対談・鼎談

2021年3月号掲載

特別企画

「大当たりの年」の手紙

筒井康隆←→松浦寿輝

片や狂瀾怒濤の超=私小説集『ジャックポット』、此方は極上の蠱惑に満ちた散文集『わたしが行ったさびしい町』をそれぞれ刊行した作家による、芳醇無類の往復書簡――

対象書籍名:『ジャックポット』/『わたしが行ったさびしい町』
対象著者:筒井康隆/松浦寿輝
対象書籍ISBN:978-4-10-314534-9/978-4-10-471704-0

筒井康隆様

 ご無沙汰しております。
 昨年3月にはあるイベントでご一緒できるはずで、楽しみにしておりましたのに、コロナ禍で中止になり、お目にかかれずに終わったのは残念でした。
 ともかく2020年は大変な年でした......というのが、誰に会ってもつい口にしてしまう紋切り型の挨拶のようになってしまいました。
 筒井さんと「新潮」で対談をさせていただいたのは、たしか2017年2月のことでした。あのとき、なぜかハインラインの傑作短篇SF「大当たりの年」の話が出ましたね。筒井さんがもう長篇は書かないとおっしゃっているのを寂しく思っていたわたしが、どうですか、筒井版「大当たりの年」みたいなのを長篇でやりませんか、2020年の東京オリンピックにぶつけたら面白いだろうなあ、などと、無責任に焚きつけるようなことを口走ったのでした。
「大当たりの年(The Year of the Jackpot)」は、世の中の無数の事象がそれぞれ持っている周期のすべてが、たまたまある年にぴたりと重なり合ってしまうという物語です。政治、経済、自然現象、あらゆる領野で最悪の災厄が立て続けに起こり、ついには太陽上の黒点の出現というアポカリプス的なヴィジョンとともに終わる、怖いお話ですが、筒井さんの新刊の『ジャックポット』に収録された表題作を拝読して、ああやっぱりと思いました。
 あのときのわたしの放言はむろん冗談でしたし、筒井さんも暢気に笑っていらっしゃったし、2020年が本当にこんな年になるとは二人とも思ってもいなかった。ところが世界は急変し、同時に「筒井ワールド」も異様な進化を遂げて、ついに『ジャックポット』のような超絶的な奇書を出されるようなことになってしまった。とんでもない加速を続ける「人新世」の地球には、いったいどんな運命が待っているのでしょうか。
 ジャックポットとは、累積して膨れ上がった賭け金が一挙に当たるという現象のことですが、わたしの目には、ナンセンスの大明神とも言うべき筒井さんご自身さえ、未だかつて到達したことのないような異形の「無意味」が溢れかえっているこの短編集の全体が、いわば「言語のジャックポット」そのものと映ります。たとえば、映像でしか見たことがありませんが、カジノのスロットマシンで大当たりが出て、じゃらじゃら、じゃらじゃら、コインが噴出しつづけ、あたりの床を埋め尽くしてもまだ止まらないといった光景。『ジャックポット』に重なって、わたしにはそんな光景が見えてきます。
 それはぴかぴか光る貴重なコインであるかもしれないけれど、一見そう見えて、実は3・11の大震災のときその処理が大問題になった瓦礫とか、これからの人類が原罪のように背負いつづけてゆく放射性廃棄物とか、そういう剣呑で厄介きわまる「物質」であるかもしれない。
 文学者の想像力はカタストロフによって刺激されるもので、今回のコロナ禍もこれからあまたの創作を誘発してゆくでしょう。しかし、二十年、三十年経ったとき、馬鹿々々しさの限りを尽くしているかのごときこの筒井さんの新刊こそ、地球と人類の、今後に予想される黒々とした運命と、いちばん深いところでぴたりとシンクロしている書物だったということになるのではないか。「負のジャックポット」とでもいうのか、つい返済しどころを失って溜まりに溜まってしまった負債を、一挙に完済せよと人類が迫られるときが、そう遠くない将来に訪れるような気がしてならないからです。
 松浦寿輝


