書評・エッセイ

2020年12月号掲載

没後50年 三島由紀夫特集
Yukio Mishima 1925-1970 Special Section

34冊! 新潮文庫の三島由紀夫を全部読む[前編]

特別企画 読まず嫌いのライターが挑む難関文豪!?

南陀楼綾繁

対象著者:三島由紀夫

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短編小説が面白い

 寝返りを打つと、朱色の背表紙が目に入る。この一カ月、その山が次第に大きくなっていった。しかし、まだ終わりは見えない......。
 まだ暑さが残る九月の頭、私は本誌編集長のKさんに呼び出され、新潮社にいた。十五年ほど前、『yom yom』で「小説検定」の連載がはじまった頃から、私はこの人の無茶な依頼を断ることができない。
「今年は三島由紀夫の没後五十年だから、新潮文庫に入っている三島本を全部読んでなんか書いてくださいよ」
 案の定、こんなことを云われた。Kさんの隣には、文庫出版部のNさんが笑みを浮かべている。彼の前には三十三冊の三島本が積まれている。さらに十一月には新刊も出るという。
 他の作家ならともかく、三島は困る。正直なところ、これまでほとんど読んでいないのだ。
 小学生のとき、学校で旺文社文庫の名作セットを販売していたことに反発し、純文学を避けてSFやミステリばかりを読んでいた。高校生になって、いくらか近代文学を読むようになった(それらの面白さを伝えてくれたのは、エンタメのど真ん中にいた筒井康隆や星新一のエッセイだった)が、三島には接触しないままだった。
 直感的に、この作家と付き合うのはめんどくさいと思ったからだ。
 あとになってみると、三島に苦手意識を抱いていたのには、二つの理由があった。
 まず、三島が推理小説を嫌っていたことだ。
「とにかく古典的名作といえども、ポオの短編を除いて、推理小説というものは文学ではない。わかりきったことだが、世間がこれを文学と思い込みそうな風潮もないではないのである」(「発射塔」一九六〇年七月。『三島由紀夫評論全集』第一巻、新潮社。現代かな遣いに改めた。以下同)
 おそらくこの時、三島が念頭に置いていたのは、松本清張だった。清張は一九五三年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞を受賞したが、その後、推理小説を書きはじめた。『点と線』(一九五八年)、『ゼロの焦点』(一九五九年)がベストセラーになり、この時期には社会派推理小説の旗手となっていた。
 この三年後、こんな出来事があった。『続 高見順日記』(勁草書房)一九六三年七月十七日にこうある。
「中央公論社の「日本の文学」編集委員会。(略)松本清張君を入れるかどうかが、大問題になった。(略)三島君がまず強硬意見を述べる。(略)三島君が、松本を入れろと言うのなら、自分は委員をやめるつもりだ。全集からもオリるつもりだと言った」
 結局、この意見が通り、清張は収録されなかった。このエピソードを知ったとき、清張びいきの私は「三島って心が狭いヤツだな」と思わざるを得なかった。
 もうひとつの理由は、私が私小説が好きで、どちらかと云えばマイナーな作家を読んできたことだ。まさに金閣寺のようにきっちり構築された絢爛豪華な世界を描いた、大メジャーの三島は、距離の遠い存在だった。
 そんな話をしたところ、Nさんは「むしろ南陀楼さんみたいな読者に向けて、新潮文庫の三島本をリニューアルしたんです」と云った。
「没後五十年を機に三島由紀夫の多彩な魅力を知ってほしいと考えています。読まず嫌いの読者に、出会いと発見があればと。三島は純文学作家という枠を越えて、いま読んでも物語性豊かな作品を多く書いています。要するにエンタメ作家でもあると思うんです」
 その方針に沿って、既刊三十三冊のカバーを一新するとともに、主要作十一冊に作家や研究者の新解説を付すという。あとでも触れるが、この新解説はどれも素晴らしく、読者にまさに「出会いと発見」をもたらすものだ。
 また、新潮文庫じたいが以前よりテキストとして読みやすくなっている。今回のリニューアルより前、三島本はほぼ全点が9・25ポイント×1行38字×16行になっている。老眼が進んでいる私にはこの大きさはありがたい。
 三島作品の最初の新潮文庫は一九五〇年の『仮面の告白』だが、これは8ポ×43字×17行で、しかも旧かな遣いだ。とても読めません。その後、新かなに変更され、文字も拡大されていまに至るわけだ。
 横道に逸れたついでに書くと、三島と新潮社の関係は特別なものがある。
『仮面の告白』の単行本は、一九四九年七月に河出書房から書下ろしで出たが、翌年六月には新潮文庫に入っている。一年も経っていないのだ。同じ月には、新潮社から書下ろしで『愛の渇き』が刊行される。
 その後、『禁色』第一部は講談社の『群像』に連載、同二部は文藝春秋新社の『文学界』に連載されたが、単行本は新潮社で刊行されている。そして、一九五三年には早くも『三島由紀夫作品集』全六巻が同社から刊行されはじめる。この時の三島はまだ二十八歳。
 新潮社との蜜月は三島が亡くなったあとも続き、『決定版 三島由紀夫全集』も出されている。新潮文庫の三島作品が他社文庫に比べて圧倒的に多いのも納得がいく。

