書評・エッセイ

2020年9月号掲載

カーソン・マッカラーズ/村上春樹訳『心は孤独な狩人』刊行記念特集

花ひらく夢 ――創作をめぐるノート

カーソン・マッカラーズ、小澤身和子

自作について、南部の作家であること、小説が生まれる時……一九五九年発表の名エッセイ

対象書籍名:『心は孤独な狩人』
対象著者:カーソン・マッカラーズ/村上春樹訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507181-3

 四歳くらいの頃、乳母と一緒に歩いていると修道院の前を通った。一度だけ、その扉が開いていたことがあった。コーンにのったアイスクリームを食べたり、鉄製のブランコで遊んでいる子どもたちを目にした私はすっかり魅了され、その光景をじっと見つめていた。中に入ってみたいと思ったけれど、乳母はいけませんと言った。あなたはカトリック信者ではないのだからと。翌日になると、門は閉まっていた。でも年を追うごとに、そこではいったい何が行われていたのだろうと、私が入れなかったあの素敵なパーティーについて考えるようになった。修道院の壁をよじ登りたかったけれど、それには体が小さすぎた。壁を叩いてみたこともあったし、最高のパーティーが繰り広げられているのはわかっていたけれど、中には入れなかった。

 精神の孤独は、私が扱う大半のテーマのもとになっている。最初に書いた本は、ほぼ全編にわたってそれについて書いているし、それ以降の本もすべて何らかの形でそうだ。グロテスクな人間を登場人物に選ぶとき、愛――とりわけ愛に報いることも、受け取ることもできない人の愛――というものが重要になる。不自由な体が、愛を与え合うことができないという精神の不自由さのシンボルになっている人々を私が選ぶのは、彼らの精神の孤独を描くためだ。

 作家が作品を理解するには――自分が書いていることについて考えたり、知ったり、経験したりするには――感情的にちょうど真ん中にいることが重要だ。『結婚式のメンバー』の舞台を演出したハロルド・クラーマン(彼に幸あれ)よりもずっと前に、私はすでにあの部屋にいたハエやブヨを一匹残らず演出していたように思う。

 芸術作品が完成する前に、作家がその特徴を十分に理解することはめったにない。それは花をひらかせる夢に似ている。アイデアは静かに芽を出して膨らみ、作品が進むにつれて、日ごとに何千もの啓示が訪れる。ちょうど自然界で種が育つのと同じように、創作の過程で種は育っていく。そしてアイデアの種は、努力と無意識の両方と、その間の葛藤によって成長する。

 私にわかっているのは断片だけだ。登場人物のことは理解しているけれど、小説そのものが鮮明に見えているわけではない。ふとした瞬間に見えるようになるが、それがいつなのかは誰にもわからない(とりわけ作者にはわかっていない)。私の場合、そうした瞬間は懸命に努力したあとにやってくる。私にとって、そうして啓示の瞬間が訪れるのは、骨折り仕事の賜物だ。私の作品はすべてそんなふうにして生まれた。作家が啓示に頼らなければならないのは危険でもあり、素晴らしいことでもある。何ヶ月も頭を悩ませ、努力を重ねていくと、アイデアは花を咲かせ始める。それは神聖な瞬間だ。そうした瞬間はいつも潜在意識からやってくるので、操作することはできない。私は一年間ずっと、何を書いているかわからないまま、『心は孤独な狩人』に取り組んでいた。それぞれの登場人物は主人公に話しかけていたけれど、それがなぜなのかは、わからなかった。もう少しで、この話は長編小説にはせず、短く切って短編にしようとするところだった。でもそんな考えが浮かぶと、体の一部が切断されるような感じがして、絶望した。五時間続けて執筆したあとで、外に出た。道をわたると、突然、登場人物がそろって話しかけていたハリー・ミノヴィッツという人物は、まったく違う聾唖の男だという考えが浮かんできて、すぐにその名前はジョン・シンガーに変わった。小説の輪郭が見えたことで、私は初めて『心は孤独な狩人』に魂を込めて取り掛かれるようになったのだ。