松浦寿輝氏への返信(一)

 予定されていた貴兄との対談が実現しなかったこともあり、なんとなく物足りない年だったなあと回顧していました。まったくなんという年だったのかと思い、しかし貴兄の久しぶりのお手紙で、多くの作家たちが至極真っ当にこのコロナの流行をコロナ禍として、ある人は文学的感性で、ある人は哲学的思索で書かれていることに思い当たり、ご指摘の『ジャックポット』でふざけ散らしたことに忸怩たる思いもしています。しかし小生としては「大当たりの年」などと言う中に他の多くの不幸も含ませているつもりでした。今となってはすべてを大当たりと、改めて笑い飛ばすつもりもあったと思います。実際にもそのように書いたことを褒めている、のかどうかはわかりませんが、取りあげている新聞のコラムなどもあって、あれでよかったんだと自分を納得させてもおります。肺疾患、八十六歳というふたつのリスクを抱えてどこにも出かけられない環境は、もう笑うしかありません。
 そんな中、貴兄の著書にはずいぶん慰められました。『月岡草飛の謎』は多くの読者同様、性格がなんとなく自分に似ていると思わせる主人公で、グラスホッパーという名を納得させるキャラクターです。この連作は連載中にも時おり読んでいたことを思い出しましたが、その時にも「二羽の鶴の怪」の読後感を書いています。何人かの登場人物が歌仙を巻いている場所が、空港のラウンジだったり庭園の見える四畳半の和室だったりとその場所がころころ変化するのに驚き、演劇畑出身のおれがなんでこのアイディアを思いつかなかったのかと悔やんでいます。今、全作を読み終えて、前衛的アイディアとしてはやはりこの「二羽の鶴の怪」、エンタメ的に完成度が高くて秀逸なのは「LAワークショップの怪」、最も文学的感動、つまり文学的不快さがあるのは「途中の茶店の怪」であろうかなどと勝手な評価をしているのですが、どの道俳句や和歌に不案内で詩ごころのない自分に書けるものではなく、貴兄の初期の評論『折口信夫論』を思い出すといった程度のものです。それにしてもとんでもないものを書かれましたね。一冊一冊、方向の異なる作品を志向しておられる貴方に共感と、また賛意をも表します。
 そして小生の『ジャックポット』とほぼ同時期に発行される『わたしが行ったさびしい町』も読ませていただきました。これはまた何という魅力的な散文集でしょう。ほとんど小生が行ったことのない町、もちろんそうした町のさびしい場所や、町そのものがさびしい町へ好んで行かれたわけですから、小生が行っていないのは当然ですが、「寂しい」でも「淋しい」でもない「さびしさ」のある町の素晴らしさがこんなに豊かに表現されている例はないのではないでしょうか。
 実は小生、銀座や赤坂六本木に代表される賑やかな町が大好きな俗物ですが、不思議にも懐かしく思い出す場所や夢に出てくる場所というのが例外なく「さびしい場所」で、これは他の人もみんなそうなのかと不思議に思っていました。それは山坂町一丁目にいた時に通った銭湯への暗い道であったり、大学在学中にぶらついていて迷い込んだ先斗町の裏道であったり、もう五十年前にもなりますが寂しいワルシャワの街かどで、鼻の赤い労務者風のおじさんに「ポーランドはいかがですか」と笑いかけられた思い出などです。しかしそのあたりの細部はいくら思い出に浸っていても思い出すことは同じことばかりで、とても貴兄のような思い出を掘り起こす術は持ちません。残念であり、そんな能力が羨ましいかぎりです。
 驚くのはそうした町に指向され、夫人とご一緒に多くの旅をなさっていることです。本当に旅がお好きなんだなあと、出不精の小生など感心してしまいます。かと思えばあの大長篇『名誉と恍惚』で細密に描かれた上海を実はほとんど探索していないと伺って唖然とするのですが、これも多くの旅の経験があってこそ可能なことだったのだろうと思い知ったりもしました。
 小説は勿論ですが、こうした個人的思い入れのある貴兄のエッセイをもっと読みたいと思います。最近遠ざかっておられるかに見えますが、雑談風の映画の話など、是非拝読したいと願っております。貴兄が披瀝される映画の話。読みたくてなりません。
 筒井康隆


