書評
2020年10月号掲載
300年後の“成仏”
釈徹宗『天才 富永仲基 独創の町人学者』(新潮新書)
対象書籍名:『天才 富永仲基 独創の町人学者』(新潮新書)
対象著者:釈徹宗
対象書籍ISBN:978-4-10-610875-4
わたしが富永仲基の存在を最初に知ったのは、松岡正剛さんの『空海の夢』(春秋社)の読書を通してだ。いまから300年ほど昔の大坂に、インド、中国、日本それぞれの地域の風土文化の違いから、仏教、儒教そして神道の宗教としての差異を理解しようとした人がいたという事実に衝撃を受けた。わたしは、台湾、ベトナム、日本とアジア諸国に広がる家族に生まれ育ち、フランスやアメリカの教育を受けてきて、「風土が思考を形成する」ことをいわば当事者として生きてきた。だから、仲基の国境をまたぐ視座からは多くを学べると直観したのだ。
それから歴史家・内藤湖南の大阪毎日新聞での講演録、つづけて宗教学者・島薗進さんの論文『宗教学の成立と宗教批判:富永仲基・ヒューム・ニーチェ』を読み、いよいよ仲基の原文にとりかかりたい欲求が高まった。そこで、『出定後語(現代仏教名著全集 普及版)』(隆文館)を入手したのは良いものの、その分厚さに怖気づいてしまい、なかなか開くことができないでいた。そんな折に、釈徹宗さんが富永仲基の本を書かれているとご本人から教えて頂き、これぞ仏教でいう冥加なのかと喜んだばかりだった。
そうして手に取った本書は、期待を裏切らなかったばかりか、当時の時代背景を含めた仲基という人の全体像を教えてくれる内容だった。仲基の人生を俯瞰しつつ、『出定後語』に加えて、『翁の文』と『楽律考』というよりマイナーだが重要な文献の内容を繙いてもらえる歓びを噛みしめた。さらに、釈さんの講演を聴いているかのように平易な文体で書かれているおかげで、わたしのような専門外の人間にもとても読みやすく、読了するのに二日とかからなかった。
もちろん、仏教に関する専門用語がたくさん出てくるので、注釈を読んだり辞書で調べたりしながら理解を深めるべき箇所も少なくなく感じられた。しかし、仮にそのひとつひとつを詳述していたら、本書の読みやすさは損なわれていただろうとも思う。逆に本書で気になった概念を、さらに他の書籍や文献であたろうという好奇心の種を植え付けてもらったようにも感じる。
ところで、わたしが本書を読みながら静かに感動したのは、仏僧である釈さんが、仏教の発達に冷徹なメスを入れる仲基に対して、実にフェアな視点を保ちながら書かれている点だ。もちろん、そのことは釈さん自身が仏教徒以外にも比較宗教学者としてのアイデンティティも併せ持っていることに拠るところが大きいだろう。しかし、それ以上に釈さんが仲基に向ける、冷静でありながらも暖かい眼差しには、未来への希望のようなものを感じさせられた。
わたし自身は無宗教者だが、さまざまな宗教体系が築いてきた文化の数々に敬意を抱いて生きてきた。また、特定の儀礼宗教を信仰せずとも、自分の認知を超える不可知の現象に対する信仰心は少なからず持っているつもりだ。しかし、現代、特に日本社会では、宗教について人とオープンに話しづらい空気が漂っているように感じる。
だからこそ、互いを傷つけることなく、異なる宗教観について自由に語り合える社会に生きたいと強く思う。そのためのひとつの道筋としては、わたしのような無宗教者がもっと宗教の歴史について学ぶことが前提となるだろう。ただしその際、宗教にまつわる客観的な知識だけを取り込むだけでは、宗教者と無宗教者の議論は平行線をたどることになってしまう。わたしのように、特定の固有名を持つ信仰対象を持たない無宗教者でも、言語化の網を超えて感得する直観や内観について、宗教者と共有する意志を持つ必要がある。それと同時に、本書でも釈さんが書かれているように、宗教者の側が原理主義に陥らずに、異なる宗教体系、そして無宗教者たちの信仰のかたちをつなげる「間テキスト性」に対して開かれる必要もあるだろう。
本書は、その意味では世俗者として「誠の道」というメタ宗教原理に漸近しようとし続けた富永仲基と、宗教者にして近代的な研究者でもある著者の、時代を超えた穏やかな対話として読める。仲基は生前、周囲の理解を得られないまま早逝し、さらに本書が解き明かすように後代の仏教排斥論者たちに誤用されるという不幸に見舞われた。しかし、300年後に釈徹宗のような理解者が仏教の世界から現れたことを知れば、仲基の無念もきっと成仏するに違いない。