 知るべきことと、知らなくてもいいことについてはどうだろう? アメリカ大使館(注 一九五〇年代初頭、マッカラーズは夫リーブスと共にフランスに滞在していた。)のジョン・ブラウンが私を訪ねてきた時、彼は長い人差し指を向けて「カーソン、君の無知には感服するよ」と言った。私が「なぜ?」と訊くと、彼は「ヘイスティングズの戦いはいつのことで、何のための戦争だった? ワーテルローの戦いはいつ起きて、どんなだったかわかるかい?」と尋ねた。「ジョン、私はあまりそういうことは気にしてないの」と答えると、彼は「そういうことだよ。君は人生の事実で頭を煩わせていないんだ」と言った。

『心は孤独な狩人』を書き終えようという時、近くの町で聾唖者の集会があると夫が知らせてくれた。彼は、きっと私はそこに行って聾唖者のことを観察したがるに違いないと思ったのだ。でも私は彼に、そんなことは絶対にしたくないと言った。すでに自分のなかの聾唖者に対する見方は固まっていたし、それをかき乱されたくなかったからだ。海外で暮らして、再び故郷を訪れることはなかったジェイムズ・ジョイスも、同じ気持ちだったのではないかと思う。彼は自分のなかにあるダブリンは確固たるものだと思っていたのだろうし、それは実際にそのとおりなのだ。

 作家の真の強みはその直感力にある。だからあまり多くの事実を知りすぎると、直感の邪魔になる。作家はたくさんの事柄について知る必要があるけれど、知らなくていいことも多い。作家は人間のやることについて知らなければならない。たとえそれが、いわゆる「健全」ではないことだとしても。

 私は毎日、「ニューヨーク・デイリー・ニュース」を読む。それもとても真剣に。刺傷事件に関して、刺された恋人が住んでいた通りの名前を知ったり、「ニューヨーク・タイムズ」が決して報じないような詳細を知ったりするのは面白い。スタテン島で起きた未解決の殺人事件においては、医者と妻が刺された時、ふたりともモルモン教の寝間着を着ていて、それが七分丈だったというのは興味深い話だ。うだるように暑い夏の日に父親を殺したリジー・ボーデン(注 リジー・ボーデン(一八六〇―一九二七)は、一八九二年八月四日、米国マサチューセッツ州で父親と継母を斧で殺害した疑いで起訴されたが、無罪となった。)が、その日の朝に食べたのは、ひつじ肉のスープだった。いつだって詳細は、どんな一般論よりも思考を刺激してアイデアを引き出してくれる。キリストは左側を槍で刺されたと言うほうが、単に槍で刺されたと言うよりも感動的だし、想像力をかきたてる。

 なぜ不健全なことが非難されるのかは、説明できない。作家に言えるのは、潜在意識のなかで後々花ひらく種から書き始めるということだけだ。人が生きたり死んだりすることは異常ではない。ただ生命がないものが異常なのだ。脈打ち、動き、部屋を歩きまわるものは何でも、それがどんなことをしていようとも、作家にとっては自然であり、人間的なのである。『心は孤独な狩人』のジョン・シンガーが聾唖者であることや、『黄金の目に映るもの』のペンダートン大尉が同性愛者であることは、障害や不能を象徴している。精神的な弱さのシンボルである聾唖者のシンガーは、自分の愛を受け取ることができない人を愛する。物語やテーマやできごとを暗示するシンボルは、あまりにも織り交ぜられているので、どこからが暗示なのかを知ろうとしてもわからない。私は自分が書く登場人物になる。彼らの世界にすっかり入り込んでしまうので、彼らの動機は私自身のそれになる。だから泥棒について書いていると、私は泥棒になるし、ペンダートン大尉について書いていると、同性愛者の男になる。また、聾唖者について書くと、その物語に向き合っているあいだは口が利けなくなる。私は自分が書く登場人物になり、「人間にかかわることは何によらず、私と無縁ではない」と述べた古代ローマの詩人テレンティウスを賛美する。

