書評

2020年8月号掲載

若だんな危機一髪!

畠中恵『いちねんかん』

縄田一男

対象書籍名:『いちねんかん』
対象著者:畠中恵
対象書籍ISBN:978-4-10-146141-0

 還暦を過ぎた男がこんなことを書くと目をむく方がいるかもしれないが、私が楽しみにしているTVアニメに「夏目友人帳」がある。原作の漫画を読んでいないのは申し訳ないのだが、途中から観はじめたため、スカパー!で第一話から録画し、劇場にも行った。
 両親がおらず、純粋だが淋しい日々を過ごしている夏目君と、彼にだけ見える、人から忌み嫌われ、やはり淋しい思いをしている妖(怪)が、互いの欠落した部分を補い合うという構成。そしてその両者を結びつけるニャンコ先生――私は『しゃばけ』を読むと、同じようなほのぼのとした匂いを感じる。
 江戸は通町(とおりちょう)で、廻船問屋兼薬種問屋を商っている長崎屋の若だんな一太郎は、「昨日は死にかけており、今日も亡くなりそうであり、明日は墓の内に入っても、誰も驚かない病弱者」。両親の溺愛を受け、奉公人たちは、若だんなに商売の苦労はさせまいと用心している。
 が、彼らより若だんなを案じているのは、妖たち。――というのも一太郎の祖母おぎんは齢三千年を生きた皮衣という大妖であり、ために長崎屋は、昔から妖と縁の深い家柄であった。そこで、一太郎のまわりには彼を案ずる(時には有難迷惑の場合もあるが)妖がわらわらと集まってくる。
 病弱な若だんなと妖たちの交流――ここにも互いに補完し合う、ほほえましい関係があるといえよう。
 ところが、その一太郎の日常が一変するのが、今回の『いちねんかん』だ。何しろ父の藤兵衛が女房のおたえと一緒に九州の湯治場に出かけて、一年間、店を留守にするというのだから、病気だろうが、死にかかっていようが、一太郎はそのあいだ長崎屋の主(あるじ)然としていなければならないのだ。
 なぜ、藤兵衛が湯治に出かけなければならないのかは、第十六弾の『とるとだす』を読めばお分かりになるのだが――えっ、とっくに読んだ、これは失礼致しました。とまれ、この一年間は、藤兵衛にとっては、病弱な一太郎が長崎屋の主としてつとまるかどうかを見定めるテスト期間でもある。従って本書は、シリーズの今後を占う上でも大きな分岐点であるともいえるだろう。
 両親が出かけた後、妖たちの協力を得て、何とか主に収まる一太郎。ところが、ふってわいたような新商売に絡んで、金に目のくらんでしまったある人物が、五十両という大金を持ち逃げするという事件が起こってしまう。だが、この不始末に対して、情理をわきまえた捌きを下して皆をびっくりさせたのが一太郎だ。たとえ病で伏っていても、長い間、家の中から人間というものを、じっと定点観測してきた者にしかこうした捌きはできないものだ。ということは、ふりかえって、作者自身の人間観照が優れているといえはしまいか。
 さて、快調の表題作の次は「ほうこうにん」。若だんなの身に何か起こっても大丈夫なように屏風のぞきと金次を歴とした長崎屋の奉公人にしてしまおうという話だが、何しろ後者は貧乏神。長崎屋に災厄をもたらさないかと笑わせてくれるが、この金次の能力が意外なことに幸いする本書でいちばんミステリ色が強い作品。そして、奉公人の分というものもそれとなく描かれている。
 一方、「おにきたる」は、江戸に流行病(はやりやまい)がはびこる中、これをはやらせたのは俺だと、長崎屋に現われた五人(たり)の鬼と疫病神が、下らぬ意地の張り合い。遂に大禍津日神(おおまがつひのかみ)様が御出座と相成る次第。
 また次の「ともをえる」では、一太郎は大坂は道修町(どしょうまち)の薬種仲買仲間・椿紀屋(つばきや)の婿選びの相談を受けるが、若だんなが選んだのは果たして――この話でも、表題作同様、若だんなの人間に対する定点観測が冴え、彼は妖ではなく人間の友を得ることになる。
 そして最終話「帰宅」は、シリーズの中でもかなり激しい乱闘劇が楽しめる。はたして、一太郎は店の主として及第点がもらえたのか。
 それにしても水木しげるの『墓場の鬼太郎』~『ゲゲゲの鬼太郎』等を見ても分かるように妖(怪)は私たちにとって敵であり友であった。『しゃばけ』はその水脈を継ぐ貴重な連作。人と妖の輪の何と楽しいことであろうか。

 (なわた・かずお 文芸評論家)

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