書評
2020年8月号掲載
スケッチ“解凍”エッセイは“ネタ帳”である
ヨシタケシンスケ『欲が出ました』
対象書籍名:『欲が出ました』
対象著者:ヨシタケシンスケ
対象書籍ISBN:978-4-10-352452-6
かねてより、ヨシタケシンスケ氏にはお世話になっている筆者。と言っても、面識があるわけでも、SNSで"つながっている"わけでもない。
筆者には2人の娘がいる。現在、長女が小学2年生、次女は1歳になったばかりで、最近はご無沙汰だが、数年前までは妻と交代でよく「読み聞かせ」をしていた。
妻が選ぶ絵本は、「死んだ母親が幼い息子を心配して化けて出る」とか「引っ越しの途中ではぐれた犬が新居まで追いかけてきた」といった類の美談風のものが多く、いくら「情操教育に良いのだ!」と薦められても、正直辟易としてしまう。
好みの問題だが、これが夫婦の小競り合いの原因となり、
「"大袈裟な設定"に頼るヤツはダメだ!」
などと"モノ創り"をする人間の端くれとして一席ぶってみたものの、(あっ、俺"貴族キャラ"だった......)と"大袈裟な芸"で飯を食ってきた我が身を思い出し、ツッコまれる前に話題を変える、なんてことも。情けない。
話を戻そう。あれは、長女が幼稚園生の頃だったか。「読み聞かせ」中に、不覚にもウトウトしてしまった筆者。
(ん?)......気付けば、5センチと離れぬ近さで、娘が此方をまじまじと見詰めている。
「やっぱりそうだー!」
という意味深な一言に、(えっ? 何々!?)と焦って辺りを見回すと、彼女がメガネを手にしていた。先程まで筆者の顔にあったものである。結構値の張る代物なので、
「こらー! メガネは触っちゃ駄目!」
と慌てて取り返そうとするも、
「ほらー! メガネとったらひげだんしゃくじゃーん!?」
とニヤニヤする我が子に、背筋が凍った。
筆者は自分の仕事を娘に明かしていない。
理由は一発屋。別に恥じてはいないが、「負け」や「失敗」といった苦み成分を含んだこの言葉を、人生が始まったばかりの娘に触れさせたくない、その一心である。
「......違うよ? おやすみー」
とぎこちなく否定しそそくさと退散したが、(そろそろ限界か......)と苦い夜になった。
以来、ただの「読み聞かせ」が、「寝たら駄目だ!」と雪山で遭難したかのような、緊張の場と化す。
その窮地から"レスキュー"してくれたのが、ヨシタケシンスケ作の絵本『りんごかもしれない』であった。
テーブルの上にりんごを見つけた少年が、「これはりんごじゃないのかもしれない」と妄想を開始。「丸まった赤い魚かも」「何かの卵かも」とひたすら"りんご大喜利"を繰り広げるのだが、「読み聞かせ」る必要がない。
放っておいても子供は夢中でページを捲り、知らぬ間に寝息を立てている。要するに、面白いのだ。
自由で斬新な発想とテンポ感抜群の構成。上質な漫才やコントさながらのヨシタケ氏の絵本を"芸"とするならば、エッセイはその源泉――"ネタ帳"だと言えよう。
前作『思わず考えちゃう』同様、最新作『欲が出ました』も、氏が周囲を観察し、ふと頭を過ったアイデアを、スケッチの形で書き留め、
「このときは、こういうこと考えてて......」
と後日"解凍"、もとい"回答"していく一冊である。
タイトルの通り、テーマは「欲」だが、氏が欲するのは"天井に大きなブラシがくっついてる部屋(下を走り抜けると髪の毛がサラサラに!)"とか、"心にはめる軍手(苦手な人のことを考える際、ちょっと気が楽になる!)"、「フーセンふくらませてー!」と子供が書斎に駆け込んでくる瞬間、といった具合。お金でも、地位や名誉でも、勿論"美談"でもない。
他にも、「トイレットペーパーが入ったビニール袋を"うにー"と破く時間も人生の一部だ」、「夫婦が一緒にい続ける理由など"大きなものが畳みやすい"という1点で十分ではないか」等々、ユーモアに溢れ、示唆に富んだ氏の頭の中を堪能することが出来る。
"街頭インタビューを受ける中年サラリーマン"のイラストに、「おっぱいは好きですね。やっぱり哺乳類なんで!」と添えてなお上品な"絵本作家"など他にはいまい。
むしろ、そういう部分に、作り手としての誠実さを感じるのは筆者だけだろうか。
いずれにせよ、この"ネタ帳"、およそ「ハズレ」が見当たらぬ。
往年のSF映画の名作で、シガニー・ウィーバーがエイリアンと死闘を演じた後、大量の卵を発見し、(これが全部"あれ"になるの!?)と愕然とするシーンがあったが、筆者の読後感も同じ。(これ全部"作品"になるの?)。そう考えると、確かにヨシタケシンスケ氏は「強欲」と言える......かもしれない。