書評・エッセイ

2021年3月号掲載

医師の主観に左右される疾患

岩波明『発達障害はなぜ誤診されるのか』(新潮選書)

岩波明

対象書籍名:『発達障害はなぜ誤診されるのか』(新潮選書)
対象著者:岩波明
対象書籍ISBN:978-4-10-603863-1

 言うまでもなく、医療における誤診は重大な事態をもたらす。身体疾患であれば誤診が生命の危機につながることは日常的にみられるし、精神疾患において、ただちに命の危険がない場合でも、適切な治療が行われなかったために、長く続く不幸な経過をもたらすことは珍しくない。
 かなり以前の話になるが、東大病院の著名な内科教授が定年前の最終講義において、外来の初診時における誤診率を明らかにしたことがあった。正確な数字は記憶していないが、その教授の誤診率は、約14%であった。
 この数字を高いとみるか低いとみるかは立場によって様々であろう。ただ内科疾患などの場合、さまざまな検査を行うことによって、初期の誤診が訂正されることが多い。
 一方、精神科の場合は、診断を確定できる臨床的な検査はほとんど存在していないので、医師の主観に左右される側面が大きいのが現状であり、特に本書のテーマである発達障害においては、診断の不一致率がかなり高い傾向にある。その理由はいくつかあるが、本書の中で詳しく述べている。
 最近になって、発達障害という病名は、医療の分野においても、一般の人にもかなり浸透してきた。ただ残念なのは、なかなか正しい概念が伝わっていないことで、的確な診断、治療をするべき医療関係者においてさえも、多くの誤解がみられている。
 本書は「発達障害の誤診」をテーマとして、さまざまな臨床例をあげながら、その診断と治療に関連する問題点を指摘した。発達障害の主要な疾患であるASD(自閉症スペクトラム障害)もADHD(注意欠如多動性障害)もともに有病率の高い疾患であり、実は我々の身近に多くの当事者が存在している。
 しかしながら、発達障害は一般的な「病気」とはかなり異なった特徴を持っている。なぜなら発達障害は、ある時点で発症するものではないからだ。これは生まれながらの特性であり、それは生涯変わることのない、個人の考え方や生き方の特徴そのものなのである。さらに多くの場合、発達障害の当事者は患者としてではなく、一般の健常者として存在している。
 最近、あるネット関連の編集者から取材を受けた。「会社で自分の同僚が発達障害だったら、どう対応するのが適切なのか」というのが彼の疑問だった。
 これに対する答えは、発達障害の種類や重症度にもよるし、その当事者が起こした問題にもよる。さらには業務の内容にも関連してくるので、答えは一様ではない。しかし、改めて考えてみると、本当にこのような状況は起こりうるのだろうか。
 隣の席に座っている同僚が、何らかの発達障害の当事者で、その結果、仕事に不適応を起こしていることはありうる話である。けれども、その同僚が発達障害であることが、周囲に認知されているという事態は起こりうるのか。
 もちろん、本人が自発的にカミングアウトすることがまったくないわけではないが、一部の障害者雇用を除けば、仕事をしている当事者が自分の「障害」を周囲に積極的に述べることはまれである(そもそも多くの当事者は自分の診断名を知らない例がほとんどである)。
 このため彼らは、周囲からは、「ミスが多い人、仕事の段取りのできない人」「コミュニケーションが取れない人」などとみなされ、その結果、「戦力外」として扱われることも珍しくない。
 社会の中でこういう苦労を重ねるうちに、発達障害の当事者は、自ら、あるいは家族などから指摘されて、自分がASDやADHDの特徴を持っていることを「発見」し、病院を受診することになるのである。
 発達障害という現象は、以前から知られており、20世紀の中頃までには、今日の診断基準の枠組みがおおよそ確立している。ただ当時は、ASDもADHDも、基本的には児童、思春期の疾患であるとみなされていた。
 成人においても発達障害が社会的な不適応の原因になることが認識されたのは、欧米では1990年代ごろから、わが国においては今世紀に入ってからのことである。そのため、成人期の発達障害の診療を担当するべき精神科の医師においても、いまだにこれらの疾患について十分な知識や臨床経験がないことが珍しくなく、それが誤診の原因のひとつにもなっている。
 本書には実地臨床における誤診の症例が数多く紹介されている。発達障害の当事者とその家族、医療関係者、会社の産業医や人事担当者などの一助となれば幸いである。

 (いわなみ・あきら 昭和大学医学部教授)

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