『結婚式のメンバー』の舞台版を執筆していた時、私の体はまひしていて、実に悲惨な状態だった。でも台本を書き終えると、友人にこう手紙を書いた。「ああ、作家でいるというのはなんて素晴らしいことなんでしょう。こんなに幸せな気持ちになったことはないわ......」

 仕事が思うようにいかないとき、作家ほど人生が悲惨になるものはない。でもうまくいって、啓示によって作品の輪郭がはっきりしたことで、物語がわかりやすくなり、流れるように進みはじめると、これほど嬉しいことはないのだ。

 なぜ人は書くのだろう? 正直なところ、作家はこの世でもっとも経済的に報われない職業だ。『結婚式のメンバー』を執筆して私が稼いだ金額を弁護士が計算したら、この作品は書くのに五年以上かかったわけだが、日割り計算すると一日二十八セントだった。さらに皮肉なことに、『結婚式のメンバー』の舞台はとても大きな儲けを生んだので、その八割を政府に渡さなければならなくなった。これについては、喜んで......まあ、せめて喜んで払おう。

 人は無意識のうちにコミュニケーションや自己表現の必要にかられて、書くのに違いない。書くことは、迷ったり夢を見たりする仕事だ。知性は無意識の下に隠れている――つまり思考は想像力によって操作されるのが最も好ましいということだ。でも書くことは、まとまりがなかったり、知性に欠けたりするわけではない。最高傑作と言われる小説や散文のなかには、電話番号のように正確なものもあるが、それには洗練された情熱や詩心が必要となるので、そこまで達成できる散文作家はほとんどいない。私は散文という言葉が好きではない。あまりにも平凡でつまらないと思う。よい散文には、詩の光が溶け込んでいなければならない。散文は詩のようにあるべきで、詩は散文のように意味が通るべきなのだ。

 アンネ・フランクと彼女の驚異的なコミュニケーション方法について考えてみよう。それは十三歳の子供のコミュニケーションというだけではなく、良心と勇気のコミュニケーションでもあった。
 そこには真の孤独があった。でも精神の孤独というよりは物理的な孤独だ。数年前、アンネ・フランクの父親とパリのホテル・コンチネンタルで会うことになった。話をしたあとで、彼は娘の日記を戯曲にしてくれないかと尋ねてきた。そして私がまだ読んでいなかった、その日記の本をくれた。読みはじめると、あまりにも気持ちが動揺して手や脚に湿疹が出てきたので、このような状態では戯曲は書けないと彼に伝えるほかなかった。

 矛盾はコミュニケーションの糸口になる。何かについて、それが~ではないということを知ることが、その実態を知る手がかりになることがよくあるからだ。ニーチェはかつて、コジマ・ワーグナー(注 コジマ・ワーグナー(一八三七―一九三〇)はフランツ・リストの娘で、リヒャルト・ワーグナーの二番目の妻。)に宛てて「たった三人でも私のことを理解してくれたらいいのだが」と書いた。コジマはニーチェを理解していた。それから何年もあとになって、アドルフ・ヒトラーという男が、ニーチェを誤解したまま哲学体系をそっくり構築した。ニーチェのような偉大な哲学者と、リヒャルト・ワーグナーのような偉大な音楽家が、今世紀における世界的苦難に大きく貢献したかもしれないというのは、矛盾している話だ。無知な人間が何かを部分的に理解すると、歪曲的で主観的な理解になる。そしてそのような理解をしたヒトラーは、ニーチェの哲学とリヒャルト・ワーグナーの作品を主軸にして、ドイツ人の感情に訴えかけたのだ。彼は偉大な思想を操作して、その時代の絶望へと書き換えた。それが真の絶望であったことを、私たちは決して忘れてはならない。