筒井康隆様

 いえいえ、お褒めにあずかった拙作「二羽の鶴の怪」につき、「おれがなんでこのアイディアを思いつかなかったのか」などと嘆かれるには及びません。じつはわたしもついたった今思い当たったばかりなのですが、筒井さん、お忘れになっているだけで、やっていらっしゃいますよ、短篇「われらの地図」で。

 「しかしまあ、われわれ馬鹿なことしてるな。わざわざ銀座のど真ん中で麻雀ばっかりして」
 「あれ。ここ東京かい。熱海でやってたと思ったが」
 「ここは『園』ですよ」
 「熱海じゃなかったのか」
 「まあ、すぐ隣りだわなあ」
 「無茶言うな。だいぶ遠いぞ」
 これは小松さん、星さん、半村さん、筒井さんの会話だけで終始する作品で、四人が麻雀をやっている場所が熱海かと思えば銀座、かと思えばやっぱり熱海と、ころころ変わる。「近いわなあ」「遠いわなあ」と言い交わしているうちに、環状線の秋葉原で乗り換えたらフィリピンに出るとか、パリの地下鉄は我孫子の先まで行っているとか、ハチャメチャな「われらの地図」が浮かび上がってくる。麻雀のメンツにしても、半村さんのはずだったのがいつの間にか豊田さんになっていたり、突然眉村さんが加わっていたり。日本SF黎明期の祝祭的な幸福感が漲っている楽しい作品です。
 ことほどさように、筒井さんが何から何までやってしまっているわけで、これは後続のわれわれにとってはまあ迷惑と言えば迷惑な話です。結局おれは、たんに麻雀の代わりに連句の遊びを持ってきただけであったのか、と改めて暗澹とした気持ちにならざるをえません。もっとも、短篇集『月岡草飛の謎』はいわばその全体があからさまな筒井康隆へのオマージュなので(それを明示すべく最終篇に「ツツイ先生」を登場させました)、こういう、後になって思い当たる無意識のパクリのようなものがあってもお赦しいただければと思います。
 わたしはあの連作を書きながら、もしこれが映画化されるとしたら、主人公の月岡草飛はぜひ筒井さんに演じてもらいたいものだと思っていました。十億かそこら調達してくれるプロデューサーさえいれば、今すぐでもわたしが自分で脚本を書き、監督を引き受けてもいいのですが。
 それにしても、今度のご新著の短篇集の、とくに最初の三篇「漸然山脈」「コロキタイマイ」「白笑疑」では、何かぎりぎりのところまで行ってしまわれましたね。言語解体のラディカリズムがここまで昂進すると、後続のわたしにしても誰にしても、もう追いつきようのないことは明らかで、何だかそら恐ろしい感じです。しかもそれでいて読者を冷たく拒絶している感じがなく、不思議にどんどん読ませてしまうのは、よほど言葉の流れにグルーヴ感のうねりがあるからなのか。
 筒井さんの夢に出てくる「さびしい場所」ということで、わたしなどがすぐ思い出すのは、これは正真正銘の傑作ですが、短篇「エロチック街道」の冒頭に出てくる「根岸」という山あいの鄙びた町です。表通りの呉服屋と裏通りの居酒屋が背中合わせになっている構造などを、主語の無い極度に粘着的なリアリズムで描き出してゆくうちに、その描写の緻密さそれじたいによってかえって茫漠とした夢幻的な昏迷がどんどん深まってゆくあたり、陶然として読ませていただいたものです。こういう言語を操っていた作者が、今回の「漸然山脈」等を書いたのと同じ人だというのは、やはり相当凄いことでありましょう。
 ところで、ブログを拝読していると、筒井さんは今はどうやらジョン・ヒューストンやハワード・ホークスについて執筆なさっているようですね。1930~40年代のハリウッド活劇には、パリに留学していた頃わたしもずいぶん入れ揚げました。とくにホークスは「カイエ・デュ・シネマ」系のシネフィルたちにとっては神様みたいな存在でしたから、わたしも『港々に女あり』などサイレント期の作品も含め、ほぼ全作見ているはずです。
 いつぞや夕食をご一緒した折りに筒井さんから、おまえの贔屓の女優は誰なのかと質問され、ちょっと答えに詰まってしまったのですが、遅ればせながらこの機会に、『コンドル』のリタ・ヘイワース、『脱出』『三つ数えろ』のローレン・バコール、それに(活劇ではないけれど)『赤ちゃん教育』のキャサリン・ヘプバーンといった名前を挙げておきます。世代的には全然重ならないながら、彼女たちはパリのリバイバル館での出会いを通じて、わたしの青春期の情熱と憧憬の対象だったのです。ホークス映画には機知とカリスマを持った強気な女性がよく登場しますが、どうやらわたしにはそうした "Hawksian woman" に参ってしまう傾向があるようです。
 あのときは筒井さんの質問に、たしかレベッカ・ファーガソンという名前を口走ってしまったと覚えています。この人は『ミッション:インポッシブル』シリーズの最新の二作でトム・クルーズと共演しているスウェーデン女優で、これもやはり「ホークス的女性」の一人。ついでに言えば、やはり『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』で、「ホワイト・ウィドウ」という役名の悪女を演じているヴァネッサ・カービー。登場シーンは少ないながら、この女にもぞっこん惚れこんでしまい、一人で盛り上がっておりました。「あなたは冷たい瞳(め)をした女がつくづく好きよね」と家内は呆れておりますが、この人自身はあんまりそういう女でないのが幸いで、実生活で "Hawksian woman" と暮らすのはやはり相当難儀でしょう。
 脱線ばかりのお手紙になってしまい、恐縮のかぎりです。映画プロデューサーの出現を楽しみに。
 松浦寿輝


