書評・エッセイ

2021年4月号掲載

『沙林 偽りの王国』刊行記念特集

おごそかな怒り

縄田一男

対象書籍名:『沙林 偽りの王国』
対象著者:帚木蓬生
対象書籍ISBN:978-4-10-331425-7

 二年に一度、あるいは一年に一度、私は私の批評する心を立ち往生させてしまうような衝撃的な傑作と出会う事がある。今年は、年が明けて三月、早くもそれはやって来た。帚木蓬生さんの大部の一巻『沙林 偽りの王国』である。
 作品は、オウム真理教事件の全貌に迫ろうとしたもので、和歌山カレー事件を題材にした『悲素』と同じく、九州大学の医師・沢井教授が事件を追及する主人公として再び登場する。
 全篇を貫くものは、作者のおごそかな怒りとも言うべきそれで、ここに作品がノンフィクションやドキュメントとしてではなく、小説として成立しなければならなかった意味があるように思われる。
 その怒りは、六千人以上を負傷させたオウム真理教だけでなく、教団に対する捜査を後手に回らす原因となった県警間の連帯の無さや、時にはオウム真理教幹部達を視聴率アップのため無批判にテレビ等に登場させたマスメディアの責任等に及んでいる。
 その中で、作者が心がけている事は、この事件渦中で無念のほぞをかんだ人々の思いをくみとる事であった。
 特に、松本サリン事件の第一通報者でありながら犯人と疑がわれた会社員が「妻が生きていてくれるから頑張れる」ともらしていたとする箇所や、作品が始まって間も無く、沢井教授が「ともかく、あの会社員は犯人ではありません」と言っている箇所、同じく沢井教授が警察は謝罪では無く遺憾の意を示しただけだと知らされ、「遺憾の意とは、気の毒ですという意味で、謝罪とは全く正反対ですよ」と返しているところからもうかがえる。
 そして、遠く離れ離れに埋められた坂本弁護士一家三人の遺体が五年十ヶ月を経てようやく一つに集う事が出来たと記されている箇所は痛ましさの限りだ。
 加えて、信者達に加えられた温熱修行、蓮華座修行による死の詳細を記したくだりは肌に粟を生じると言っていい。
 さらに「第十五章 教祖出廷」及び「第十六章 逃げる教祖」等における松本被告の無責任な態度。
 いわく「地下鉄サリン事件の犠牲者・被害者の無念さと苦痛は一顧だにせず、それは"絶対自由""絶対幸福""絶対歓喜"に至るお手伝いをしたまでだとする言い逃れは、教祖の頭の中では『絶対的に』確実なものなのだろう」。
 いわく「公判中も、教祖は馬耳東風、我関せずの態度を貫いた。犠牲者が何人出ようと、被害者が何千人出ようと、教祖には何の痛みもないのだ」。
 いわく「まずは怒号であり、次は支離滅裂の弁明、そして最後は、何やら自分流の呪文らしいブツブツである。これら一連の反応は、すべて生き延びるためのあがきであり、窮余の一策としてのブツブツは、あわよくば精神異常の診断を勝ち取るための詐病でしかなかった」。
 はどうであろうか。
 では作者は、いつからオウム真理教に関心を持ったのであろうか。本書「後記」にも詳しいが、前述の『悲素』の様々な毒物についての記載の中に、第一次世界大戦の塩素ガス攻撃、松本サリン事件と地下鉄サリン事件等にも触れられており、沢井教授の再登場は必然であったと言える。
 作品終盤の圧巻は、沢井教授に対する執拗な弁護側の証人尋問である。そしてこのくだりで、読んでいた私は明らかに発熱した。小説を読んでいてこんな事になったのは初めてである。それはたぶん、作者の気迫に圧倒されたという事なのだろう。
 が、悪夢はまだ終わっていないと作者は記す。オウム真理教が使っていた毒ガスVXを用いたマレーシアの空港での金正男の暗殺、そして全容解明に至らぬまま、政治的判断によって行なわれた死刑執行まで――。
 そして、作者はこうも記している。
「人間に原罪というものがあるとすれば、人を殺傷するための通常兵器や核兵器の開発、化学・生物兵器の開発と、その使用ではないかと思えてならない」と。
 本書は、私たちがオウム真理教事件から何を学び、何を学ばなかったのか、その答えを喉もとにつきつけてくる傑作といえよう。

 (なわた・かずお 文芸評論家)

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