書評・エッセイ

2021年2月号掲載

最強の先達・佐藤優と読む「コロナ」

佐藤優『新世紀「コロナ後」を生き抜く』

古市憲寿

対象書籍名:『新世紀「コロナ後」を生き抜く』
対象著者:佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-475217-1

 独学がしやすい時代だ。最近では世界中の大学が授業を配信し、YouTubeでも教養チャンネルが充実している。もちろん本で知識を蓄えてもいい。
 しかし独学には注意点がある。ともすれば、情報を頓珍漢につなぎ合わせて、とんでもない解釈で本を読み込んでしまう危険性がある。皮肉なことに、勉強家であるが故に、陳腐な陰謀論者になってしまった人も多い。
 だから昔から教育機関では、輪読など「先生と学生が一緒に本を読む」という行為が行われてきた。本の読み方にたった一つの正解はないが、やはり先達がいるのは頼もしい。
 そこで本書では、佐藤優さんが先達となり、二冊の名著を読み解いていく。実際に数十人の受講生と共に実施された、双方向のオンライン講義が元になっていて、そのやり取りも含めて理解が深まる仕掛けの本だ(『学生を戦地へ送るには』など佐藤さんの講義録シリーズはとにかく読みやすい)。
 二冊のセレクションがまたいい。一昔前の文系の大学院生なら誰もが読んだふりをしていたエリック・ホブズボームの『20世紀の歴史』と、コロナがきっかけで再注目されたアルベール・カミュの小説『ペスト』だ。
 実はどちらの本も、「読みやすいのに理解しにくい」。難解な哲学書と違い、ただ読み進めるだけなら、それほど前提知識はいらないはずだ。特に『ペスト』は、コロナを経験した我々なら、「これ、わかるなあ」と共感や既知感を抱きながらページを繰ることができるだろう。
 しかし前提知識の有無で『ペスト』の読み方も変わってくる。作中にはカトリックの神父が登場するのだが、彼の言葉をどう読み解くかは研究者の間でも見解が分かれやすい。本書が提供してくれる補助線は、より充実した読書経験を可能にしてくれる。
『20世紀の歴史』も同様だ。硬軟、話題を織り交ぜながら、「短い20世紀」が濃縮されている。だが当然のことながら、日本に対する記述は限定的。そこで先達の出番だ。
 たとえば『20世紀の歴史』では、国民国家から分離独立を求める動きについて触れられている。一人で読んだら「ふんふん」で終わってしまう箇所かも知れない。
 ここで本書は立ち止まる。佐藤さんは受講生に具体例を聞く。まず出てくる答えは「ユーゴスラビア」。さらに日本にも同様の地域はあるかと問う。
 そこで始まるのが沖縄とアイヌについての解説だ。なぜ中央政府は沖縄に対しては強く出る一方で、アイヌの文化振興には熱心なのか。沖縄がミニ「国民国家」になる可能性はあるのか。世界中の言語共同体が独立を目指したらどうなるか。このように独学では辿り着けない「読み」を佐藤さんは展開させていく。
 その上で本書が目指すのは、コロナ時代を生き抜く知恵を身につけることだ。よく「古典を学ぶと現代を生きる上でも役立つ」と言われるが、実際の活用方法までは教えられる人は少ない。そして古典に詳しい研究者が、現代社会に対してあまり鋭い指摘をしているようにも思えない。
 佐藤さんが指摘するのは「20世紀の枠組み」で思考する限界だ。先人の知識を活かしつつ、いかに「21世紀」に敏感でいられるか。冒頭から笑ってしまったのは、『サピエンス全史』を書いたユヴァル・ノア・ハラリへの手厳しさだ。疫病が克服されたことを前提に『ホモ・デウス』を書いた彼に、新型コロナを巡る発言権はないというのだ。
 対比して紹介されるエマニュエル・トッドの人口学的な視点は極めて冷静である。それを佐藤さんはより危険にかみ砕く。優生学的思想に陥ることに注意しながら、絶対にテレビでは無理な議論が展開されているのも本書の醍醐味。
 1994年に出版された『20世紀の歴史』の最終章は、そこはかとない変革への希望と共に筆が擱かれている。確かに西欧諸国の「若者」が文化革命を起こした1960年代と似たことが、中国などで勃興しているようにも見える。それが希望に思えないのは「20世紀」に縛られているせいなのか。それとも、よりよい「21世紀」はあり得るのか。
 どちらにせよ、自己防衛の手段としても知識がますます重要になることは確かだ。その意味でも、名著を死蔵させておくことは勿体ない。佐藤優という頼りがいのある先達が同時代にいることを喜びたい。

 (ふるいち・のりとし 社会学者・作家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