書評
2020年12月号掲載
日本一有名な芸人の日本一深い評伝
エムカク『明石家さんまヒストリー1 1955~1981「明石家さんま」の誕生』
対象書籍名:『明石家さんまヒストリー1 1955~1981「明石家さんま」の誕生』
対象著者:エムカク
対象書籍ISBN:978-4-10-353781-6
2ヶ月連続の書評になる。先月に続き、この本もまた僕が主宰するメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』の長期連載を書籍化したものである。
本書は、日本一有名な芸人を日本一深く研究する偏執狂(マニア)が描く、現在進行形で唯一無二、前代未聞のシリーズ評伝本の一巻目である。
著者との出会いは2013年になる。大阪で僕の新著のサイン会を開催した際に「ツイッターでフォローしていただいているエムカクです」と突如現れた。「エムカク」とは、当時、マニアックな明石家さんま情報だけを大量に呟く謎のアカウントで、個人情報は一切なく、年齢不詳、正体不明、しかし、詳細を極めるその記述に、本人説/関係者説/複数人説などいろいろ憶測があった。しかし、ここで実在する青年であることが判明。しかも、僕が本の販促用に配っていた『水道橋博士年表』を手にして「僕もこの年表を参考にして明石家さんま年表を作りたいです」との申し出を受け、すぐに連載陣に加入してもらった。
それから7年間、あまりにも膨大な文字量の『明石家さんまヒストリー』が次々と綴られ、しかも、その超ド級の面白さに毎回、圧倒されることになる。
もともと著者は、1996年3月23日、さんまさんが「言っときましょう。私は、しゃべる商売なんですよ。本を売る商売じゃないんですよ。しゃべって伝えられる間は、できる限りしゃべりたい。本で自分の気持ちを訴えるほど、俺はヤワじゃない」とのラジオ発言を聞き、真の意味で"啓示"を受け、使命感と共に20年以上にわたって、世間への公表を前提としないまま、テレビ・ラジオ・雑誌・舞台などのさんま発言を、過去に遡りながらノートに残し続けていたのだ。後に僕もノートの実物を見たが、メモ書きではなく、綺麗な楷書の手書きで、日付ごとに整理整頓され、冊数も100冊を超えており、一種、アウトサイダーアート的な凄みと狂気を感じた。
また、連載開始と共に、著者を囲み、在阪のさんま研究の好事家が集まるライブ企画が何度も催され、新たな事実発掘、ウラ取りは、年表の完全版に随時補足されていった。
その取材は、さんまさん本人にも及んでおり、大阪から東京の移動日に、新幹線の新大阪―京都間のみの同席を許され、年表の不明部分にピンポイントで質問を当てている。更には半世紀近く前の寄席の香盤表やラテ欄を確認、網羅するまでの拘り、執着は、もはや、学術研究の域であった。
書籍化の打診は早くより多くの出版社からあったが、難航した。とにかく、さんまさん本人が現役の超売れっ子であり、追いつくことがない、終わりの見えない作業である。しかも、これまでに書かれた文字数だけでも書籍は2千ページ以上にはなるだろう。
最終的に、新潮社の編集者がシリーズ化のアイデアを提案、なによりも、さんまさん本人から書籍化の許可を得たことが最大の転機となった。
連載はテレビ関係者の目にも留まった。本書にある高校生時代の「人生で一番ウケた日」「奈良商のヒーロー」、そして弟子修行をやめ、東京へ彼女と駆け落ちした「芸をとるか、愛をとるか」などなどの逸話は、日本テレビ『誰も知らない明石家さんま』特番でドラマ化もされている。なんと、著者は、この連載により番組にリサーチャーとして起用されたのだ。
本書はまず1955年の生誕から81年の東京進出までが描かれる。著者の視点は極力挟まず、基本、さんまさんの発言、回想を繋いでいく手法だが、どこを読んでも滅法面白い(なにしろ、主人公が日本一の語り手なのだから)。
芸人以前、杉本高文の黄金のようにキラキラと輝く高校時代は胸が熱くなる。濃厚な師弟関係の一途さ、凜とした美しさにはため息をつく。芸論としても、同期のライバル・島田紳助との交流は、天才の最高の対比であり、掛け合いだ。昭和の吉本の楽屋風景に郷愁を駆りたてられ、全国区のタレントとして独り立ちしていくのと並行してお笑いの地位が上がっていく変遷も芸能史として資料価値が高い。そして1980年の漫才ブームの台風に襲われながらもピン芸人として生き残り東京進出へ。いよいよ、これから「大竹しのぶとの出会い」「ビッグ3誕生」「盟友・木村拓哉」などが描かれていくだろう。
当然、読後、一刻も早く続編を読みたくなる。
最後に本書の第二巻目が予告されている。そこには「1982~1985」と付記されている。二巻目で1985年まで? 目を疑った。新潮社は、塩野七生『ローマ人の物語』(単行本で15巻、文庫で43巻)を覚悟しているのか?
2020年、サンマの漁獲量は過去最低を更新したが、新潮社はこの一冊で、脂の乗った"さんま"の豊漁になるのは間違いない。