書評
2020年10月号掲載
『マインドハッキング』 刊行記念特集
世界の分断をもたらした「恐るべき子供たち」
対象書籍名:『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』
対象著者:クリストファー・ワイリー/牧野洋訳
対象書籍ISBN:978-4-10-507191-2
子どものときに、自分はみんなとはずいぶんちがっていると気づいたとしたら。
クリストファー・ワイリー(1989年生)は、まさにそんな子どもだった。小学校で難読症(ディスレクシア)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断され、11歳のときに歩行障害を起こす難病になって車椅子生活を余儀なくされた。この障害のために学校ではいじめの標的にされ、授業に出ずに校内のコンピュータ室に籠もってプログラミングを独学で習得した。
そんなワイリーは、15歳のとき、両親の勧めでインターナショナルスクールのサマーキャンプに参加し、ルワンダ虐殺の生存者と友人になったり、イスラエルとパレスチナの学生の討論を聞くなどしたことで政治に興味をもつようになる。この頃には、自分がゲイ(男性同性愛者)だと自認していたようだ。
16歳で高校をドロップアウトしたワイリーは、地元政治家の集会に参加し積極的に発言したことで、「車椅子で髪を染め、ゲイをカミングアウトしたハッカーの若者」として目立つ存在になっていた。このとき知り合ったカナダ自由党関係者から誘われ、18歳のときに政党本部のアシスタントになり、2008年大統領選でのバラク・オバマの選挙活動の視察メンバーに選ばれ、ビッグデータとSNSを活用した選挙キャンペーンに衝撃を受けた。
カナダに戻ったワイリーは、有権者の個人情報を活用する政治運動を実践しようとするが、その急進的な手法が強い反発にあったことで、21歳でカナダを離れロンドンで法律を学ぶことにする。ところがそのワイリーを、イギリスの政治関係者は放っておかなかった。オバマのキャンペーンを間近で見たテクノロジーに詳しい若者は、選挙の専門家にとって貴重な人材だったのだ。
学業の傍らイギリス自由民主党のデータ構築を手伝ったワイリーは、ロンドン芸術大学の博士課程に進むことにしたが、そのときアレクサンダー・ニックスという男から誘いを受けた。ニックスはSCL(戦略的コミュニケーション研究所)というコンサルティング会社の幹部で、その後、アメリカで「ケンブリッジ・アナリティカ」という関連会社を設立することになる。
『マインドハッキング』は、24歳でデータサイエンティストとしてSCLで働くことになったワイリーが、ニックスと袂を分かつまでの1年半の記録だ。この短い期間に、ワイリーは驚くべき体験をしている。
2013年、ワイリーは初対面のアメリカ人顧客にビッグデータを使った心理戦略を説明した。アメリカ人はこの話に強い関心をもち、自分のスポンサーに直接、プレゼンテーションする機会をつくった。
アメリカ人の名前はスティーブ・バノンで、当時はブライバート・ニュースという「オルタナ右翼」のニュースサイトを経営していた。バノンのスポンサーはヘッジファンド、ルネサンス・テクノロジーズで莫大な富を築いたロバート・マーサーで、共和党の政治家に巨額の献金をしていた。マーサーは16年の共和党大統領候補にテッド・クルーズを推していたが、彼が撤退すると、ヒラリー・クリントンを阻止するために別の候補に乗り換えた。それがドナルド・トランプだ。
トランプの選挙対策本部長に就任したバノンは、ケンブリッジ・アナリティカがフェイスブックから入手した8700万人のユーザーの個人情報を使い、有権者一人ひとりの心理をテクノロジーによって徹底的に分析したうえで、個人ごとに最適化された広告やニュースをSNSに流して選挙結果に影響を与えたとされる。このスキャンダルが明らかになると、フェイスブックの株価は暴落し、ケンブリッジ・アナリティカは会社の清算を余儀なくされた。
その経緯は本書に詳しいが、興味深いのは、この事件にかかわった者たちの年齢と経歴だ。トランプの選挙戦に深く関与し、ロシアとのつながりを疑われた元ケンブリッジ大学の心理学者アレクサンダー・コーガンは、1985(あるいは86)年に旧ソ連邦モルドバに生まれた。コーガンの同僚で、フェイスブックのデータを使った心理分析プログラムを開発したとされる心理学者のミハル・コシンスキー(現スタンフォード大学准教授)は、1982年ポーランド生まれだ。ワイリーに続いて内部告発者となったブリタニー・カイザーは1987年生まれで、事件当時みな20代から30代前半だった。
『マインドハッキング』は、そんなアンファンテリブル(恐るべき子供たち)による「デジタル時代の冒険物語」でもあるのだ。
(たちばな・あきら 作家)