 作品を書くにあたって影響を受けた人物は誰かと訊かれると、私はユージーン・オニール、ロシアの作家たち、フォークナー、フロベールを挙げる。『ボヴァリー夫人』は意図的に簡潔に書かれた作品のように思われる。いつの時代においても、綿密に考えつくされた作品であり、苦労して書かれた作品の一つだ。『ボヴァリー夫人』 にはフロベールの時代における現実の声、その時代のリアリズム対ロマン主義という考え方が混じり合っている。申し分のないほど洗練された、そのわかりやすい文章を読むと、まるでフロベールの思考が、中断されることなく筆先から流れ出てきたように思える。彼は、作家として初めて自分のなかの真実と向き合っていたのだ。

 想像力と現実があって初めて、小説に何が必要なのかがわかる。私にとっては、現実だけがそこまで重要だったことは一度もない。かつてある教師が、人は自分の家の裏庭について書くべきだと言っていた。彼女は自分が一番よく知っていて、馴染みのあるものについて書くべきだと言おうとしたのだろう。でも自分の想像力以上に馴染みがあるものとはなんだろう? 想像力は記憶と洞察とを結びつけ、現実と夢とを結びつける。

 なぜもっと頻繁に南部に帰らないのかとよく訊かれる。でも私にとって南部は、感情がとても揺さぶられる場所で、そこには幼少時代のあらゆる思い出が詰まっている。南部に戻ると、いつも誰かと口論になるので、ジョージア州コロンバスを訪れると、愛と敵対心が掻き立てられることになる。私の作品の舞台はいつも決まって南部地方になるだろうし、南部はこれからもずっと私の母国なのだ。茶色い川とおなじように、私はニグロの声が好きだ。南部へ帰った時の小旅行や、自分の記憶、そして新聞記事のなかにも、依然として自分だけの現実があるように感じる。

 多くの作家にとって、幼少期には知らなかった新しい環境について書くのは難しい。幼かった頃に聞いた声のほうが、より真実に近く聞こえるのだ。そしてその頃に見た木々の葉のほうが、より正確に記憶に残っている。南部ではない場所で仕事をしていると、どの時期に花が咲くのかを決まって考える羽目になる。それに一体どんな花がひらくのだろう? 私は、南部の人間でない登場人物にはほとんど話をさせない。トーマス・ウルフはブルックリンの情景を見事に描いてみせたが、それよりも見事に描かれていたのは、南部の話し方や抑揚だった。これは特に南部の作家に言えることで、それは彼らの話し方や木々の葉だけでなく文化そのものが、南部をアメリカという母国の中の母国たらしめているからだ。どんな政治観を持っていようとも、リベラリズムに傾倒していたり、していなかったりしたとしても、それでもやはり南部の作家は、言葉や、声や、木々の葉や、記憶といった地域特有のものに縛られている。

 南部の作家で真に国際感覚を持っている人はほとんどいない。フォークナーはイギリス空軍やフランスについて書いているが、その記述はどこか説得力に欠けている。その一方で、彼がヨクナパトーファ郡について書いたほとんどの文章には、納得させられた。それどころか、私にとって『響きと怒り』は、おそらくアメリカ小説の中で最も偉大な作品だ。この小説には信憑性と雄大さが感じられ、何よりも、現実と夢とが融合する神聖な瞬間から生まれた優しさがある。

 一方でヘミングウェイは、アメリカの中で最も国際的な感覚を持っている作家だ。彼はパリ、スペイン、アメリカに精通しているし、幼少期にネイティブ・アメリカンと交流した話も書いている。ひょっとするとそれは彼のスタイルで、巧みに考え抜かれた表現方法なのかもしれない。ヘミングウェイは何かを生み出したり、自分のさまざまな見解を読者に納得させたりすることの達人ではあるが、感情に関して言えば放浪者だ。彼の作風では、作品の心に訴えるような側面に何かが隠されている。もし私がヘミングウェイよりもフォークナーを好むとすれば、それは私が慣れ親しんだものに――自分の幼少期を連想させ、その頃に聞いた言葉を思い起こさせる作品に――より心を打たれるからだ。私からすると、ヘミングウェイは言葉を創作スタイルの一つとして用いているように思える。

