対談・鼎談
2021年1月号掲載
詩集『夜景座生まれ』刊行記念対談
詩を読む呼吸、漫画を読む呼吸
萩尾望都 × 最果タヒ
Moto Hagio Tahi Saihate
対象書籍名:『夜景座生まれ』
対象著者:最果タヒ
対象書籍ISBN:978-4-10-353811-0
「14才の化学進化説」冒頭(『空が分裂する』所収)
萩尾 タヒさんにお会いしたのはだいぶ前ですよね。15年くらい前?
最果 そうです、その頃です。「別冊少年マガジン」での連載に、前からファンだった萩尾先生が絵を描いてくださったのがすごく嬉しくて。ちょうど原画展が行われていたので、サイン会に並んでお手紙を渡したんですよね。その後、先生からメールをいただいて「物語をどう作ったらいいのかが分からない」といった悩みを先生に相談するやりとりが始まって。あのときは色々なことを先生に相談しましたけど、いまだに悩んでいるんですよ。
萩尾 あらら、そうなの?
最果 インタビューとかで「なんで詩じゃなくて小説を書くんですか?」って、よく訊かれるんですけど......。
萩尾 「余計なお世話だ」とか言わないの? 詩も書いている小説家って結構いるから、3人くらい文豪を揃えておきましょうよ。「この人も、この人も書いています!」って。
最果 (笑)。他人に言われるぶんには「はい、その系統の質問ですね」って思えるんですが、小説を書いているときに自分があえて小説という形式を選んでいるんだという感覚に一瞬なってしまうと、作品を書ききれない感じがあって。先生は漫画という物語があるものを描かれていますが、「物語ってなんだろう?」って思ったりします?
萩尾 世の中にはいろんな理不尽なこととか理解できないことがあるけど、物語はそれを理解してくれる世界だと思いますね。だから人が書いた物語を読んでいても自分で書いていても、とりあえず「ザ・エンド」っていう落とし所があるとほっとします。それがハッピーエンドでも、アンハッピーエンドであっても。
最果 でもそれは現実にある理不尽さや問題とかに完全な答えが出るわけではない?
萩尾 うん、出るわけではない。逆に完全な答えが出ていたら、作品としてちょっと説明過剰になってしまう。私は母との間に色々なことがあったので、親子関係を描く作品のアイデアをずいぶんと作ったんですけど、どれもただの愚痴になってしまっていたんです。でも、なぜ親とうまくコミュニケーションを取れないのかという理由をずっと考えている中でした「もしかしたら私は人間じゃないのかもしれない。宇宙人かもしれないし、イグアナなのかもしれない」という連想から「これネタとして面白いんじゃない?」となって。「イグアナなら嫌われて当然だよね」って諦めることを理解したところ『イグアナの娘』の話がうまく出来上がりました。
最果 諦める......! それは「ザ・エンド」がつくと安心するのとつながっている気がします。
萩尾 そうですね。それまで母と分かり合えないたびに腹を立てていたんですが、『イグアナの娘』を描いて以来、腹が立たなくなりましたね。
最果 あと以前、先生は描きたいシーンがあって、そこを目指しながら作ると話されてましたけど、私はそうはできなくて。特に最近は人とうまく話せないイライラからくる「こういう会話が本当はしたいんや!」という会話文から書いているんですが、それがすごく楽しくて。
萩尾 あ、それはいいですね。
最果 以前はモノローグや一人の心のうちをとても熱心に書く人間だったんです。けど会話に転じた瞬間に二人になるから......相容れないわけじゃないですか、二人って。でも小説での会話だと現実と違って、その相容れなさをぶつけられるんですよね。相手に「訳わからんこと言うな!」と怒ったり、これまでモノローグで書いていたことに、その場でツッコミを入れてくれたりするというか。相容れない状態のままでも会話文が進んでいくと、相容れなさそのものが解決されないままで描かれて、そのままで決着がつく気がするんです。それがとても嬉しい。やっぱり相容れないことを恐れてしまうことが日常では多いから。あと結局、自分が好きな会話って、自分で書かないと読めないんだなって思ったりもしていて。
萩尾 じゃあ、どんどんタヒさんの好きな会話を書いて。読んでみたい!
最果 はい! そうしようと思っています。お話を読むと登場人物をまず好きになるから、自分で書くときもどんな人物で、どんな世界観で動かそうと考えてしまうんですけど、会話から書き始めるとそういうことや「物語ってなんだろう?」と考えなくて済むし、自分ではない登場人物でも何か自分とつながっているように感じられるんですよ。そうするとフィクションでも書けるし、「物語じゃないと描けないものって、やっぱりあるぞ!」と実感できて。ここまでたどり着くのに、すごい時間がかかってしまいましたが(笑)。先生の作品も読んでいると、会話が面白いなって感じます。
萩尾 ありがとうございます、私も会話文がすごく好きなんですよ。「この本、買おうかな、どうしようかな?」というときは会話のシーンだけ読んでみて、面白かったら買うようにしていて。あんまりハズレがなくて、いいですよ。
最果 これを読んだら、みんな緊張して会話文を書き始めそう(笑)。
漫画と詩における読みやすさ
最果 でも漫画の場合、絵があって、セリフやモノローグがあって......考える要素がとても多く、途方のなさを感じます。
萩尾 でも1ページに全部を入れるから、絵や文字の分量、枠線の位置を決めるだけでもすごくデザイン的で面白いですよ。一ノ関圭さんっていう、画家になったほうがいいんじゃないかってくらい絵がうまい漫画家の方がいるんですけど、彼女は「枠線はワクワクしながら引くからワク線っていうんです」って言うんです。これを聞いたとき「この方はコマ割りが本当に好きなんだな」って思いましたね(笑)。
最果 私、動いて見えるようなコマに対する興奮みたいなものがずっとあります。漫画って全てがリズムによって出来ているのに、たどろうと思ったらどこまでもたどっていける感覚がすごく面白いと思うんです。それこそ漫画にあるモノローグの言葉が好きだから、私は詩を書いているんじゃないかと思ったりもするんです。
萩尾 モノローグを書くときはね、コマの形からはみ出さないように縦は何文字、横は何行までって決めておかないといけないんですよ。
最果 えぇっ、外枠から書かれていたんですか?!