 そういうわけで、三島漬けになることを要求されたが、先入観はなかなか払拭できず、気がつけばもう十月だ。さすがにまずい。発表された順に読んでいったが、どうも没入できない。やっぱり三島は苦手だ。
 ところが、気分転換に適当に短編を読んでみると、意外に面白い。長編で書いたテーマが短編に圧縮されている場合があるし、作者名を知らずに読んだら、とても三島作品だと思えないものもあったりする。そこで短編を読み進めると、三島という作家の幅の広さを感じ、親しみが湧いてきた。
 三島由紀夫に関して多くの評論・評伝が存在するが、ざっと見たところ、短編への言及がとても少ない。衝撃的な死を読み解くために「憂国」「英霊の声」を論じることを除けば、取り上げられるのは実質的なデビュー作と云っていい「花ざかりの森」や、小説家としての成熟が評価される「橋づくし」「三熊野詣」ぐらいだろうか。これは正直、意外だった。
 新潮文庫には現在、以下の八冊の短編集がある。
『花ざかりの森・憂国』
『真夏の死』
『女神』
『岬にての物語』
『鍵のかかる部屋』
『ラディゲの死』
『殉教』
『手長姫 英霊の声 1938-1966』
 このうち、「女神」は中編として扱われているので除くとして、全部で九十編が読める。決定版全集には短編が百六十五編収録されているので、半分以上になる。
『花ざかりの森・憂国』と『真夏の死』は生前に刊行された自選短編集であり、解説も三島自身が書いている。この解説も含め、三島の短編について一番多く言及したのは三島自身だった。
 前者の解説で、三島はこう書く。
「少年時代に、詩と短編小説に専念して、そこに籠めていた私の哀歓は、年を経るにつれて、前者は戯曲へ、後者は長編小説へ、流れ入ったものと思われる」
 そして、短編をアフォリズム型の「軽騎兵」、長編を体系的思考型の「重騎兵」になぞらえ、軽騎兵から重騎兵へと徐々に移行していったと述べる。
 以下、短編集ごとに私が面白く読んだ作品を紹介する。

