書評

2020年11月号掲載

凄絶な孤独を抱えた二人の「道行き」

米本浩二『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二

梯久美子

対象書籍名:『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二
対象著者:米本浩二
対象書籍ISBN:978-4-10-350822-9

 米本さん、やっぱり書いたのですね。『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』から3年、この本が出るのをわたしは待っていました。かならず書いてくれるに違いないという確信をもって。
 石牟礼さんの初の本格評伝である前著は、石牟礼さん本人へのインタビュー(たゆたうような語りの再現のすばらしさ!)をはじめ、ゆかりのある人たちの証言や、石牟礼さんの著作、手紙や短歌などを自在に引きながら、一個の稀有な精神の軌跡をたどった作品でした。
 幼少期から教師時代、短歌との出会い、結婚、文学的彷徨、水俣病との出会いと闘争――。丁寧な筆致で石牟礼さんの魂の遍歴がつまびらかにされてゆく中、多くの読者に強い印象を与えたのが、渡辺京二さんとのかかわりでしょう。
『苦海浄土 わが水俣病』の原型となった『海と空のあいだに』が掲載されたのは、渡辺さんが編集する雑誌「熊本風土記」でした。
 作家と編集者という関係は、水俣病を生ぜしめた企業と国家に抗して共闘する仲間になり、やがて渡辺さんは、石牟礼さんが執筆に専念できるよう事務手続きを引き受け、身の回りの世話や食事のしたくまでするようになります(しかも渡辺さんは、そうやって日々、石牟礼さんを支えながら、『逝きし世の面影』『黒船前夜』『バテレンの世紀』といった作品を書いています)。
 ともに家庭を持つ身であった二人の、半世紀にわたる深いかかわり。編集者と作家でもなく、闘争の同志でもなく、夫婦でもない。けれどもたしかに女と男であり、あえて名付けるならば、愛としか呼べないものがそこにはあることが、3年前の評伝からは伝わってきました。でも、それだけではわたしは満足できなかった。もっと深く、この二人のことを知りたく思ったのです。
 同じように思った読者は多くいるはずですし、何よりも米本さん自身が、そこを書かなければ、石牟礼さんの人生のもっとも肝心な部分はわからないと思っていたのではないですか?
 これまでだれも踏み込まなかった二人の関係(石牟礼さんが晩年、まるで聖女のようにメディアで扱われていたこともあるのでしょう)。本書『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二』で、米本さんはそこに、覚悟をもって踏み込んでいます。それは、石牟礼さんのもとに繰り返し通い、彼女の療養を支えた人たちとともにその晩年を見届けることになった米本さんだからできることだったに違いありません。
 本書には、石牟礼さん、渡辺さん、米本さんの3人が、石牟礼さんの病室で過ごした時間と、そのときの石牟礼さんと渡辺さんの会話が描写されています。米本さんは例によって、存在としては控え目ですが、作家の貪欲な目と耳はたえず働いています。石牟礼さんと渡辺さんのとりとめのない会話――原稿や便秘やヨーグルトの話をしていても、どこか睦言のように聞こえます――は、凄絶な孤独を抱えた者同士が、果ての果てに行きついた場所の穏やかさを思わせます。
 そこに至るまでの二人の間にどのような魂の格闘があったのか、米本さんは、渡辺さんの日記や二人が交わした書簡などから説得力を持って描き出していきます。そして、渡辺さんが折々に発表してきた一見なにげない文章を深く読み込むことで、渡辺さんにとっての愛情のありかたをあきらかにし、さらに渡辺さん本人にも、突っ込んだインタビューを試みているのです。
 本書では、2018年2月に亡くなった石牟礼さんの最期と、その前後の渡辺さんの姿と言葉も書き留められています。そこに至って初めて、渡辺さんは、自分たちの関係が何であったのかを言葉にします。
 前著は石牟礼さんの評伝でしたが、本書は渡辺さんの評伝といえるかもしれません。米本さんは終盤で、二人の歩みを、石牟礼さんの作品中の言葉をもとに、「道行き」と表現します。道行きの相手に先に死なれた渡辺さんは、これから何を書くのか。あるいは書かないのか。米本さんと同様、冷徹な評伝書きであるわたしは、実を言うと本書を閉じた瞬間から、ひそかに楽しみにしているのです。

 (かけはし・くみこ ノンフィクション作家)

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