書評
2020年8月号掲載
特別エッセイ
物語に救われる
近況と新作『とわの庭』のこと(1)
対象書籍名:『とわの庭』
対象著者:小川糸
対象書籍ISBN:978-4-10-331193-5
初めてニュースで「濃厚接触」という言葉を耳にした時、不覚にも笑ってしまった自分がいた。今年の一月のことだった。肉体関係のことを、あえて婉曲にそう表現しているのかと思ったのだ。
その後、「濃厚接触」はあれよあれよと言う間に市民権を得て、日常会話にしばしば登場するようになった。人々がマスクを片時も離さないようになり、他者に対する疑心暗鬼の雲が世の中全体を覆うようになった。
同じ頃、わたしの人生にも、大きな変化が訪れていた。
三月半ば、このままではドイツに入れなくなる、と急遽、予定を早めてベルリンへ。ところが、今度はみるみるベルリンの空気が怪しくなり、日本へ戻れなくなる可能性が出てきた。
本来の予定では、日本には五月の後半に戻るつもりでいた。けれど、その頃にはもう入国が難しくなっているかもしれない。わたしは今回、ベルリンから犬を連れて帰る計画だった。三年間住んだベルリン暮らしに、一区切りつけようと考えていたからである。
ベルリンの友人の中には、犬はベルリンに残して誰かに面倒を見てもらい、わたしだけでも早々に日本に帰国した方がいいと助言する人もいた。けれど、次にいつベルリンに来られるかもわからない状況で、大切な犬を残していくのは不安だった。それで、一か八か、犬を連れて帰国することにしたのである。
たった二日間で、日本の動物検疫所とやりとりして書類を書き換え、同時にベルリンの動物病院に行って健康チェックをしてもらい、国立の保健所に出向いてハンコをもらい、日本への帰国の便を新たに予約して、と、まるで台風に呑み込まれるような経験をしたものの、結果的には、なんとかギリギリ犬と共に日本に帰国することができた。あのまま予定を早めずにベルリンに残っていたら、今頃どうなっていたのか、わからない。
二週間の自宅待機の後、今度は緊急事態宣言が出され、更に外出自粛が延長された。もともとわたしは家で仕事をするので、基本的にステイホームには慣れているはずだった。それでも、やっぱり混乱した。
どこにでも自由に行ける状態で家にいるのと、どこへも行ってはいけない状況下で家にいるのとでは、同じ「家にいる」という環境でも、全く違うのだ。この春、わたしは今までに経験したことがないような息苦しさを覚え、情緒不安定におちいり、何度も胸が詰まりそうになった。
その時、心の支えとなったのが物語だ。
読む方はもちろんのこと、わたしの場合は書くことで、すぐそこで息を潜める得体の知れない恐怖から、なんとか気を紛らわすことができた。
自分の中に、物語の種があること。そして、そこに愛情を注ぐことで、芽が出て、葉っぱが現れ、花が咲き、やがて実を結ぶこと。少しずつ物語が成長する姿に、何よりも自分自身が救われた。秋に刊行する『とわの庭』の改稿を進める時間は、わたしにとって微かな希望となった。
わたしはずっと、自分の日常はなんてつまらないのだろうと思いながら生きてきた。基本的には、食べて、書いて、寝て、食べて、書いて、寝て、その繰り返しである。
けれど、そんな日常生活が脅かされるという非常事態を経験すると、つまらない日常がどんなに愛おしいものかに気づかされた。
わたしが自分を見失いかけて混乱していた時、年上の友人が「時薬」という言葉を教えてくれた。
どんなに大変な困難を抱えても、時間が薬となって解決してくれる、という意味だ。どうしようもない、あぁもうダメだと思っても、時の流れに任せていれば、いつか傷が癒され、回復する。
『とわの庭』の主人公が、静かな時間の流れの中で、生命力を培ったように、生き物には、本来、自然治癒力が備わっている。
春から夏へ、あれから季節がひとつ進んだ。
わたしは早朝、犬を連れて近所を散歩する。その散歩道には、色とりどりの花が咲き、木々は豪快に葉っぱを茂らせている。
物語は、もうすぐ完成する。
地球全体が、平和で穏やかな、美しい庭になりますように。そんな願いを込めた、物語である。
(おがわ・いと 作家)