書評
2020年9月号掲載
特別エッセイ
ベルリンでの暮らしから生まれた物語
近況と新作『とわの庭』のこと(2)
対象書籍名:『とわの庭』
対象著者:小川糸
対象書籍ISBN:978-4-10-331193-5
初めてベルリンを訪れたのは、十二年前になる。某航空会社の機内誌にエッセイを書くため、取材で訪ねたのが最初だった。季節は、春。新緑のまぶしい時季だった。
ホテルで朝食をとりながら聞こえてくる鳥の声が、妙に印象的だったのを覚えている。鳥たちが、とてものびやかに、喜んで声を上げているように感じたのだ。それまでに幾度もヨーロッパを旅したけれど、ベルリンには、それまでわたしが感じていたヨーロッパの町とは、また種類の異なる独特の空気が流れていた。
喜んで生きているのは、鳥だけではなかった。人もまた、表情が豊かで、生き生きと楽しみながら暮らしている。
取材もほぼ終わりかけの夕暮れ時、同行の編集者やカメラマン、コーディネーターの方とカフェで一休みすることになった。そこは、坂の下の方に店を構えており、窓からは道の往来の様子がよく見渡せる。
飲み物を飲みながら、ぼんやりと外を見ていた時だった。ひとりの女性が、自転車に乗りながら颯爽と坂道を下りてきた。その表情が、なんとも言えず素敵だったのだ。ただ自転車に乗っているだけなのに、そのことに喜びを感じている笑顔だった。
その光景を見た瞬間、わたしはベルリンが好きになった。恋に落ちてしまったのだ。この町でなら、自分らしく力を抜いて生きていけるかも知れない。そんな予感がした。
以来、夏の間だけアパートを借りてベルリンに滞在するという暮らしを、数年ほど繰り返した。知れば知るほどベルリンは魅力的な町になり、少しも色あせない。毎年、夏の三ヶ月はあっという間に過ぎ去った。
本格的にアパートを借り、一年を通して住むようになったのは、三年前の春からだ。夏だけの滞在は、いいとこ取りでもある。そのことに、自分の中で物足りなさというか、後ろめたさを感じるようになったのだ。ならばこの体で、ベルリナーたちが一様に辛いと口にする冬を体験してみようではないかと、覚悟を決めたのである。
結果として、ベルリンの冬を知ったことで、わたしはますますベルリンが好きになった。あの、暗くて寒い、長い冬があるからこそ、太陽に感謝する気持ちがめばえ、一瞬の光でも狂喜乱舞するように心の底から喜べるのだ。
ベルリンには、自由がある。ベルリナーは、自由というものを、本当に大切にする。それは、ひとつの町が強固な壁で東西に分断され、不自由な暮らしを肌で知っているからこそ培われたもの。自由というのは、決して空気のように当たり前にあるものではなく、人々が日々努力し、守っていかなければ簡単に掌から離れてしまう。その現実を知り尽しているから、必死で守ろうとするのだろう。
そして、ベルリナーたちは、自分の自由と相手の自由を、同じように尊重する。結果として、いろんな背景を持った人にとって、生きやすい社会になっているので、自由を求めて世界中からたくさんの人が集まってくる。
ベルリンを歩いていると、幾つもの「つまずきの石」に遭遇する。それはかつて、その場所から連れ去られたユダヤ人の氏名などが刻まれた金色の四角いプレートである。時には、五つや六つのつまずきの石が、ひとかたまりとなって並んでいる。負の歴史から目を逸らさずに忘れない努力をしているのも、日本との大きな違いである。
『とわの庭』は、ベルリンで執筆した二作目の作品だ。内容はベルリンとは全く関係がないけれど、でもベルリンでつまずきの石に出会わなかったら、きっと生まれていなかった物語だと自覚している。
ベルリンにアパートを借り、四季を通して住んだことではっきりとわかったこと。それは、夏の光が美しいのは、厳しい冬があるからなのだ。けれど、決して冬が寒くて暗いだけの時間かというと、そんなことはない。暖かいセーターを身に纏ったり、蝋燭の明かりを灯したり、ホットワインを飲んだり、冬には冬しか味わえない喜びがある。
わたしは、夏と同じくらい、冬のベルリンも好きになった。春には春の、秋には秋の、それぞれの美しさがある。
人生にもまた、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。喜びに満ち、笑顔だけを浮かべて生きられる人生だったら万々歳だけど、もしそうならなくても、人間には、闇を光に、束縛を自由に変える力があるのではないだろうか。
ベルリンに生きる隣人たちが、そのことをわたしに教えてくれたのだ。『とわの庭』で書きたかったのは、きっと、そんなようなことだったんじゃないかと思っている。
(おがわ・いと 作家)