書評・エッセイ

2020年12月号掲載

堀江氏が破った掟とは何か

物江潤『空気が支配する国』

物江潤

対象書籍名:『空気が支配する国』
対象著者:物江潤
対象書籍ISBN:978-4-10-610883-9

 堀江貴文氏と餃子店の騒動は記憶に新しい。店内でのマスクに関するルールを巡って店主と口論になり、堀江氏の一行が入店を拒否された一件だ。
 その後、堀江氏はネット上で持論を展開した。「マジやばいコロナ脳。狂ってる」と書き込んだうえに、店舗を特定しうる情報を流したため、主張に共感したネットユーザーから同店に迷惑電話が殺到。店は休業に追い込まれた。
 この騒動を受け、心理学者、弁護士、モデルでタレントのゆきぽよ等々、まさに四方八方から堀江氏は批判を浴びた。堀江氏にも言い分もあると思うが、店が休業を余儀なくされた発端が彼の書き込みだと見れば、非難されても仕方がない。
 一方、確かにマスクにまつわるルールには厄介な一面がある。実際、いつ・どこでなら外してよいのかと問われても、確たるルールがないため明快に答えるのは難しい。何となく空気を読みながら着脱した経験のある人も多いだろう。新型コロナ禍の今、空気を読む機会が随分と増えた。
 そもそもなぜ、空気を読むのか。それは、読まないと罰を受けそうだから。従って、空気は「掟」である。しかも、どんな掟なのかが明確ではないので、空気は「曖昧な掟」だと言える。
「明確な掟」があれば、それに従えばよいので空気を読む必要がない。裏返せば、「明確な掟」が不足しているとき、私たちは何となく読んだ空気を掟とするのだ。本当は議論をして掟を決めればよいのだが、日本は議論文化が希薄なのでそうもいかない。
 そんな空気は、法のような「明確な掟」と比較すると、色々と危険な特徴が見えてくる。たとえば、掟が非合理的だと判明しても、容易には変更ができないことだ。法のように人間が能動的につくった掟であれば、その欠陥が判明次第、人間の手によって修正ができるものの、空気の場合はそうはいかない。このままでは危ないと分かりつつ空気に従い、時として敗戦や原発事故といった破滅的な事態を招いてしまう。
 いつの日か、新型コロナは収束するだろう。そして、敗戦や原発事故の時と同様に、場を支配していた空気も消えてなくなるだろう。空気は忘れ去られ、新しい日常が始まる。
 しかし、本当にそれでよいのだろうか。アフターコロナとかウィズコロナとか新しいカタカナ語をつくるのもよいが、ずっと放置されてきた「空気の支配」という名の古くて重要な問題に、そろそろ真剣に取り組むべきではないだろうか。
 本書は、曖昧な掟である空気の正体を、なるべく具体的且つ分かりやすく解明することに注力した。また、その危険性と向き合い方についても記した。空気に振り回される個人や社会にとって、本書が少しでも有益な存在になれれば幸いだ。

 (ものえ・じゅん 著述家)

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