書評・エッセイ

2020年12月号掲載

女ともだち〈K子〉の存在

中野翠『コラムニストになりたかった』

泉麻人

対象書籍名:『コラムニストになりたかった』
対象著者:中野翠
対象書籍ISBN:978-4-10-419303-5

 中野翠さんとの初対面のシーンとして、ぼんやりと記憶に残っているのは、80年代中頃の着席式のパーティー会場。確か青山あたりのコジャレたレストランで、マガジンハウスの何かの雑誌の忘年会だったような気もする。着席式といってもお互いテーブルは離れていて、僕がトイレに立って戻ってくるようなときに、彼女の横にいた編集者に紹介された......のではなかったか。中野翠の名前は知っていたはずだが、文章をちゃんと読んだことはなく、あまり会話は続かなかったと思う。
 中野翠のコラム(主に「サンデー毎日」の連載)を意識して読むようになったのは、僕が「週刊文春」での連載(ナウのしくみ)を始めてからのことだろう。ちなみに僕の文春連載のスタートは84年の9月で中野さんよりおよそ1年先行していたが、ほぼ同時期のオヤジ週刊誌の軟派時事コラム、というポジションは一致していた。1ページ(400×3枚)ものの僕のコラムに対して、中野さんのは倍の2ページもので、ボリュームの差はあったけれど、事件や芸能ゴシップのマヌケなポイントを見つけて茶化しとばすようなスタイルには親近感を覚えた。
 そうそう(コレは中野さんお得意の継ぎフレーズ)、お目を掛けてくれた編集者もカブッている。マガジンハウスの椎根和氏は文春の連載の前に「週刊平凡」(写真誌スタイルにリニューアルした)の巻頭コラム子に僕を抜擢してくれた人だし、主婦の友社の松川邦生氏は僕の代表作『東京23区物語』の執筆を提案してくれた人なのだった。
「ポパイ」や「オリーブ」の"寄り合いコラム"のようなページで署名原稿を書き始めた僕も、割と早くから〈コラムニスト〉の肩書を使っていたはず(もっとも、プロフィールが付くほどの原稿を書かないと名乗れない)だが、彼女が自身のコラムニスト観のようなことを語っている箇所があるので紹介しておこう。

  当時としては順当に「エッセイスト」と名乗るところを、あえてコラムニストにしたのには、わけがある。私が書くもの、書きたいものは、少しばかり時評的だったり批評的だったりする。エッセイストと名乗るにはシミジミ感は薄く、エレガンスにも欠ける。(あとがき)
  私は私自身のことについて書くのは苦手だけれど、観た映画や読んだ本、耳にした巷の話などについて書くことには喜びを感じる。おのずから批評性を帯びた文章になるわけだが......専門的知識は乏しいので、気楽で、読みやすさを優先した文章のほうがいい。(101ページ)

 独特の感覚表現と謙虚なスタンスが中野さんらしい。とくに後の例は同時期にデビューした林真理子さんを引きあいに出した一文なのだが、この「私自身のことについて書くのは苦手」というのはちょっと違うような気もする。中野翠の文章には、けっこう中野さん自身のことがおもしろおかしく描かれている。そういう一節が後に論じられる時事ネタの効果的な"枕"になっていたりもする。そして、以下の「K子」みたいな女友達がしばしば登場するのも中野コラムの味だ。

  そうだ......この年の初秋。K子と一週間弱だったと思うが、韓国旅行をしたのだった。例によって行きあたりばったり的な旅。(155ページ)

 こういうガールズっぽい描写は男の書き手には真似できない(ボーイズの空気感とは違う)。いわば、エッセー的な部分が中野翠のコラムにまろやかな味をつけている。
 ところで、この本を読んでいて、おもわず目が点になったのは三宅菊子さんの下でライター修業をしていた1974年の一節。

  この年だったか翌年だったか、菊子さんは講談社の『若い女性』の別冊フロクの一冊全部を請け負ったので、急遽、フリーのライターやスタイリストが駆り集められた。フロクの内容は都内にある若い女子向きのお店のガイドブック。(51ページ)

 コレ、原宿や六本木のブティックやディスコに興味をもち始めた高3の僕が、当時意を決して買い、いまも大切な資料に使っている「若い女性DELUXE」の75年新年号付録「TOKYOおしゃれ地図帖」ってやつではないか?
 とすれば、僕は本当に駆け出し時代の中野翠の書いた"お店紹介"を愛読していたことになる。

 (いずみ・あさと コラムニスト)

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