『花ざかりの森・憂国』
 十三編を収録。
 表題作の「花ざかりの森」は十六歳で書かれたもので、美しい文章だとは思うが、頭に入ってこなかった。三島は解説で「今では何だか浪曼派の悪影響と、若年寄のような気取りばかりが目について仕方がない」ので「もはや愛さない」と述べている。
「詩を書く少年」は、少年期の自分を愛でるような作品で、詩が生まれるときに恍惚を感じ、世界が変貌する感覚をするどく捉えている。
「詩というものが、彼の時折の幸福を保証するために現われるのか、それとも、詩が生れるから、彼が幸福になれるのか、そのへんははっきりわからなかった。ただその幸福は、(略)多分誰にも彼にもあるという幸福ではなく、彼だけの知っているものだということは確かであった」
「卵」はぬけぬけとしたナンセンス。邪太郎、妄介、殺雄などふざけた名前の大学生が、毎日飲んでいた卵たちに裁判にかけられる。三島、こんなのも書けるのか。
 若い連中のバカ騒ぎという点では、「月」も面白い。モダン・ジャズの店に入りびたる「ビート族」のキー子、ハイミナーラ、ピータアらは、昼に活動するセンスのない「藷(いも)たち」を軽蔑し、深夜のツウィスト・パーティーに熱中する。同じメンバーは、「葡萄パン」(『真夏の死』)にも登場する。こちらは湘南でのドラッグ・パーティーが舞台だ。
「当時(一九六三年 引用者注)東京ではツウィストが流行しはじめ、ビート・バアがいくつか店を開いた。その一つの店へ通ううち、その店で知り合った少年少女たちの話をきき、特殊な語法に馴れ、隠語を学び、......次第に、かれらの生活の根底的な憂愁に触れて、この二つの短編が出来上がった」(『真夏の死』解説)
 風景描写がすぐれているのは、「遠乗会」だ。葛城夫人はある理由で、乗馬倶楽部の遠乗り会に参加する。少年が「やあ、見えた、見えた」と叫ぶと、江戸川を隔てた向こう側から、騎馬の一団がやってくる。先頭の馬に乗っていたのが、求婚されたことのある将軍だった。工場が並び、車が行き交うなかを、騎馬に乗った一団が進むという時代錯誤な情景が、この物語にふさわしい。
「橋づくし」も移動の描写だけで成り立っている作品だ。新橋の料亭の娘・満佐子と芸者が、願い事を叶えるために築地の七つの橋を無言で渡る。急に腹が痛んだり、知り合いに声をかけられたりして同行者が脱落していくなか、満佐子は最後まで無言の行を続けようとするが......。優美でしかも笑える物語だ。
 三島は結婚前に交際していた豊田貞子に大阪の花柳界の話を聞き、それを東京に変えてこの作品を書いたという(岡山典弘『三島由紀夫が愛した美女たち』啓文社書房)。貞子は『沈める滝』のモデルでもある。
 この「橋づくし」や歌舞伎界に取材した「女方」、ビート族を描いた「月」について、三島はこれらの世界を面白がって覗くという「遊び」から生まれたものだという。
「自分を故意に一個の古風な小説家の見地に置いて、いろんな世界を遊弋しながら、ゆったりと観察し、磨きをかけた文体で短編を書くという、私の脳裡にある小説家のいわばダンディスムから生れたものだ。短編小説はこういうダンディスムの所産であるべきだという考えが、今も私からは抜けないのである」(『花ざかりの森・憂国』解説)
img_202012_13_2.jpg  三島の長編については次回取り上げるが、いろんな世界を遊弋し観察する「ダンディスム」は、長編にも息づいているように思う。
「新聞紙」は妄想が生み出すホラーで、最後の一行が見事。
「憂国」は、二・二六事件を機に割腹自殺する青年将校とそれに従う妻の最後の夜を描く。死と肉の欲望が混然一体となった究極のエロスが、「渾身の自由」を生み出す。
 本書の中で最も面白かったのは、「百万円煎餅」だ。若い夫婦がある夜、浅草の「新世界」で遊ぶ。そんなところがあったのかと調べてみると、写真が載っていた。屋上に五重塔があるビルで、名店街やゲームセンター、温泉、キャバレーなどが入っていたようだ。
 計画的に節約して堅実に暮らす若夫婦にとっては、「誰の手も届かない飛切りの生活の夢が、そこに純潔に蔵(しま)われているような感じ」がする。彼らは珍しく羽目を外し、ゲームで遊んだり、紙幣を模した百万円煎餅を買ったりする。しかし、そのあと彼らが向かったのは意外な場所だった。そこは彼らの仕事場だったのだ。どんな仕事かは書かない方がいいだろう。つつましく、未来を見据える夫婦だから、よけいにもの悲しさを感じる。舞台を「ドン・キホーテ」に変えたら、そのままいまに通じる物語になりそうだ。
 三島自身もこの作品に愛着があったのか、「「百万円煎餅」の背景――浅草新世界」というエッセイを書いている(『三島由紀夫評論全集』第二巻)。作品のモデルとなった「新世界」をめぐったときの印象を書いていて興味深い。
「つまり浅草的とは、率直の美徳ということであり、安物が多いのは、欲望と欲望満足との間の距離を最大限にちぢめようという商業道徳を意味するのであろう」
 なお、この作品は新潮文庫のアンソロジー『日本文学100年の名作』第五巻にも収録されているが、その解説で池内紀は、三島がこの作品に続いて「憂国」を書いたことを指摘する。
「ためしに読みくらべると気がつく。登場人物、若い夫と妻の描写、二人の恋情、高まりとクライマックス、すべてが瓜二つ。二つの小説はトランプのジョーカーの表と裏のようにつくってある。鬼才三島にのみできた高度な文学遊戯である」

