書評

2020年11月号掲載

三島のロマン主義に思いを馳せる

三島由紀夫『手長姫 英霊の声 1938-1966(新潮文庫)

石井遊佳

対象書籍名:『手長姫 英霊の声 1938-1966(新潮文庫)
対象著者:三島由紀夫
対象書籍ISBN:978-4-10-105039-3

「私は生来、どうしても根治しがたいところの、ロマンチックの病いを病んでいるのかもしれない」(「私の遍歴時代」)
 この短編集を一読して、私が心惹かれたのは三島由紀夫におけるロマン主義の変遷といったものだ。総じて三島文学は感情の恣な奔出であるロマン主義と、整然たる秩序が支配する古典主義との均衡とせめぎ合いのもとに作品世界が成立していると言える。だが右に掲げた通り、作家としてのみならず個人としても空前絶後の癒しがたいロマン主義者として時代を駆け抜けたのが三島であった。新編集の本作品集で三島作品のロマン主義のありようをたどることは、間違いなく彼の精神史を確認する作業ともなる。
 本書は昭和の年数と同い齢の三島由紀夫が十三歳から四十一歳までに執筆した九編を収める。各々の作品に発表時の年齢を掲げ、それぞれのドアノブに、当時の社会情勢などにつき簡単なメモが掛けてある。時代の流れの中で生身の三島を意識し、昭和の脚注として独特の説得力をもつ三島作品をリアルに味わってほしい、という趣旨が見て取れる。
 収録作は処女作の「酸模(すかんぼう)」と晩年の作に属する「英霊の声」、そして作者自身が「仮面の告白」の萌芽が見られると評した「家族合せ」、怪奇譚の形を取らない怪奇譚「手長姫」、他に「携帯用」「魔法瓶」「切符」などである。
 十二歳のとき学習院の校友会誌『輔仁会雑誌』に初めて詩を発表、その文才が学内の話題をさらった翌年、同誌に掲載されたのが小説処女作「酸模」。
 深い森で少年は脱獄囚と出会い魂の会話を交わす。初期作品に典型的な「少年が迷宮で異人と出会う」パターンだ。
「生れて四十九日目に祖母は母の手から私を奪いとった。......祖母の病室で、その病床に床を並べて私は育てられた」(「仮面の告白」)という特殊な環境で三島は幼少期を過ごした。中等部に進み文芸部に入部したが、父親は文学を理解せず、何より天性の鋭敏すぎる感受性が彼を孤独に置いた。「酸模」では、散文詩を思わせる瑞々しい文章で三島は自身の疎外感と孤立感に表現を与えている。少年詩人は読書と創作の中でロマン主義者としての助走を始めていた。この作品に注目した恩師により同人誌『文藝文化』に知己を得た三島は、以降日本浪曼派の強い影響下でその文学的基層を形成し、それは後に「花ざかりの森」を始めとする完成度の高い擬古典調の初期作品へと結実する。
「英霊の声」はいわゆる「二・二六事件三部作」の一つ。その中で最も人口に膾炙しているのは三島由紀夫・森田必勝(まさかつ)の追悼会の名称に使用されている「憂国」(昭和三十六年)だろう。本作は、降霊会である「帰神(かむがかり)の会」の記録という形式をとる。その夜霊媒に二・二六事件の蹶起将校、そして神風特攻隊として戦死した若者たちの霊が降り、これらの荒魂(あらみたま)が天皇に裏切られた怨念を縷々語り始める。
 三島の「二・二六事件と私」を読むと、学習院初等科に在籍中の彼がこれら一連の行動に間近く身を置きつつ参加を拒まれた存在として、圧倒的なロマン主義的共感をもって悲劇の主人公たちを美しく想像したことが窺われる。蹶起将校たちへの恋狂いといっていいほどの感情が現実にこの日十一歳の少年のものであったと考える必要はない。三島の『十五歳詩集』に、自身の日常を破壊して非日常をもたらす〈凶(まが)ごと〉を待ちもうける少年詩人の心情が歌われるが、このとき彼の胸を騒がせたのも空想上の変事が現実化したことへの興奮であろう。処刑された将校達のイメージは二十歳まで続く戦時下において、天皇のため死なねばならぬという情緒的ロマン主義と波長を合わせる形で高められ不動の神話的英雄の原型となっていった。作家人生を通じロマン主義と古典主義の間を揺れ続けた三島だが、四十一歳で書いたこの「英霊の声」において一気にロマン主義に身を委ねてしまったかのようだ。昭和三十年代の安保闘争など内外の状況に揺さぶられながら、二十歳で突如分断された自己存在の根拠への追求が、三島の中に以前にも増して痛切な感情として立ち上がったことが推測される。そのとき、少年の目前を過ぎった英雄たちの生き急ぐ姿が、彼の脳裏に改めて赫奕(かくやく)として躍り出たのではないだろうか。
 四十五歳で三島の取った最終行動は、挫折のみによってその純粋さが証明されるロマン主義の極致であり、同時にまだ見ぬ人生への憧れを歌った十三歳の窓辺へと、くり返し回帰する姿とも見える。「酸模」と「英霊の声」は、最初期と晩期における三島文学の一つの見やすい里程標だ。昭和十三歳から昭和四十一歳まで。一緒に生きて、一緒に生き急いで、一緒に道連れになってほしかっただろう。時代と生々しく果し合いつづけた三島ロマン主義の消長に思いを馳せずにいられない一冊である。

 (いしい・ゆうか 作家)

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