書評
2020年11月号掲載
文学がつなげてくれる地球とわたしたち
伊与原 新『八月の銀の雪』
対象書籍名:『八月の銀の雪』
対象著者:伊与原新
対象書籍ISBN:978-4-10-120763-6
『八月の銀の雪』の5編の物語は、どれも出会いから始まる。「海へ還る日」では、シングルマザーの母と娘が、満員電車の中で母くらいの年齢の女性に席を譲ってもらう。この女性が娘に自分が勤める博物館のくじらのシールをくれたことで、この三人が再会するきっかけが生まれる。「八月の銀の雪」では就活中の男子大学生がコンビニの外国人バイト店員と、「アルノーと檸檬(レモン)」では不動産会社の社員が老朽アパートに住む老婆と、「玻璃(はり)を拾う」では週末の昼飲みが好きな独身OLが、「休眠胞子」と名乗る中年男性と、「十万年の西風」では、原発の下請け会社を辞めて旅に出た40歳代の男性が、茨城の海岸で六角凧をあげる70歳代の男性と出会う。どの出会いからも、地球や自然に関わる物語が語られはじめる。それは地面から2900キロメートルの地下のことだったり、ハトの帰巣本能のことだったり、ガラスの体をもつ生物のことだったり、太平洋を渡るジェット気流のことだったりする。伊与原新さんは文学の人であるとともに、科学の人でもある。だから、ここで語られる地球や自然の現象の記述は、ファンタジーやフィクションではない。
『八月の銀の雪』で出会う人たちは、どちらかが「語り手」になり、どちらかが「聞き手」になる。会話はキャッチボールなので、その役割は入れ替わることもあるし、三人目の人物が登場することもある。そして話しかける相手がクジラだったり、ハトだったり、地面だったりすることもある。
小川洋子さんが、今年8月にNYタイムズに発表した「死者の声を運ぶ小舟」という文章の中にこんな一節がある。「たとえ原爆の体験者が一人もいなくなっても、弁当箱が朽ちて化石になっても、小さな箱に潜む声を聴き取ろうとする者がいる限り、記憶は途絶えない。死者の声は永遠であり、人間はそれを運ぶための小舟、つまり文学の言葉を持っているのだから」。
わたしは博物館で、主に1億4500万年前から6600万年前の白亜紀の恐竜などの化石の研究をしている。アメリカのワイオミング州の荒野で、私が手に取った化石はトリケラトプスの頭の一部だった。今から6600万年前に死んだ恐竜だ。そんな化石と偶然出会った私は、6600万年もひとりぼっちで暗い石の中にいた化石に労いの言葉をかける。そして物言わぬ化石から一言でも多くの証言を聞き出そうと、化石を見つめ続ける。私が弁当箱の「化石」に出会ったら、私も小川さんと同じようなことをするだろう。
化石から聞き出したことを、わたしは論文の形で、他の研究者や学生たちに伝えようとする。それは文学ではなく、科学と呼ばれる営みである。私が化石から「聞き取った言葉」は、その時の私にしか聞こえなかったことかもしれない。私は、私の「聞き手」としての解釈の正しさを示そうと文字を連ねる。科学論文はどのように評価されるのか? ひとつは再現性である。「聞き手」が私以外の研究者であっても、「語り手」からは同じ言葉、同じ内容が語られるかである。そして、その論文の読者たちには、その「聞き手」の語る内容が客観的に正しいか、その内容に同意できるかどうかが問われる。
文学は「聞き手」や「語り手」の再現性や客観性を評価したり、同意するようなことを求めない。文学はかわりに読者に「あなたはどう思いますか?」と問いかける。だからこそ、私たちは『八月の銀の雪』の登場人物たちと心の中で会話することができるし、時には自分自身を人物や生物に重ね合わせることができる。伊与原さんは、わたしたちが地球や自然と出会うだけでなく、語り合えるように、そして理解し合えるようになることを願って、文学という形をとっているのだろう、と私は勝手に想像している。そしてわたしは、本作を読みながら、科学も文学を必要としていることを何回も実感していた。「八月の銀の雪」であれば、地球深部の構造をもっと知りたいと研究している外国人留学生が「みんな、なんで自分たちの住む星の中のこと、知りたくならないのですか?」と問う場面がある。同じことを科学者のわたしが言っても、どのくらいの読者に響くのかわからない。しかし、彼女の言葉だったら、地球の裏側まで届くような気がする。それが文学の力なのだろう。
会わない、触らない、近寄らない。新型コロナウイルスの流行によって、世界中で取り入れられている新しい習慣である。withコロナの現在だったら、5編の物語の何人かは出会うことがなかったかも知れない。そうしたらあの物語は紡がれなかったかもしれない。そんなもったいないことがこの世で起こって良いのだろうか? こんな時代だからこそ、わたしはあなたに本書を手に取って、目で文字を見て、耳を澄ましてみてほしいと思うのだ。