書評

2020年10月号掲載

『マインドハッキング』刊行記念特集

一国の政治すら左右するデジタル社会の「闇」

クリストファー・ワイリー『マインドハッキング ――あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア

梶谷懐

対象書籍名:『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア
対象著者:クリストファー・ワイリー/牧野洋訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507191-2

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 衝撃的な書物だ。2016年の米大統領選挙で、フェイスブック社のデータを用いてトランプ陣営に有利な世論操作が行われたことくらいは筆者も知っていた。しかし、その「恐ろしさ」については十分に認識していなかった。まさか、こんなことが起きていたとは! 本書は、その大統領選挙への不正な介入――ケンブリッジ・アナリティカ(CA)事件――の全貌を、メディアへの内部告発を通じて明らかにしたデータサイエンティストのクリストファー・ワイリー氏の手記である。
 CA事件とは、フェイスブックユーザーにアプリをダウンロードさせ、心理テストに回答させることを通じて、回答者と友人の個人情報を入手し、プロファイリングにかけたうえで、「トランプに投票してくれそうな」ターゲットにその支持をより強固なものにするよう働きかける「マイクロターゲティング」と呼ばれる世論誘導を行ったものだ。英国のブレグジット国民投票の際にも同じ手法で世論誘導が行われたという。
 本書は、この事件の本質が私たちを取り巻くデジタル社会の「闇」そのものにあることを教えてくれる。それは、以下の三つに整理できるだろう。
 第一に、膨大な個人情報を取得するプラットフォーム企業は、その個人情報を利用しさえすれば、一国の政治を左右することなど簡単にできてしまうだけの権力をすでに持っている、ということだ。著者のワイリーによれば、CA社は米大統領選に介入する前に、すでにトリニダード・トバゴやケニア、ナイジェリアといった「先進国の目を引かない国」でクライアントの依頼を受け、選挙や国政に介入している。
 第二に、米国がその典型だが、個人データを用いた世論誘導は、社会の中に「憎悪」が渦巻いているとき、それを火種に燃え上がらせることを通じて行われる、ということだ。
 例えば、CA社にターゲットとされた人々の多くは「インセル(非自発的禁欲主義者)」と呼ばれる若い男性だった。インセルに代表されるトランプ支持層は、「マイノリティによって被害を受けるマジョリティ」としてのアイデンティティを強く抱いている。こういった人々は、普段からマイノリティの権利を訴えるリベラル陣営を敵視しているだけでなく、その不正や、欺瞞のニュースを見ると、怒りで理性を失う傾向がある。こういった人たちに対してCA社は、「あなたは被害者です」「移民が苦しんでいるのは彼らに問題があるからです」というメッセージを流し続け、同じような主張を繰り返すトランプ陣営を支持するように仕向けた。その結果、米国社会の分断と憎悪はさらに深刻なものになったのである。
 本書が暴いた第三の「闇」は、それだけ大きな権力を持っているにもかかわらず、大量の個人情報を扱うビジネスを牛耳る人々の倫理観はあまりにも低いということだ。
 著者のワイリーはリベラルな政治思想の持ち主で、十代の時にオバマ大統領の集会に参加して感動し、CA社を退社してからは故郷のカナダに戻り、リベラル派のトルドー政権のスタッフを務めていた。そんな彼でも、自分のやっていることが倫理的に許されないことだ、と気が付くまでに、かなり長い時間がかかっている。つまり、社会の対立を煽ることで一国を滅ぼすことも可能な「兵器」を扱っているというのに、大量の個人情報を扱うエンジニアの多くは、そのことを自覚することはほとんどない、ということだ。
 著者は、GAFAが提供するサービスが、すでに生きていくうえで不可欠な「社会インフラ」になっていると指摘する。例えば、電気、水道、鉄道などには、人々が安全に使うための法的規制があり、万一不備があって事故が起きた時には、運営会社はその補償をしなければならない。しかし、GAFAは同じく社会インフラを提供しながら、その不備で「とんでもないこと」が起きても、ユーザーや社会の安全についてほとんど何の責任も負わない。
 このような深刻な事態を認識したうえでワイリーは、「インターネット版建築基準法」のような法体系を整えて、エンジニアたちに厳しい倫理規範を課すことで、ユーザーが安全に使用できるようにきちんと規制をかけることの必要性を説いている。
 日本でも、この5月に「スーパーシティ法案」が成立するなど、世界的な社会のデジタル化の流れに追いつくためには大胆な規制緩和が必要だ、という方向に傾きつつある。しかし、データ社会にふさわしい法規制のありかたについて合意がなされないまま、規制緩和だけが先行する状況はあまりに危険なのではないか。本書を読み終えて、そんなことを考えざるを得なかった。

 (かじたに・かい 神戸大学大学院教授)

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