書評

2021年1月号掲載

痛みの先へ向かう営み

山本幸久『神様には負けられない』

彩瀬まる

対象書籍名:『神様には負けられない』
対象著者:山本幸久
対象書籍ISBN:978-4-10-135883-3

 読みながら、ああ痛い! と何度も思う。
 失敗して、痛い。転んで、痛い。うしなって、痛い。ないがしろにされて、痛い。他者と衝突して、痛い。他者を傷つけて、痛い。この小説には、私たちが人生で相対するさまざまな痛みが、丁寧に、生々しく、埋め込まれている。
 痛い、のに、安心する。そこに痛みがある、とはっきり書かれて嬉しい。そして、その痛みは一人で背負うものではない、と強ばりをほどくよう促されているようにも感じる。
『神様には負けられない』は、義肢装具士を目指す学生たちの奮闘を描いた、明るくエネルギッシュなお仕事小説だ。主人公の二階堂さえ子は七年勤めた内装会社を退職して、現在は渋谷にある医療福祉専門学校の義肢装具科に通っている二十六歳の女性。クラスメイトは二十歳前後の若者ばかり。周囲から浮いていることを自覚しながら、さえ子は個性的な班員たちと共に義足製作に邁進する。
 義足製作の詳しい工程を、初めて小説で読んだ。義足ユーザーが脚を失った理由を聞き取り、断端(だんたん:脚の切断面)をよく観察し、触れ、採寸を行い、型どりし、石膏モデルを製作し――たくさんの工程を経て、断端を収納してパイプで足部(そくぶ:足の外観を模した部品)とつなげるソケットと呼ばれる部分を完成させる。
 書き手によっては冗長になりそうなこうした綿密な作業の描写が、抜群に面白い。義足ユーザーとの体の距離、断端に触れる際の緊張、巻尺のもたつき、ギプス包帯の手触り、それらすべてと共にある主人公の焦り、指がうまく動かないもどかしさ、そして班員同士のなにげない助け合いが、とても自然に頭に流れ込んでくる。一切のハードルを感じさせずに、読み手を未知の現場へ連れていく。これまでに様々な職業を描いてきた著者にしかできない、臨場感のある鮮やかな表現に魅了された。
 人によって脚を失った理由はさまざまで、断端のかたちも異なるため、ソケットはみなオーダーメイドだ。サイズや形状に不備があればソケットのフィット感は失われ、義足ユーザーは痛みを感じ、立つことも歩くことも難しくなる。義足が完成したあとも、歩行には訓練が必要だ。転倒すれば、もちろん痛い。
 義足ユーザーと接するさえ子とその班員たちもまた、様々な痛みに直面する。義足ユーザーの力になりたいと思っても、まだまだ技術が足りない。その内心や状況への理解が及ばず、不用意な発言で傷つけてしまう。クライアントにバリアフリーの重要性を訴えても理解されなかったり、どんな業界にも存在するパワハラや不正義に苦しめられたりもする。自分の内部の偏見が思いがけない形で露呈し、ショックを受けることもある。
 生きて、歩く。今いる場所とは別の場所へ向かう。ただそれだけの行動をやり通すために、私たちはいくつもの痛みを乗り越えざるを得ないのだ。さえ子たちの奮闘を追ううちに、いつしかそんなシビアな事実を、静かな心持ちで受け止めていた。
 物理的な痛み、精神的な痛み、自分や周囲への失望、神様が行うひどいこと。そうした痛みだけでなく、この物語はそれらを減らしていこうとする人々の営みを丹念に描いている。義足ユーザーが歩行の際に痛みを感じない義足を作る、義肢装具士の仕事はまさにそうだ。
 一人が抱えた痛みを複数の人間が支え、持ち合うこと。培ったものを差し出して、他の誰かの痛みを減らすこと。そして他の誰かに差し出されて、自分の痛みを減らしてもらうこと。もしかしたらその繰り返しが、働くということなのかもしれない。読み終えて、なぜ自分と境遇の異なる他者のために働くのか、本当のバリアフリーとはなにか、漠然と抱えてきた問いに、一つの答えを得た気がした。
 痛みはある。必ずある。しかしたった一人で向き合うものではない。挑み続ければ、痛みの先の喜びへきっと届く。そんな風に自分を、そして社会を、信じる勇気をくれる本だ。

 (あやせ・まる 作家)

最新の書評

ページの先頭へ