 職業柄、作家というのは夢想家で、意識的に夢を見ている。愛や愛から生じる直観なくして、どうして他人の状況に身を置けるというのだろう? 作家は想像しなければならないし、想像するとなると、謙虚さや、愛や、並外れた勇気が必要となる。愛や愛にともなう葛藤を描かずして、どうして登場人物を生み出せるというのだろう?

『針のない時計』という小説に取り組んでから、もう何年も経つ。おそらくあと二年ほどすれば仕上がるだろう。私の作品は執筆に時間がかかる。集中して向き合うことで、この小説は一日一日と進んでいる。私は作家としていつも一生懸命に取り組んできた。でも私はまた作家として、一生懸命取り組むだけでは十分でないことも理解している。尽力するうちに必ず啓示が訪れ、その神聖なる閃光によって作品に輪郭と調和が生まれるのだ。

 テネシー・ウィリアムズに、どんなふうにして『ガラスの動物園』の発想を得たのかと尋ねた時、彼は(牧師をしていた)祖父の教会区の信者の家で、薄い透けるカーテンを見て思いついたと言った。それが後に彼が追憶の劇と呼ぶものへと発展していったのだ。どうして薄い透けるカーテンの思い出が、彼の少年期の記憶にしっくりと当てはまったのかは、彼にも私にもわからないが、無意識というものは簡単に理解できるものではない。

 どんな芸術であっても、創作はどのようにして始まるのだろう? テネシーが追憶の劇として『ガラスの動物園』を書いたように、私も十七歳の時に『神童』を書いた。ある記憶を書いたものだが、その記憶をありのままにではなく、 短縮して書いたのだ。若い音楽教師の話だったが、実際に自分が習っていた音楽教師のことではなく、その人と一緒に学んだ音楽について書いた。そのほうが私にとっては真実に近いように思えたからだ。想像力は現実よりも真実に近いのである。

 古代のトリスタンとイゾルデの愛や、エロスの愛のような個人間における情熱的な愛は、ギリシャの祝宴の神や、兄弟愛の神のような神々の愛や、友情、アガペーの愛、そして人類愛に劣る。それこそまさに私が『悲しきカフェのバラード』で、せむしで小男のいとこ、ライマンに対してミス・アメリアが抱く奇妙な愛情を描いて表現しようとしたことだ。

 作家の仕事はその人の人柄だけでなく、生まれた地域にも基づいている。時々、グロテスクなものが崇高なものと並列される、いわゆる「ゴシック」と呼ばれる南部文学の小説様式は、南部において人間の命が軽んじられていることに起因するのではないかと思う。その意味でロシアの作家は南部の作家に似ている。私が子供の頃、南部はほとんど封建社会と言えるような場所だった。でも南部はロシアよりも、人種問題によってさらに複雑になっている。貧しい南部人のことを見た多くの人が、彼のたった一つの誇りは白人であることだと思い、人の自負心が哀れになるほど尊重されないとしたら、どうやって人は愛せるようになるのだろう? 何をおいても、素晴らしい作品は主に愛によって生み出されている。そしてそういう作品には、愛と情熱と共感がすべて溶け合っているのだ。

 どんなコミュニケーションにおいても、ある人に向けて言うことと、別の人に向けて言うことは大きく異なるが、書くことは、本質的にはコミュニケーションである。そしてコミュニケーションは、愛、良心、自然、神、そして夢にたどり着くための唯一の手段だ。私について言えば、自分の作品の中に入っていけばいくほど、また好きな作品を読めば読むほど、夢と神の論理が明確に見えてくる。それはまさに、神聖な瞬間なのだ。
 (了)

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