松浦寿輝氏への返信(二)

 いやあ参った参った。やっていたんですね。これはたしか「野性時代」の依頼だったと思いますが、その頃は多忙で、なんのアイディアもなく、しかたがないのでえいとばかりにやっつけた、自分の記憶の中では駄作とばかり思っていた作品です。今考えると、場所がころころ変るあのネタは、ジュリアン・デュヴィヴィエの映画だったと思いますが、都会から来た男が田舎娘に都会の素晴らしさを語り、その男を娘が憧れるようにうっとりと眺めているその背景がスクリーン・プロセスで繁華街、夜景、宴会場などと変って行く場面が記憶にあり、これをいただいてやれとばかりにやっつけた仕事です。人物が変化するのはその頃の麻雀の、実際の面子です。貴兄の言われる通り「後になって思い当たる無意識のパクリ」とは、まさにこういうものなんですね。元ネタの詮索よりはボルヘスの言う「バベルの図書館」だということにしてしまった方がいいのかもしれません。しかしまあ「われらの地図」をそんなに評価して下さったのは貴兄だけです。
 月岡草飛を演じよとのお言葉は恐縮です。「LAワークショップの怪」など、演じたいし、面白くなるでしょうね。いささか鈍感な月岡草飛よりも周辺の人物たちの方がドタバタしていて面白そうだったりもしますが。
 昔、芝居や映画に出演していた頃の夢はよく見ます。と同時に昔見た映画などを懐かしく思い返し、どうしても書きたくなって現代新書に執筆することになりました。と言っても、蓮實重彦氏の「ジョン・フォード論」のような精緻なものはとても書けませんから、ただ自分の感動をなぞるだけのヤワなものです。それにしても「カイエ・デュ・シネマ」に入れあげた時代があるというのは何とも羨ましい。『港々に女あり』も小生がヴィデオで見た傷だらけの代物とは違ってルイズ・ブルックスなど、随分美しかったでしょうね。アメリカ本国で不入りだったというあの『赤ちゃん教育』を再評価したのも「カイエ・デュ・シネマ」でした。ケイティなど可哀想にあれ以来本国ではしばらく「最も客の入らない女優」と言われていたらしい。あんな凄い女優のことを、また、あんな凄い映画のことをいったい当時のアメリカの映画ファンたちは何をしておったのか、と、何度もDVDを見返しては怒っています。
 最近の女優さんにはとんとご無沙汰です。『マスク』の頃のキャメロン・ディアスにちょっと萌えた程度で、たいていはDVDで昔の女優たちを見て萌えております。年齢のせいでその対象もどんどん狭くなり、ついにはアマビエに行き着いてしまいました。着ているものも重なって神さんに少し似ておるのです。これは猫だか人間だかよくわからない貴兄の創造された「人外」にも似ていて、あの人外は不在の神でもありますが、表情の零度のクルピエとかいうのが出てきたけれど、もしかしてあれがアマビエかなあ、などと思い返したりもしています。ですからこれは、最近まったく書いていず、もう書かないと宣言した長篇にもなり得るのではないかなどと馬鹿なことを考えてもおりますが、勿論これはあくまで考えているだけで、書く気はまったくありません。
 最近はそのように、断片的に思いついたことを十枚ほどの掌篇にして、主に「波」に発表しております。お目にとまりましたらお読み下さい。
 筒井康隆


