書評・エッセイ

2020年8月号掲載

“相対的”を改めて考えてみる

マシュー・スタンレー『アインシュタインの戦争
相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか

石戸功一

対象書籍名:『アインシュタインの戦争 相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか
対象著者:マシュー・スタンレー/水谷淳訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507161-5

 この書評を書いているのは2020年5月中旬。新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るい、日本でも初めての緊急事態宣言のさなかにあった。自粛とはいえ、今まで感じたことのない重苦しい空気の中で生きている。
 しかし、アインシュタインの苦難を知れば、私たちの苦しさは"相対化"される。
 約100年前、アインシュタインが相対性理論を構築していたころは第一次世界大戦の真っ只中だった。今やインターネットを介し瞬時に情報を世界で共有できるが、当時はアインシュタインがドイツで相対論の論文を書いても敵国イギリスには伝わらなかった。しかもスペイン風邪が戦争によって大流行し、世界で5000万人が命を落としたという。多くの科学者が戦争に協力する中、アインシュタインは戦争に強く反対し孤立していた。肝臓の病気で寝たきりにもなっていた。自分の論文が世界に知られずに埋もれてしまう、とアインシュタインは大いに苦悩していた。
 一方で、著者はこのタイミングだったから天才アインシュタインという奇跡が生まれたとも分析する。第一次世界大戦という最も不幸な時期に、相対性理論がドイツで構築されたからこそ、終戦後「相対論サーカス」と呼ぶほどに世界が熱狂し"流行"したというのだ。
 タイミングだけでない。流行を作り出そうとした人物が敵国イギリスにいたことも見逃せない。イギリスは200年以上前にニュートンが科学の理論体系の基礎をなしていた。科学の神的存在だったニュートンの地位を母国の科学者がすげ替えたのだ。その人物とはイギリス王立天文学会会長となるアーサー・エディントン。絶対的な理論から相対的な理論へパラダイムシフトを求める難解な内容を理解してもらうために、エディントンは科学者の個人的な関係を大切にしたという。組織を変えるには長い時間がかかる。そうした戦略が功を奏する。
 私たちはすぐに忘れてしまう。ホンダだってパナソニックだって優秀な創業者だけでなく優れた参謀がいたことを。相対性理論もアインシュタイン一人ではどうしようもなかった。理論に共感し、イギリスで理論の"布教"活動を行い、自らアフリカまで行って検証のための観測を行った人物を記憶にとどめたい。ただし本人には科学の国際化を進め平和主義を広めたいというしたたかな狙いもあった。
 この本は、20年にわたる学術研究や著述によって構成されているだけに内容は詳細で具体的だ。手紙などの引用もあり、登場人物のその時の気持ちが手に取るように感じられる。人物像の記述もエピソードに富み、例え話や詩などで魅力的に展開する。この手の本で一番悩まされるのが数式の扱いだが、その問題も見事に克服している。実質、相対論の究極的な方程式を1つ登場させるにとどめている。そのかわりアインシュタインが理論を構築する時に大切にした思考実験を私たちにもわかるような言葉で表現し、思考のプロセスを共有する努力を惜しんでいない。
 果たして、わずか数行の方程式で抽象的に見える相対性理論は、時計と物差し、エレベーターという実体から生み出されたことを、そして理論を構築した天才は、生身の肉体を持っていて、胃の痛みを抱え、葉巻を好み、女性と関係を持ち、恋愛を重ねた、人間味あふれる人物であることを"証明"した。アインシュタインに関する神話で一番根深いのは、彼は生まれたときから老人だったというもの。全人類に愛されるおじいさんのような賢人に単純化されていたのだ。この著作を読めば神話からの卒業だ。
 続きが読みたい。天才の称号を手に入れたアインシュタインは、その後、精神科医フロイトと戦争をテーマにした書簡をやりとりするなど、平和主義に対する考え方を突き詰めていく。第二次世界大戦直前にはアメリカのルーズベルト大統領へ送った原爆開発を勧める書簡にサインをする。彼の理論に紐付ければ、"絶対的"な平和主義者から、様々な人々の相互作用を受け"相対的"な平和主義者へ変わっていったということか? 2つの世界大戦に翻弄されながら生き抜いたアインシュタインに迫れないか、急いで企画書を書こうと思う。
「科学は客観的で、感情に動かされず、純粋に合理的であるという聞き心地の良い神話は、捨て去らなければならない」と著者は書く。それは相対性理論に限った話ではないという。改めてリテラシーの大切さを思い知らされた。

 (いしと・こういち NHKエデュケーショナル/「コズミックフロント☆NEXT」プロデューサー)

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