書評
2021年2月号掲載
温かい真理
山本芳久『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)
対象書籍名:『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)
対象著者:山本芳久
対象書籍ISBN:978-4-10-603861-7
知ってはいるが読んだことはない。文学の古典は少なからぬ人々にとってそのようなものだ。ユゴーの『レ・ミゼラブル』にはジャン・ヴァルジャンという人物が出てきて盗みを働いて云々という話は知っていても、この大作を読んだ経験のある人はなかなかいない。
だが世の中にはまた、知られてはいるが、そもそも読むものだと思われていない、そのような書き物も存在している。実に多くの人がアインシュタインの名前を知っている。少なからぬ人が「相対性理論」という名前を知っている。しかし、それが読まれるべき書き物として存在していると、いったいどれほどの人が思っているだろうか(『相対性理論』は岩波文庫に収録されている)。
山本芳久氏の新著、『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』が紹介しているトマス・アクィナスの『神学大全』もまさしくそのような書き物だと言わねばならない。「相対性理論」ほど有名ではないかもしれないが、世界史をすこし勉強したことのある人なら、この書名には聞き覚えがあるだろう。しかし、それはそもそも読むものというカテゴリーに入っていない。それは単に暗記しておくべき書名である。
だから山本氏のこの本を読みながら読者は驚くことだろう。暗記すべき書名をもった書き物に過ぎなかった『神学大全』には、我々の日常的な感情とまさに地続きの話が展開されていたことを知るからである。たとえば、何かが気になる存在になると、その魅力に人は引きつけられてどんどん「それが欲しい」という気持ちに駆り立てられる。遂にそれを手に入れた時には、駆り立てる気持ちは止み、喜びが訪れるのだが、だとしても、その魅力を発していたものへの想いそのものが消え去るわけではない。
このような、まさしくスルリと受け入れられる感情の動きがトマスの描き出す「愛」の成立構造である。評者がさしあたり「駆り立てる気持ち」と呼んでみたものがトマスの言う「欲望」だ。トマスは今から七〇〇年以上も前にイタリアで生まれた、中世のスコラ哲学を大成したと言われる神学者・哲学者である。そんな人物の議論が今でも実感を以て読むことが出来るという事実はそれ自体が実に感動的である。
もっとも、人がトマスを自分とは無関係な歴史上の人物と思ってしまうのは理由なきことではない。というか、トマスについて知れば知るほど、人は彼を遠い存在と思うかもしれない。
『神学大全』はトマスの主著だが、邦訳では全部で四五巻もある。それは日本では半世紀もかけて翻訳されたが、それでもトマスの全著作の七分の一程度に過ぎない。哲学者の中には極端に著作の多いタイプとそうでないタイプがいるが(たとえばハイデガーは前者であり、スピノザは後者である)、トマスは群を抜いている。専門家でも著作群の一部しか読んだことがないのが実情だという。
おそらくトマスの著作が厖大であることの理由の一つは、彼の驚異的な思考および筆記のスピードにある。超高速で展開する思考に筆記が追いつこうとして残したその筆跡は「読解不能な文字littera illegibilis」と呼ばれている(ぜひネットで画像検索してみていただきたい)。トマスを巡るあらゆる事実が彼を超人のように思わせる。「人間離れした」とはこのような時に使う表現ではないか。
その人間離れした人物が、にもかかわらず、世間から少しも離れていない感情論を残していること、したがって、『神学大全』は現代人にとって読むもののカテゴリーに置かれて然るべきものであること――山本氏が学生との対話という形で記した本書はそれを実に優しく読者に教えてくれる。
評者の専門とする一七世紀の哲学では盛んに感情が論じられたのだが、その背景には新教と旧教の対立がもたらした宗教内戦があった。戦時に人間が普段では考えられないような情念に駆られることに当時の知識人たちは驚いた。その根源を探ろうと盛んに感情が研究されたのである。それ故であろうか、たとえばホッブズやデカルトやスピノザで理論的構えも結論も大きく異なるけれども、彼らの感情論には共通して冷酷な認識が感じられる。それは今でも読む者の目を覚まさせる冷たさを持つ。
それに対し、評者が本書を通じて知ったトマスの感情論に感じられるのは、それとは正反対の温かさである。もちろんそれは中世的な人間観が持っていた調和のイメージなのかもしれないし、こんな風に述べるのはある種のノスタルジーなのかもしれない。だがこの感情論には、超人が知りえた世間的なものの真理があると思われてならない。真理は冷たいものばかりではなかろう。だからこそ「善は自己拡散的である」というトマスが述べた温かい真理は今でも我々の心を打つのである。