萩尾 そう、外枠(笑)。人間には目線が動く速度や呼吸のリズムというものがあるから、漫画はそれを途切れさせないようにしないといけなくて。でね、うまく誘導していくと自分で読んでいても気持ちが良くて、良いオーケストラの演奏を聞いているような恍惚状態に陥るんですよ。
最果 すごい! 詩や文章の場合、読んでいるときの文字って意外と目で追ってないんですよ。頭の中で文字を音にして、その音を聞いている感覚で読むから。仮に詩を四角い文字組にしても、読まれている間はその四角がずっと見られているわけではなくて。
萩尾 はっ、そうだったのか......!
最果 頭の中の音で聞かれているから改行は意識が切り替わる拍みたいな感覚で入れてます。
萩尾 なんかリズムみたいですね。
最果 やっぱり読む呼吸は、詩も大事です。
萩尾 私は詩を読むとき、文字からビジュアルが立ち上がってくるとすごく読みやすいですね。それこそタヒさんの「美しい人」(『夜景座生まれ』所収)の「桃の皮を剥く、桃は次第に記憶喪失、する、」みたいな。
最果 私もその一行目が好きなので、好きと言ってもらえて良かった!
萩尾 「母国語」もすごく面白かったし、あと「21歳」も。
最果 「21歳」は「yom yom」での連載の中で書いた詩なのですが、物語を求めて読む読者が多い雑誌だからか若干、小説に寄っていった感じのある詩というか。そういえば先生に絵を描いていただいた「別冊少年マガジン」での連載も、漫画誌での連載ということもあり、どんどん自分が書く言葉が変わる感覚がありました。
萩尾 「14才の化学進化説」と「12歳」(『空が分裂する』所収)は読んでいるとキャラクターが立ってくる、姿が見えるような詩でしたね。
最果 わっ、うれしいです。どの雑誌に連載したかってやはり影響があると思っています。「別冊少年マガジン」での連載は「"なんで漫画誌に詩が載ってんねん!"ってみんなが見てるやろな」って思う場で書くことがすごく良かったんです。『夜景座生まれ』のあとがきにも書いたのですが「誰にも読まれてない、求められてないぞ」っていう場のほうが、それまで書いたことがなかった詩を書ける気がして、すごく楽しいんです。ただ、そういうときに、失敗もしますけど(笑)。
萩尾 大丈夫、失敗は繰り返すものです! 私なんて失敗だらけですよ。「しまった、前後のエピソードを間違えた!」とか「もうちょっと大きなコマで描くべきだった」とか。失敗したことはあんまり考えないようにしているし、もしくは無かったことにしてみればいいんですよ。
最果 (笑)。でも先生がこれまで培われてきたものが今、全て『ポーの一族』の続編に注がれている気がします。『ポーの一族』が好きだった自分にとっては「こんな幸せな続編があるのか?!」みたいな感じですよ。
萩尾 いやぁ、私も続編を描けるとは思わなかった。だって絵も何もかも変わっちゃっているでしょ? やっぱり20代の線、30代の線っていうのが絵にはあるから「うぅ、60代の線で20代の頃に描いていたキャラクターを描くのか......」って感じで。絶対に何か言われるだろうけど「もう還暦過ぎてるから許して」って逃げようと思ってました(笑)。しかも途中で『ポーの一族』が宝塚歌劇団の舞台になって、そのとき花組のトップだった明日海りおさんがエドガーを演じられたんですよ。そうしたら、それから描くエドガーが明日海さんになっちゃって(笑)。
最果 私が宝塚にハマったのは『ポーの一族』公演の後だったんですが、その絵が寄っていってしまう宝塚のパワー、わかります! 現実に存在して、しかもめちゃくちゃキレイっていうパワー、ものすごいですよね。
萩尾 そう! 宝塚はハマっていないと分からない魅力がありますね。
最果 現実の舞台の上にいるっていう事実が本当に衝撃的だし......今は映像配信もあるけど、宝塚は舞台を実際に観に行ったほうがいい。
萩尾 そうですよね、映像だとどうしても小さく感じてしまうんですよ。
最果 そういえば先生が「浦沢直樹の漫勉」に出られたときの映像、途中から正座して見ていました。
萩尾 いやぁ、お恥ずかしい(笑)。
最果 ものを作る人間として、こんなに胸にくるものはないと感じましたし「自分も一生、作っていこう」って、見ていてすごく思えました。
萩尾 ぜひ一生、作っていってください。創作と宝塚は一生ものですから。
最果 そうです、宝塚と共に作り続けましょう(笑)。
(はぎお・もと 漫画家)
(さいはて・たひ 詩人)