『真夏の死』
 十一編を収録。
「煙草」は、少年から大人に変わる時期の微妙な心の揺れを描く。主人公は学校の上級生から煙草を勧められ、その人に近づこうとするが失敗する。
「子供であることをこれほど呪わしく感じたことはなかった」
「サーカス」は寓話のような作品で、少年と少女、団長らは類型的に描かれる。それだけに、ショーの優美で残酷な場面が際立って見える。
「離宮の松」は、料亭で働く少女・美代が主人の息子の睦男を背負って、浜離宮公園に出かける。松の木の下に座っていた美代は若い男にからかわれ、その男と付き合っているような妄想を抱く。しかし、男に妻がおり二人が子どもを欲しがっていることを知ると、彼らの幸福のために背中の赤ん坊を預けて逃げてしまう。
「今では睦男は、あの名も知れない若者と自分との間に生れた私生児だったような気がした」
「クロスワード・パズル」「雨のなかの噴水」はオチまで面白く読ませる。三島はこういった作品を、モーパッサンにならって「コント」と呼んでいる。
「花火」は他人の空似をテーマにしたもの。「僕」は自分にそっくりな男に出会い、彼からアルバイトを紹介される。隅田川の花火大会の日に、高級料亭に政治家がやってくる。「僕」がじっとその顔を見つめるだけで、祝儀がもらえると云うのだ。当日、彼の車を開けた「僕」の顔を見て、政治家の顔は色を失う。
「大臣の顔に、得体のしれない、あれほどの恐怖の色が泛んだことを思い出すと、今度は僕が一層得体の知れない恐怖に襲われたのである」
 政治家が「僕」そっくりの男を怖れる理由は最後まで明かされず、ぼんやりとした怖さが残る。
「真夏の死」は、伊豆半島の海辺で実際に起こった事件をモデルにしたと云われる。海の事故で二人の子どもと義妹を失った朝子は、悲しみに暮れる。良心の呵責から朝子は奇矯な行動に出るが、妊娠することで心の平穏を得る。二年後の夏、朝子は夫にせがんで、同じ海岸に向かう。
 この作品について三島は本書の解説で、カタストロフを冒頭に置くことで、朝子が「この全く理不尽な悲劇からいかなる衝撃を受け、しかも徐々たる時の経過の恵みによっていかにこれから癒え、癒えきったのちのおそるべき空虚から、いかにしてふたたび宿命の到来を要請するか」を描こうとしたのだとする。

『女神』
 中編「女神」と短編十編を収録。
「接吻」「伝説」「白鳥」「哲学」はいずれも文庫で五、六ページほどのもの。オチも効いており、これも「コント」に属するだろう。
「白鳥」と「鴛鴦」には「遠乗会」と同じく、乗馬の場面がある。三島は馬が好きだったようで、「私は人間だから、やはり人体の美を一番上に置く、その次に美しい動物は馬だと思う」(「馬――わが動物記」『三島由紀夫評論全集』第二巻)と書いている。ちなみに嫌いな生きものは蟹だった。
「恋重荷」は、婚約者がいながらその親友に魅かれる女性が主人公。二人の男が彼女を抱こうとするとき、彼女は振袖の背に縫い針が入っていることを理由に拒む。この針という小道具によって、女の二人の男への思いを描きわけているのが上手い。
「雛の宿」は、大学生の「僕」がパチンコ屋で女学生と出会う。彼女の「黒い焔のような瞳」に導かれるように彼女の家を訪れた「僕」は、彼女の母に泊まっていくように勧められる。案内された部屋で、「僕」は彼女と一夜を共にする。その後、もう一度その家を訪れた「僕」は衝撃的な光景を目にする。小泉八雲の「耳なし芳一」のような幻想的な物語でもあり、「聖なる狂気」の美しさと恐ろしさを描いた作品でもある。