筒井康隆様

 アマビエが主人公の筒井さんの長篇、ぜひとも読みたいものです。もっとも、あれは悪疫退散の妖怪で、だとすると人類に善をなす存在ということになりますから、そのままではじつはツツイ・ワールドにはふさわしくないでしょう。未曾有のカタストロフを治癒するかに見えてじつは......といったツイストが必要になるのではないか。などと、口はばったいことを申しまして失礼しました。
 筒井さんのかつての予言的な短篇「急流」によれば、二〇世紀末に近づくにつれ時間がどんどん加速しつづけ、世紀が変わるとともに、滝になってどうどうと落下しているはずだった。そうなっていたらさぞかしせいせいしただろうと思わなくもありませんが、「歴史の終わり」は結局訪れず、国家も資本主義も(文学も?)ずるずると延命し、抑圧的な管理と監視のシステムが強化される一方のまま、二一世紀に入って早くも二十年経ってしまいました。そのさなか、今回のコロナ禍です。速度だけでなく、ジグザグの急角度の転変まで加わった歴史の「急流」に運ばれて、人類はどこへ向かうのでしょうか。
「権威」「正論」「民主主義」等々、硬直した制度的思考の数々を徹底的に茶化し嘲笑してきた筒井康隆を、わたしはひとことで「反骨の文士」と思っていますが、その筒井さんが笑いのめしてきたものの一つに「健康」の観念がありますね。「こぶ天才」「顔面崩壊」「問題外科」「蟹甲癬」といった恐ろしい作品群の系譜が今わたしの頭に浮かんでおり、そこにさらに「ポルノ惑星のサルモネラ人間」なども加えていいかもしれませんが、その延長線上に、もし仮にウィルスをテーマにした作品が来るとどういうことになるのか。読んでみたいものだなあと夢想しております。
 予言と言えば、小松左京さんの『復活の日』が予言的なSFということで話題になっているようですね。おちゃらけた総理大臣が出てくる筒井さんの近作「官邸前」を拝読して、わたしはつい、小松さんのかつての名作短篇「そして誰もしなくなった」を思い出してしまいました。「やめた......」と総理が突然言った――というところから始まる痛快なファースです。あとは勝手にやれと言い捨てて部屋を出ていった総理は、キャーッと叫んで廊下を走り出し、階段の手すりにまたがって一気に滑り降りてゆく。それと軌を一にして、社会のあらゆる分野で、誰も彼もが「やめて」しまう。
 あれは高度成長期の日本社会への諷刺だったのでしょうが、諷刺の毒の効き目はそれを越えて、もっと長い射程を持っていたように思われてなりません。「解散はしません」「解散はしません」と無意味に反復する筒井さんの「官邸前」の総理も、正反対のことを言っているかに見えて、実は「やめた......」と言ってやめてしまう総理と同一人物のように見えるのです。実際、前の総理などもそんなふうに無責任に「やめて」しまったわけですし。
 それにしても、『果しなき流れの果に』も未完の『虚無回廊』も恐ろしい作品で、小松左京というのも凄い人だったとつくづく思います。一度ぜひお目にかかってみたかった。ああいう文理融合型の巨大な知性が今日もし存命だったら、その目に今日の地球の状況がどう映るか、知りたくてなりません。
 ところで、拙作「LAワークショップの怪」というのは、じつは部分的にはわたしの身に起こった実話なのです。何とまあ、世界はとめどなく筒井康隆化しているようで。
 またお目にかかれる機会を楽しみに。ますますのご健筆を!
 松浦寿輝


