書評

2021年4月号掲載

早見和真『あの夏の正解』刊行記念特集

球児との対話の先に

宮下奈都

対象書籍名:『あの夏の正解』
対象著者:早見和真
対象書籍ISBN:978-4-10-120692-9

 夏の甲子園大会、中止。――知らせを受けて、著者は車を走らせた。当事者である高校球児たちに話を聞くためだ。「目に見える形で大切にしてきたものを失った彼らが、この夏、何を感じ、どう振る舞うのか。何を失い、何を得るのか」「僕は素直に彼らに教えを請いたかった」。それが、この本が書かれた強い動機だ。
 甲子園だけが特別なわけではない。コロナ禍のせいで人生を変えられた高校生は、日本に、世界中に、たくさんいる。感染してしまった若者も少なくない。野球以外もほぼすべての大会が中止になった。インターハイも、文化系の発表会も開かれず、夏は燻(くすぶ)ったままだ。
 それでも、「あの夏」とは、「甲子園大会が中止になった夏」を指す。直近の山本周五郎賞受賞者である著者は、昔、甲子園を目指す高校球児だった。この本に登場する多くの人たちと同じく、甲子園の魔力に搦めとられた人だったのだ。当時、高橋由伸を擁した桐蔭学園の野球部員であり、彼をきっかけに魔法が捻(ねじ)れてしまった体験を持つという。いてもたってもいられなかったのだろう。甲子園を失うということが、どれほど大きなことか、知っているからだ。
 強豪校である済美高校(愛媛県)と星稜高校(石川県)を訪れ、インタビューを繰り返す。取材というより対話に近いかもしれない。渦中の球児たちの最もつらかったであろう時期に、話を聞かせてほしいと頼み、「彼らの口にする言葉に、この夏を通して導き出すであろう答えに強く期待している」と書く、怖ろしいほどの正直さには驚く。無茶とも呼べるそれができるのは、著者にかかった甲子園の魔法がいまだに解けていなかった証拠だ。
 その熱量に圧倒される。著者自身も、迷い、考え、愛媛県と石川県を車で何往復もする。考えてほしい、と彼らを促すけれど、著者を含めた大人たちにも正解はわからない。そもそも正解があるのかどうかさえわからない。少なくとも誰もが認める正解などないことは、序盤の混沌からすでに浮かび上がってきていた。ただ、正解があるにしろないにしろ、それを求めて考え続けることに意味があるのだろう。ひたすら歩いてきた道が突然閉ざされて立ち止まる。悩み、泣き、彼らは野球について、自分自身の人生について考えていく。
 人生そのものであったはずの甲子園が中止になって傷ついているであろう選手が、思いがけない言葉を口にする。中止を理不尽だと感じ、仲間たちと何度も話し合い、その上で気づいた自分のほんとうの気持ち。それを引き出せただけでも、このインタビューには意義があったと思う。その一方で、その意見とは反対の言葉をいう選手もいる。「いまの自分にしかできないことがきっとある」と語る選手もいる。どの選手の言葉にも重さがある。
 夢中になって読んだのは、ひとりひとりにドラマがあったからだ。これがノンフィクションの持つ力か、と思う。執念の取材をした著者の力の賜物だろう。野球をやるという、たったひとつの目的のために集まった彼らには、揺れ動く感情がある。生い立ちも、家族の環境も、部内での立ち位置もさまざまな彼らの共通点は、今、同じ場所から甲子園を目指しているということだけだ。考えや行動に違いがあって当然だ。それがリアルに伝わってくる。まるでよくできた小説のようだ、と感じる場面が何度もあった。でも彼らは実在する高校生たちだ。日中は登校して授業を受け、放課後になると野球部のユニフォームを着てグラウンドに集まる現役の高校生なのだ。小説と決定的に異なるのは、彼らが現在を生きている点だ。結末はまだ見えない。
 だからこそ、正解などないのではないか、という思いが大きくなる。正解は、たぶん、つくるしかない。これから、彼ら自身がつくっていくしかないのだ。答え合わせをする権利は誰にもない。彼ら自身にさえない。なぜなら、それが人生だからだ。彼らの生きていくそれぞれの人生そのものが正解になっていくと信じたい。
 高校球児たちは、きっとそのことに気づいている。たしかに特別な夏を経験した。だけど、自分たちだけが特別に不運なわけではない。ここからまた歩きはじめるしかない。だから、それぞれのやり方で顔を上げている。ちゃんと前を向いている。
 彼らのために右往左往する大人たちの連帯にも希望を感じる。でも、それ以上に、どんどん成長していく高校球児たちの中に大きな希望があると思った。彼らは甲子園のない、かけがえのない夏を生きたのだ。彼らを全力で追いかけた著者も、ほんとうのところ彼らの強さには敵わないとどこかで思っていたに違いない。

 (みやした・なつ 作家)

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