『岬にての物語』
 十三編を収録。
「椅子」は、母の書いた手記を読んだ主人公が少年期を回想する。祖母の手で育てられた「私」と母との距離は、『仮面の告白』の冒頭部にも通じる。「私」から離された母は、二階の部屋の窓から「私」を見つめる。
「二階の籐椅子から母が見ていたものは、私がやがて隠すであろう私の悲しみであり、私がまだ気づいていなかった私自身の悲しみであった」
 同じく少年時代を描いたのが、「岬にての物語」。房総半島で夏を過ごした「私」は、書生の眼を盗んで、岬に向かう。そこで出会った美しい女性は青年とともに、「私」の前から姿を消す。そして、「私」は「悲鳴に似た微かな短い叫び」を聞く。
「親切な機械」は、実際にあった女子大生殺人事件に題材をとっており、京都の取材も行ったという。作中に帝銀事件が出てくるように、戦後の世相を象徴するような出来事に三島はつねに関心を抱いていたようだ。二人の大学生が殺人について議論する場面は、江戸川乱歩の「二銭銅貨」を思わせる。
「商い人」は、俗人が入れない修道院の中を覗くために、はしごと双眼鏡を貸すという人を食った商売が出てくる。真面目くさった(その内に欲望を隠している)教授のもとに、自転車に乗った小男がやってくる場面には噴き出した。最後の一行まで、完璧なコントだと思う。短編の場合、「笑い」が重要な要素になっているようだ。
 ほかにも風俗小説的な「牝犬」、『愛の渇き』の幻想バージョンと云いたくなる「月澹荘綺譚」なども面白い。
 長編で展開するテーマ以外に、幻想、ホラー、コメディなど短編でしか読めない多様な要素が入っていて飽きないのだ。

『鍵のかかる部屋』
 十二編を収録。
「戦争で焼け残ったものも、焼跡に建てられたものも、一時凌ぎの仮りの姿をしているように思われた。傾けられた鉄板の上の煎豆のように、煎られながら崩れ落ちようとしていた」
「鍵のかかる部屋」は、敗戦の二年半後の不安定な世相を背景に、人妻と関係を持った男が、彼女の死後、九歳の娘と奇妙な関係に陥っていく様を描く。夢の場面が何度も出てくることもあり、どこか現実感を欠いた不思議な物語だ。
「怪物」は、脳溢血で倒れた老子爵の存在感が凄い。
「彼はおのれの身にそなわった、生れながらの一種仄暗い力を確信していた。(略)人の不幸を見ることはつきせぬ慰めであった」
 奥野健男は、この子爵は『禁色』の檜俊輔の原型だと指摘している(『三島由紀夫事典』明治書院)。

『ラディゲの死』
 十三編を収録。
「魔群の通過」では、没落した貴族の蕗屋が屋敷でブルーフィルムの上映会を開いたり、泊り客から宿泊費をとって生活している。昔の友人・伊原にそのことを批判された蕗屋は「わたしはたとえ殺されても、何もしないでいる権利があるのです」と云いきる。
 三島はこの作品を書く前、同じ「魔群の通過」という題名をもつ長編小説を構想していたという。千枚を予定する自伝的小説で、「十年がかりで書くこと」を決意しながら結局書き出されなかったという(井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』平凡社)。
「箱根細工」は、慰安旅行で風邪をこじらせ宿に残った主人公を、地元の芸者が看病する。二人は結ばれるが、彼女には五万円の借金があった。ロマンティックで皮肉もたっぷりのコントだ。
 同じくコント調の「日曜日」は、役所勤めのカップルが毎週の日曜日をささやかに満喫する。黒澤明の映画『素晴らしき日曜日』に通じるようなストーリーだが、その幸福はラスト一ページで無残に断ち切られる。「百万円煎餅」にも通じる、あざやかな反転だ。
「偉大な姉妹」の主人公は、偉大な将軍の死後、没落した一族にあって、体の大きさも気性も「偉大」な双子の姉妹、槇子と浅子である。浅子は反抗的な孫の興造に望みをかけるが、興造(強姦を計画したことから「リンカーン」なるあだ名がある)は短刀で教師を傷つける事件を起こす。すべてが嫌になって出奔した姉妹が、上野動物園で象を眺める場面が印象的だ。

『殉教』
 九編を収録。
「スタア」は、売り出し中の俳優・水野豊とその付き人・太田加代の世間から見えない関係を描く。このとき撮影所で進行中なのはやくざ映画で、これは三島が主演した『からっ風野郎』がモデルだろう。三島はこの映画で、「なるたけオブジェとして扱われる方が面白い」と、大学の同級生である増村保造監督の指示に従った(「ぼくはオブジェになりたい」『三島由紀夫評論全集』第二巻)。ロケの場面などに、このときの観察が生きている。
「三熊野詣」は、私が最初に読んだ三島の短編。久しぶりに再読したが、やっぱりいい。歌人で文学博士の藤宮と、その世話をしながら藤宮に歌を学ぶ常子は、熊野への旅に出かける。藤宮は風采が上がらず、暗い陰湿な人柄で「化け先(せん)」というあだ名さえある(折口信夫がモデルだと云われる)。三つの神社をめざして移動するうちに、藤宮のこの旅に秘めた思いが明かされ、常子の心も動いてゆく。
「毒薬の社会的効用について」は、三島には珍しくSF的で、「一九九九年」の時点から、X氏の人生をたどる構成になっている。「偉大な姉妹」と同じく、ここでも上野動物園が出てくるのが興味深い。三島はここが好きだったのだろうか?

