そこにはしばしば中華風が加味された。西洋的な建築手法も、とりいれられている。たとえば、階段を舞台のようにもうけた例がある。踊り場にたたずむ遊女を、ひきたてようとしたのだろうか。
 あちらの流行も、日本の遊廓建築にはつたわっている。一九二〇年代からは、アール・デコの意匠が、数奇屋のそれにとけこまされたりもした。そして、両者をまぜあわせたような表現なら、まだいくつか実例ものこっている。茶室の場合とちがい、新奇をもとめる志が、風俗施設では生きつづけたのだと考える。
 さて、今は鉄筋コンクリートの時代である。男たちを遊ばせるための建物も、その大半はこの現代的な構造でたてられる。たとえば、ホステスクラブやソープランドなども。男女へ性愛の場を提供するラブホテルでも、もう木造の新築はありえない。
 それらの施設にも、数奇屋の延長線上へおきうる要素はあるだろう。数奇屋とポストモダニズムのモチーフを、融合させている。たとえば、そう言えそうなナイトラウンジも、実在すると思う。
 だが、鉄筋コンクリートの風俗施設と木造のそれは、同列にあつかえない。アール・デコが数奇屋と同居する木造の娼館から、ずいぶん前者はへだたっている。私は両者を別物とみなしたい。
 周知のように、旧遊廓は二〇世紀のなかば以後、営業を禁止された。ほかの風俗施設とちがい、鉄筋コンクリートが普及しきる前に、たてられなくなっている。おかげで、その遺構はアール・デコ化された木造数奇屋の姿を、とどめることができた。
 茶室あたりとちがい、数奇屋が二〇世紀に入っても現役で生きつづける。とうとう、アール・デコと融合するまで、変容していった。そんな数奇屋の最終形態、コンクリート化される前の姿が、ここには記録されている。貴重な映像資料の刊行を、よろこびたい。

 (いのうえ・しょういち 建築史家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