書評・エッセイ

2021年2月号掲載

こっちを広辞苑に載せてくれ

最果タヒ『夜景座生まれ』

峰なゆか

対象書籍名:『夜景座生まれ』
対象著者:最果タヒ
対象書籍ISBN:978-4-10-353811-0

 十数年前の文学フリマ会場にて、私は最果タヒという人を探していた。絶対に最果タヒさんに会って、お話しなくてはいけない。なぜかというと文学フリマにB級映画レビュー同人誌を出すという友人に「ぜひ来て!!」と言われて「行けたら行く」と返事して受け取ったあと存在を忘れてバッグの中でくしゃくしゃになっていた文学フリマのチラシをたまたま目にした当時の彼氏が「あ、最果タヒさん今も書いてるんだ」とぽそりと言ったからだ。私は初耳の名前だったし、その当時に最果タヒの名前を知ってる人はかなり少なかったと思う。彼は学生時代、まだインターネット使用中は電話がピーヒョロロ~~~と鳴る感じの時代に、自作の詩を掲載するサイトに参加していて、その中には最果タヒさんもいて、当時から最果さんはそのサイト内で一目置かれる存在であり、自分の載せた詩を最果さんが褒めてくれたことは思い出に残っているそうで、私は爆笑した。「詩を書いてたの!? 詩を!?(笑) プッ......アーハハハハ!! ちょっと待って!? どんなの書いてたの!?」そこまで言ったところで当時の彼は怒って口をきいてくれなくなってしまったので、私は一人で文学フリマ会場にやってきた。最果タヒさんという人に会って、「詩の交流サイトの過去ログ漁って彼氏の投稿を特定して読み上げてさらに嘲笑いたいのでサイト名とか教えてください!」と聞くために。当然だがこの時点で最果タヒの作品は一切読んだことがない。
 こうして改めて当時の私の行動を文章にしてみるとあらゆる方面に失礼な自覚はあるのだが、懺悔をするつもりはない。だって十数年前ってみんなそういう感じだったじゃん? 「詩ってさあ、やたら『ぼく』とか『きみ』とか『愛』とか書いてあるヤツのことでしょ?(笑)」みたいな。「ぽえむ(笑)」みたいな。
 文学フリマには売り子の人しかいなかったので、私の彼氏を嘲笑う計画は頓挫した。「え~!! 最果タヒさんいないんですか!? え~!! 会ってお話したかったのに~!!」と心底悔しそうに言う私を、売り子の人は最果タヒ大ファンだと思ったようで何も買わずに立ち去るのは気まずい雰囲気になってしまったので、私は生まれて初めて詩というものを自腹で買ってみて、読んでみて、そしてその詩は果たして「ぼく」「きみ」「愛」とか書いてあるヤツだった。そこから最果タヒは一貫して「ぼく」で「きみ」で「愛」を書き続け、最新作の『夜景座生まれ』ではいよいよ「ぼく」で「きみ」で「愛」が極まっている。
 広辞苑が「愛」のことを「(男女間の)相手を慕う情」とか「愛蘭(アイルランド)の略」とか説明しているとき、最果タヒは「愛という言葉の意味を知らないが、/使い続け使われ続けていつの間にか、/手を伸ばせばそこにある言葉になった。/あなたはそれを詭弁と言うが、ぼくは神様がこの世界を作るとき、/同じ感覚だったに違いないと、思っているんだよ」だ。これだろ。こっちを広辞苑に載せてくれ。愛という言葉は使い続け使われ続けて手垢が主成分の巨大な塊になって、私が生まれる前からもうずっとその状態で、でもこの手垢の中には世界で一番大切なものがあるのだと力説する人たちの目の輝きが怖かったし、手垢の中になんて何もないよと冷笑決め込むのもなんだか寒い気がしていてどっちに転んでもダサいので、もう手垢とはなるべく関わらずに生きていきたい、でも本を読んでも映画を観ても恋人との静かな夜でも容赦なく私の眼前に手垢手垢手垢が現われて、いよいよどちらかに転がる必要を迫られたとき、どこにも転がらないまま「手を伸ばせばそこにある」と、神様の感覚を教えてくれる人なんていなかった。ある日突然小さな子供に真っ直ぐに目を見られながら「愛って、なに?」と聞かれても、もう私はビビらない。
「陳腐って、なに?」と聞かれたら「『ぼく』とか『きみ』とか『愛』とかのことだよ」と、かつてなら答えていたであろう言葉たちを最果タヒが新しくしてくれたように、今まで「無職の言い換えのパターンの中でもかなり古風なヤツ」とか「谷川俊太郎以外は食っていけない」という意味であった「詩人」という存在も新しくしてくれた。ちなみに件の元彼は「現実的に考えて詩人にはなれない」という理由で学生時代にのめり込んでいた詩の創作を止めて千葉で会社員になったらしい。「現実的に考えて!? 詩人にはなれない!?(笑) プッ......アーハハハハ!! 展示会やったりグッズ作ったり広告に詩を書いたりしてる人がいる現実なんですけど!?」と千葉まで出向いて嘲笑いたい。
 そのうち「お世話になっております」とか「マザファッカー」などのお馴染みの言葉も最果さんが新しくしてくれるのだろう。楽しみにしている。

 (みね・なゆか 漫画家)

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