松浦寿輝氏への返信(三)

「反骨の文士」というお言葉は臆病者の私にとって光栄です。昨今の森喜朗へのバッシング、それはもう全世界からの囂々たる非難を見るにつけ、慄然とする一方、よくぞ小説家になったものだとほっとしているからです。小説であれば本音も本音とされず、見逃されてしまう。例えば今回のコロナ禍でも、戦争のないこの世界では地球人口が増加し過ぎるため、自然による人口調節機能が働いているのだ、あとは中国の大量虐殺を待ち望むしかないなどと、例えばアマビエを主人公にしたSFとしてなら書いても許されますが、本音として書けば大騒ぎになります。もう書いてしまいましたが。
 実は小松左京も、小説にすら書けないようなことを小生にはずいぶん語ってくれたものでした。自分で言っておきながらこっちを睨みつけて「人に言うなよ」と念を押すので、そんなこと言ったら大変だ、誰が言うものかと腹で思っていたものです。あの巨大な知性は、ヒューマニズムなどという甘ったるいものを遥かに凌駕していました。もし現在、小松さんがウイルスをテーマに小説を書けば、『復活の日』とは全然違ったものになりそうな気がします。あの頃とは異なり、今は森喜朗総スカン現象に象徴されるような監視社会になっているからです。あの傑作短篇「そして誰もしなくなった」も、貴兄が言う通り現代社会を射程に収めていてみごとです。「そして誰も言わなくなった」「そして誰も書かなくなった」と言い換え可能な社会になってきていて、こんな時代に誰が本音を洩らすでしょうか。
 前便にお名前を出した蓮實重彦氏から、瀬川昌久氏との対談を一冊にした『アメリカから遠く離れて』が送られてきました。これにはジャズと映画に関する蘊蓄が語られ、実に魅力的な本で、たちまち読み終えてしまいましたが、こうした文化こそ後に残すべきものではないかと強く思いました。この本に影響を受け、小生もまた今後書くエッセイなどでは、自分の僅かな知識と経験を語っておくことが、ごく少ない数ではあるものの自分の固定読者を持っている作家としての役割ではないかと思っております。貴兄から「反骨の文士」とされたのは、実は臆病な自分への反撥であったに過ぎなかった、臆病だからこそそれを隠すためにあんな無謀な作品が書けたのではないかとも思います。
 小生、「健康」の観念を笑い飛ばすことなどできないほど、今や老齢になってきてしまいました。幼いころ「シヌノハイタイカライヤダ」などと単純に思っていたことを、今では「人に迷惑をかけるから」「できるだけ長生きするのが生物学的使命」「長く生きれば生きるほど楽に死ねる」などと言いわけして健康にすがりついております。一昨年亡くなった友人の眉村卓は、遺作の自伝的長篇の中で死期を悟った主人公に「もういいか」と呟かせていますが、そんな心境になれたらいいなと思います。
 貴兄はまだまだお若いので、今まで通りにその時その時で異なった趣きの作品をどんどん思い通りに書いていっていただきたいと思います。ただし、くれぐれも健康にだけは気をつけてください。
 それではまた、いつか、どこかで。
 筒井康隆

 (つつい・やすたか 作家)
 (まつうら・ひさき 作家)

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