書評・エッセイ

2020年8月号掲載

『エレホン』EREWHON 刊行記念特集

世界が無意味化する前に

高山文彦

対象書籍名:『エレホン』
対象著者:サミュエル・バトラー/武藤浩史訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507151-6

 私は『エレホン』を読み終えて、ただただ、びっくりしている。そしてなんだか、うろたえている。
 一五〇年まえにイギリスで出版されたディストピア小説の嚆矢とされる本作は、何度か邦訳されたようだが、知らずに来てしまった。二一世紀になって二〇年を経過したいま、この新訳ではじめて読んでみて、地球的規模でくり返し起こる大規模な自然災害、気候変動、そして目下のコロナパンデミックの渦中にある世界のもとで、この小説は果して読者をどこへ連れて行くのだろうかと不安になりもする。せめて二〇世紀のうちに読んで、心の準備をしておけばよかったと思う。
 この壮大で細密な小説の世界に足を踏みいれてみると、冒頭から延々と大自然のありさまが見事な描写力で描かれ、キリスト教の布教とあわせて羊の放牧で大儲けをたくらもうとする主人公のイギリス人青年は、さんざんな目にあいながら奥地の大山脈を越え、やがて他者の侵入を拒むようにひっそりとひらくエレホン国にたどり着く。このとても長い導入部はいくらか読者をくたびれさせるかもしれない。が、それゆえにエレホン国の秘境感をたっぷりと演出し、絵描きでもあった作者サミュエル・バトラーの観察眼の豊かさと科学的思考力のおかげで、私などはアンドレ・ジッドの『コンゴ紀行』やリヴィングストーンの冒険譚を読むような思いで堪能させてもらった。
 主人公のエレホン見聞録はそこからはじまるのだが、この小国は数百年もまえに一九世紀イギリスと同レベルの高度な産業文明に達していながら、ことごとく機械を破壊し、懐中時計さえとりあげて彼を獄にいれてしまう。金髪と青い目をしているおかげで彼は良家に救われるのだが、進歩を敵視、科学は禁止、機械文明を徹底的に排斥するエレホンにはさらに奇妙な制度がいくつもあって、七〇歳以前に病気や身体的不具合になった者は裁判をうけ、公衆の侮蔑にさらされる。熱帯病や肺結核は極刑に付されかねず、家族や友だちを失う不幸や破産などの不幸、つまり他者に不快感を与えるような出来事に見舞われた者も犯罪者とされ処罰をうける。ところが、放火や強盗や詐欺行為など道徳心の欠如から起こる犯罪については、病院に収容され公費で手厚い矯正のための治療をうけるのだ。
 主人公をひきとった金持ちの家の主人にしても、横領が発覚して、パンと牛乳だけの食事と鞭打ちの加療をうけるのみですまされていた。彼の娘の友人は病弱さをカモフラージュするためにアルコール中毒を装い、道徳心の欠如を強調して生きている。妻と死別した男の裁判(死別の悲しみさえ罪とされるのだ)を傍聴した主人公は、被告人が妻など愛したことはなく、その証拠に多額の保険金をかけて死後実際にうけとっていると弁明するのを聞き、判事から、その不幸の罪にたいして自然は厳罰を与えると言い渡されるのを見た。なんという倒錯。主人公は思う。
 この国はなにもかも倒錯しているのだ。神の実在を説く公式宗教があるいっぽうで、イドグルンという女神を国民は信じている。経済をまわしているのは一般の銀行だが、それとは別に「音楽銀行」なる国の銀行があって、それぞれ違う貨幣を扱っている。この「音楽銀行」のシステムもまた、主人公には到底理解できるものではなかった。利子はなく、配当は三万年に一度ボーナスとして、というもの。ようするに、なんの価値も生み出さない銀行なのである。しかしながら国民は壮麗な大理石の神殿のような建物におさまるこの銀行を絶対に安全なものとして信じており、主人公はここに神と宗教の空洞化を感知する。
 そもそもこの国では、生まれてくる子供は親や世間を煩わせるだけの厄介な存在として位置づけられ、出生後にかける迷惑行為についてはいっさいの責任を自分が負うという内容の出生告白書を出生時に書くこと(代理人が代筆)が義務付けられている。生まれること自体を罪とみなす国に、どんな価値があるだろうか。
 産業革命以降、世界随一の工業生産国となったヴィクトリア女王時代のイギリスの三大権威は、宗教、親、機械であった。バトラーはこの小説で徹底的な風刺を試みているのであるが、それは人間の自然にたいする徹底した資源化、植民地支配による人間と自然の資源化、対立するはずのキリスト教と資本主義の無理やりの融合化、そして機械文明によって生じた人間性の喪失が、世界の無意味化へとつながっていくプロセスを描き出しているのだ。白眉は第二三章から第二五章の「機械の書」である。これを読むと、私たちの二一世紀がすでに過去の残骸であるかのように思えてくる。
 手遅れとは言うまい。心ある人は今のうちに読んでほしい。風刺でも予言でもない。二一世紀の痛切な現実である。

 (たかやま・ふみひこ 作家)

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