書評
2020年11月号掲載
『とわの庭』刊行記念特集
小川糸さんへの手紙
対象書籍名:『とわの庭』
対象著者:小川糸
対象書籍ISBN:978-4-10-331193-5
ぶどうの季節が終わり、そろそろ越前柿が食べ頃の、北陸の温泉街に来ています。
広い湯船にひとりきり、掛け流しの湯がトポトポ注ぎ込む音を聴きながら、昨夜読み終えたばかりの小説『とわの庭』のことを考えていました。
書店員として、本を読むのも仕事のうち、という状態が何年も続きました。泣いたり笑ったりしながらも、常に読み急いでしまう。まだ1行も読めていない本のトークイベントで司会をする悪夢は、本当に生きた心地がしません。読書に締め切りがあるのが、当たり前になっていたんですね。
最近ようやく、味わいながら読むことができるようになりました。物語の中の「とわ」が、もう急がなくても大丈夫なのに、食べ物をゆっくり口に運べなかったことと、少し似ているかもしれません。
「読むのが速い」「たくさん読んでいる」ということが褒め言葉になる世の中に、違和感を覚えます。私にとって読書は、当たり前のことだからです。とわにとっても、《食べることにも似た、物語に宿る命そのものを自分に取り込む行為》だと知って、思わずハイタッチしたくなりました。読書は食事と同じで、慌てて食べれば消化不良を起こすし、食べたいときに食べられなければ、とても苦しいものだと、私は思うのです。
目が見えないとわは、物語を耳で聴いていましたね。それでも、本が読めることを喜ぶとわを見て、書店員になる前の気持ちを思い出しました。図書館に並んでいた物語は、私の命の恩人です。作者は私のことなんて知らないけれど、私が読めば、それは私のための物語になりました。だから、こうして小川さんにお手紙を書く必要はないのかもしれない。でも、とわのことをいちばん知っている人だから、話を聞いて欲しかったのです。
お母さんに本を読んでもらえなくなったとわが、どれほど辛かったか。とても苦しいとき、この現実以外の世界がどこかにあることが、どれほどの救いになるか。今振り返っても人生最悪と思える時期に、よりによって、村八分にされた男が村人全員を恨み、殺しまくって火を着けるという、何の救いもないミステリを夢中で読んだことを思い出しました。私は今でも、その物語が好きです。ここではないどこかへ、一瞬でも連れていってくれたから。
目が見えない人の話をするのは、とても難しい。とても気を使います。でも、私はたくさん想像したいし、施設で出会ったスズちゃんのように、屈託なく接することができるようになりたい。目が見える人と同じように、ではなく、目が見えないことを含めたその人を、直視できるようになりたい。
人はみな、それぞれ自分の世界で生きていて、私が好きなとわも、私の中のとわでしかないのでしょう。でも、だからこそ、とわを好きだと思う気持ちは、やがて私が私を少しでも好きだと思える気持ちに、変わっていくような気がしています。
小川さん、とわの物語を書いてくれて、本当にありがとうございました。