『手長姫 英霊の声 1938-1966』
 九編を収録。
 三島由紀夫が生まれたのは、一九二五年(大正十四)。彼は昭和とともに歳を重ねていった。
 本書は、十三歳で書いた初の小説「酸模(すかんぽう)」を冒頭に置き、昭和の流れに沿って、十代、二十代、三十代、四十代に発表された短編をまとめている。河出文庫にすでに収録されている「英霊の声」を含め、すべて初の新潮文庫化である。
 二十六歳で書いた「手長姫」は、精神病院に入院している元華族の鞠子の生涯を描く。無邪気な盗癖を持つ彼女は「手長姫」と呼ばれる。あるとき、彼女は時計を万引きし、それを見つけられて店から逃げる。
「「泥棒! 泥棒!」
 こういう呼称は本当は妙である。「大臣! 大臣!」とよぶときは、相手の大臣を呼ぶにすぎないだろう。しかし「泥棒!」とよぶときに、われわれは不特定多数の意見、乃至は輿論に呼びかけているのである」
 本筋ではないのだが、こういう指摘に思わず「なるほど」と思ってしまう。
 三十八歳で書いた「切符」は、商店街の会合のあと、松山の誘いで何人かが遊園地の「納涼お化け大会」を覗く。松山は、そこにいる谷が妻の自殺の原因ではないかと疑っている。暗闇の中で松山は幻想を見る......。切れ味のいい怪談だ。
 最後に置かれた「英霊の声」は、「帰神(かむがかり)の会」に出席した「私」が、依り代となった川崎の口から「裏切られた者たちの霊」の声を聞く。彼らは二・二六事件で死刑になった者たちの霊であり、特攻隊員の霊でもある。これまでなんとなく遠ざけていた作品だが、伝奇小説のような迫力がある。
 霊たちは、自分たちが身をなげうったにもかかわらず、ついに「神風」が吹かなかったことを嘆き、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と叫ぶ。この嘆きは、「海と夕焼」(『花ざかりの森・憂国』)で、マルセイユに着いた十字軍が「海の水が左右に分れる」夢を打ち砕かれるときにもあがったものだ。
「奇蹟の到来を信じながらそれが来なかったという不思議、いや、奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議という主題(略)はおそらく私の一生を貫く主題になるものだ」と三島は述べている(『花ざかりの森・憂国』解説)。

 八冊の短編集を読んでみて思うのは、三島由紀夫の持っていた豊かな可能性だ。とくに最初の二冊の自選短編集は、自身に与えられたイメージを振り払うように、あえてさまざまなタイプの作品を選んでいて、「俺はこんなもんじゃないよ」という自負が感じられる。
 四十五歳という若さで死ななかったら、三島はもっといろんな短編を書いただろうか。それとも、もはや、書きつくしたから死んだのか。
 新潮文庫には入っていないが、「荒野より」という短編がある(中公文庫『荒野より』)。
 ある朝、仕事を終えて眠りについた「私」の家に、見知らぬ青年が上がり込む。彼は「本当のことを話して下さい」と「私」に迫る。警官がやってきて、青年は連行される。
 いまで云うストーカーだが、実際にこれに近い事件があったという(松本徹編著『年表作家読本 三島由紀夫』河出書房新社)。
 事件のあと、「私」はこう述懐する。
「慄えながら立っている一人の青年の、極度に蒼ざめた顔を見たときに、私は自分の影がそこに立っているような気がしたのである」
 三島由紀夫の名短編にこの作品を選んだ中上健次は、三島は「このようなドッペルゲンゲル風な作品を多作している」と指摘する(『群像 日本の作家18 三島由紀夫』小学館)。先に紹介した「花火」もその一つだろう。
「もう一人の私」という視点を持って、三島の短編を読むと、新しい発見が得られるかもしれない。
 九十編の短編を読んで、むりやり私のベスト3を選ぶとこうなる。(1)「百万円煎餅」(2)「橋づくし」(3)「花火」。
 さて、私の三島行脚はまだ続く。次回は長編小説にチャレンジします。

 (なんだろう・あやしげ ライター・編集者)

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