書評
2020年11月号掲載
「絶望の先に希望を描く」物語
道草晴子『よりみち日記』
対象書籍名:『よりみち日記』
対象著者:道草晴子
対象書籍ISBN:978-4-10-353591-1
道草晴子さんは小学生の頃からマンガが好きで、孤立しがちな教室の中でもマンガを描けば人と繋がれていた。13歳で、敬愛するマンガ家・ちばてつや先生を慕う一心で、ちばてつや賞に応募してヤング部門優秀新人賞を受賞。晴れてデビューが決まった――と思いきや、そこで精神のバランスを崩し、精神科病院で統合失調症との診断を受け、10代の大半を病棟の中で過ごすことになる。
退院してからも作業所やデイケアに通う日々。ところが29歳で鼠径ヘルニアを患い、死の数歩手前まで来たところで、もう人生で失うものはないと悟った。同じころ、通っていた小学校で偶然、学童保育のアルバイトを始めたことをきっかけに、自身の半生をマンガにすることに決めた。背中を押したのは、心の恩師であるちば先生の「絶望の先に希望を描くようなストーリーを」という言葉だった。
こうして連載が始まった「みちくさ日記」は2015年秋に単行本となり、その年を代表するコミックとなった。
概要を書いてるだけでも凄まじいし、事実凄まじい内容なのだが、その読み口は「でもちょっと面白いなぁ!」と自身を面白がる視点も交えた、「ドゥフフ!」なものだった。
筆ペンで描いた一見ラフな描線も、表情や構図など、その実どれも的確で無駄がない。マンガの「うまさ」とは、正確無比なイラスト技術ではなく、物語・テーマ・キャラクターらが要請する絵かどうかだ。その意味で道草さんは、本当に「マンガがうまい」。
筆者が構成作家を務めていた「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(当時)で宇多丸さんと共に猛プッシュしたところ(本書のP81に1コマだけ登場)、編集氏のお誘いで道草さんとトークイベントをすることになった。お会いした道草さんは、とてもかわいらしくて話しやすい、マンガそのままのチャーミングな方だった。
そんな道草さん5年ぶりの新刊『よりみち日記』。前作の連載開始からおよそ2年間、単行本が発売されてからその直後までを記録したエッセイマンガで、『みちくさ日記』のサブテキストとしても読めるようになっている。
前作の終盤、病院を替えて心理検査を受け直したところ、14歳で診断された統合失調症が誤診だったと判明する。取り返しのつかない重大な医療過誤だが、殊更それをセンセーショナルに暴き立てるでもなく、障がい者ではない自分の人生を生きようと決意してマンガを描き始めたところで巻は終わっていた。感動的で力強いエンディングだった。
しかし、もちろん人生に最終回はない。
本書ではその後の道草さんの人生もまったく順風満帆でなかったことが綴られていく。
「マンガ家として生きようと自分できめ
出口のないような息苦しさはなくなったけど
『自分の人生を生きる』苦しみをかかえていた」
人生に絶望し、自分自身も「障がい者」だと信じ込んで生きてきた道草さんは、本が売れたことで「名前をとりもどした」ものの、今度は足許を見失ってしまった。不安が増し、孤独感が募り、マンガを描きたくなくなり、バイトを辞め、布団の中で死を思うようになった。
とは言えユーモアは失っていない。ちば先生がスランプに陥ったとき、編集者とキャッチボールをしたらマンガがはかどるようになったというエピソード(ちばてつや『ひねもすのたり日記』第3集参照)を真似してみようと、友だちを誘ってキャッチボールをしたら相手が怪我してしまい、罪悪感でますますマンガが描けなくなった、というなんともトホホなエピソードもある。
前作では連載中に線が荒れる回もあり、それが執筆時の精神状態を示す生々しいバロメーターにもなっていたが、今作ではそうした崩れはない。中で描かれている彼女のメンタルは前作以上にボロボロなのだが、その容れ物は不思議なほど読みやすく安定したままだ。
彼女はもともと、「マンガでならだれかと繋がれる」、裏を返せば、「マンガでないと世界と繋がれない」という強烈な切実さに突き動かされてマンガを描いていたのだろう。それが彼女のマンガに"強度"をもたらした。必然性を持って獲得したその「うまさ」で、今、彼女はより多くの人たちと繋がろうとしている。
「本当に大切なことは
人との関わりの中にしかなかった」
本書で最後に辿り着いた結論は、前作以上にシンプルで普遍的なメッセージだ。誰もが「自分の人生を生きる苦しみ」と闘っている。そして、それに愚直にぶつかり続けた道草さんだからこそ、「絶望の先に希望を描くストーリー」を手にすることができたのだ。
ラストで彼女は、下北沢の街に戻り、馴染みの顔と再会する。そこで発する「ある言葉」とは裏腹に、風が吹き抜けるような爽やかで希望に満ちた幕切れとなる。彼女のよりみちがまた読みたい。見てますか? ちば先生。あなたのマンガからまたひとり、新しい作家が生まれましたよ。