書評

2020年10月号掲載

『自転しながら公転する』刊行記念特集

いまはもう、森ガールじゃない

枡野浩一

対象書籍名:『自転しながら公転する』
対象著者:山本文緒
対象書籍ISBN:978-4-10-136063-8

 毎日熱心にみているマッチングアプリの自己紹介欄には、好きな作家として山本文緒の名前を書いている。名前と職業は伏せているけれども、写真は私自身の近影だし、51という年齢も183という身長も本当の情報を書いている。
 山本文緒、好きですよ。と反応をくれた人が一人いて今もやりとりは続いているけれども、新型コロナの様子をみていたら会うタイミングを逸してしまった。山本文緒ファンの人となら気が合いそうだし、恋人ではなく友達募集と明記しているのだけれども、マッチングアプリで友達募集と書いたとき本心と信じてくれる相手は少ない。山本文緒ファンと恋愛関係になったら大変かもしれないなと思いながら、七年ぶりの新刊『自転しながら公転する』を読んだ。
 好きな本が少ない。多くの読者を得ることを前提に出版されるタイプの小説で読み逃さないのは山本文緒くらいだ。
 山本文緒は全著作を網羅的に読んでいる。と書いてから、嘘だった、と思う。ジュニア小説家時代の作品は少ししか読めていない。新刊を入手しやすい本は全部読んでいる、と書くべきだった。私は嘘が苦手で、「まあ嘘だけど本当ということにしておきましょう」的な忖度が基本できない。
 日常生活でこんな嫌なことを言われたのだが、痛快な人があらわれて即座に言い返してくれたおかげでスカッとしました。みたいなエピソードを紹介するテレビ番組がある。嘘ばっかり、と思う。ツイッターでその番組の名前をサーチすると、嘘だ嘘だとみんなが書いている。でも番組は2014年から現在まで続いているのだ。嘘の話でスカッとしたい人が世の中には多いんだろう。偽りの爽快感である。
 山本文緒には嘘がない。ノンフィクションと思って読むわけではないが、「こんな都合のいい展開あるわけない」と感じることがほぼない。ごく稀にそう感じても、読み進むと「ああ、なるほど」と腑に落ちる。ここには世界の真実しか書かれていないし、この人たちは実在する、と思う。
 だから『自転公転(略称)』も、付箋をつけ、しおりをはさみながら少しずつ読んだ。真実は自分の肉体に直接しみるから、痛くて目を閉じたいところがしばしばあるのだ。
 アウトレットモールの衣料品店で働く、お洒落で気のまわるヒロイン都に魅了され、回転寿司店で働く、元ヤンキーなのに本好きの貫一にも心ひかれ、二人がうまくいってほしいと願いながら読む。夢のように幸福な瞬間が描かれた直後に、まさかと思う悲しい気分がやってくる。同じ経験をしたことはないのに「ああこれ、知ってる」と思う。そして私自身の人生では知りえなかった、別の視点の語り手によるちがう角度からみた物語に衝撃を受け、それとは逆の意見を言う登場人物にも共感する。何か言われるたびに「確かにそうも言えるかも」と説得されてしまい、心迷う。
 作り物めいた「スカッと話」が退屈なのは、「悪者」と「いい者」がきれいに分別されているからだ。都が、その母親である桃枝の目で見つめられるとき、都の「影」が濃く見えたりもする。母と娘は、こんな残酷な会話すらする。
《「私、森ガールのとき幸せだったな」
「え?」
「欲しい服が山ほどあって、お給料つぎ込んで次々と買って、お金がもったいないとか、将来が不安だとかまったく思わなかった」
「今は森ガールじゃないの?」
 からかい半分で笑って聞くと、娘は泣きそうな顔で頷いた。
「いまはもう、森ガールじゃない」》
『いまはもう、森ガールじゃない』という書名であってもよかったのではと思うほどの台詞だ。だが本作は世代の異なる女三人の視点が交錯する、期待より巨大な小説だった。
 都と貫一の色恋沙汰は予測を超える道筋をたどる。最後の章を読み終えたとき喉を詰まらせて泣く自分自身に驚いた。恋愛結婚小説であり、仕事小説でもあり、親子問題小説でも、高齢化社会問題小説でもある本作は、エピローグでまた別のジャンル小説であることが判明し、さらに驚く。
 真実の書かれた小説は人生に傷を刻み、傷が行動を促すことがあるような気がする。そのマッチングアプリで私が実際に会ってみた人は0名なのだが、それを変えてみてもいいのかもしれないと思った。《お洒落な人って狭量な面があると思います》といった、戦慄のキラーフレーズにびっしり付箋をつけた本書を見せたら、笑われるだろうか。

 (ますの・こういち 歌人)

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